現場はだいたい想定の三割悪い
北の農村へ向かう遠征隊は、夜明けと同時に出発した。
私は当然のように、馬車の中で地図と報告書に囲まれている。
「……なんで私まで現地行きなんですか」
「現場を見なければ、判断が歪む」
アリオスの返答は、いつもどおり真っ当すぎた。
「それに」
ゼノスが、馬上からちらりとこちらを見る。
「机上の空論って言われたまま、終わるのも癪でしょう」
「……それは、ちょっとだけある」
馬車はガタガタと揺れ、舗装のない道を進んでいく。
日本のオフィスチェアが、いかに文明の結晶だったかを思い知らされる。
(腰が……腰が死ぬ……)
しばらくして、視界の向こうに小さな集落が見えた。
木造の家々。畑は荒れ、柵は壊れ、
あちこちに魔物に引き裂かれたような跡が残っている。
「……被害、報告よりひどいですね」
私がそう言うと、アリオスの表情が曇る。
「生存者は?」
「います。ですが――」
先行していた騎士が、小さく首を振った。
「食糧は、ほぼ尽きています」
(最悪のパターン引いたな……)
農村に入ると、人々は最初こそ怯えた目でこちらを見ていたが、
鎧姿の騎士を見て、少しだけ安堵した表情を見せた。
「騎士団様……!」
「助けに来てくれたのか……」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ重くなる。
(ああ……これ、完全に“遅れた現場”の空気だ)
日本でも、何度も見た。
支援が間に合わなかった現場の、あの感じ。
ゼノスが、きびきびと指示を飛ばす。
「負傷者の確認を優先!
戦える者は武器を持て!」
騎士たちが散開していく。
私は、馬車から降りて、地面にしゃがみ込んだ。
(情報収集、起動)
視界に、赤いマーカーのようなものが浮かび上がる。
魔物の侵入経路、被害の集中点、避難が間に合わなかった家。
(……侵入ルート、完全に固定されてる)
私は立ち上がり、アリオスに向かって言う。
「魔物、南東の森からしか来てません」
「なぜわかる?」
「足跡と被害分布が一直線です。
これ、偶発じゃなくて“通り道”です」
アリオスの目が鋭くなる。
「……罠の可能性は?」
「あります。でも、今は“対処が先”です」
その時。
「……あんた、現場でもそれをやるのか」
ゼノスが、私の横に来ていた。
「やります。机でも土の上でも、仕事は仕事なので」
「……変な人ですね」
「よく言われます」
次の瞬間、遠くの森の奥から、不気味な鳴き声が響いた。
ズズズ……と、地面を引きずるような音。
「来るぞ!」
ゼノスが剣を抜く。
私は即座に叫んだ。
「正面衝突しないで!
侵入ルート、一本しかない!
そこに集中迎撃!」
「第二部隊、俺に続け!」
ゼノスが迷いなく動く。
反発していた頃の彼とは、別人みたいだった。
やがて、森の中から巨大な影が現れた。
黒くぬめった体。
複数の脚。
牙と爪。
(うわ、集合体恐怖症に効くタイプ……)
「前衛、止める! 後衛、魔法準備!」
アリオスの声が響く。
私は、必死で“次”を読む。
(この魔物、突進型……正面で止めると、盾ごと持っていかれる)
「正面、三十秒で崩れます!」
「何だと!」
「左、岩場があります!
そこに誘導して、足を折ってください!」
一瞬の沈黙。
それから、アリオスが叫んだ。
「ゼノス!」
「了解!」
ゼノスが、あえて横から魔物の注意を引き、
騎士たちが一斉に左へと動く。
巨体が、岩場に足をかけた瞬間。
――ゴギッ。
嫌な音が響き、魔物の脚が折れた。
「今です!」
集中攻撃。
怒号。
血の匂い。
数分後。
魔物は、地面に沈黙した。
私は、その場にへたり込んだ。
「……生きてる……」
「そなたもな」
アリオスが、小さく笑った。
ゼノスが、剣を下ろしながらこちらを見る。
「……あんたの指示がなきゃ、前衛が潰れてた」
「でしょうね。想定では、三割は犠牲が出てました」
「さらっと言うな!」
でも、声は荒くなかった。
その後、農村の被害確認が続く。
壊れた家。
失われた作物。
泣き崩れる人。
私は、胸の奥が少しずつ重くなるのを感じていた。
(……これが、“数字の向こう側”か)
夕方。
農村の長老が、深く頭を下げた。
「騎士団様……そして、そこのお嬢さんも。
ありがとうございます……」
私は、どう返せばいいかわからず、少しだけ言葉に詰まる。
「……まだ、完全には終わってません。
補給が来ないと、また同じことが起きますから」
その瞬間。
アリオスの部下が、駆け寄ってきた。
「団長!
補給隊より伝令!
王都からの物資、領主を介さずに直送されるとのこと!」
アリオスが、私を見る。
「……そなたの策が、もう動いている」
私は、小さく息を吐いた。
「やっと、第一段階クリアですね」
だが、その直後。
視界の端で、
森の奥に“人影”が一瞬だけ揺れた。
(……今の、何?)
情報収集が、微かに反応する。
(“第三者の視線”……?)
嫌な予感が、背筋を走った。
(これ、現地だけの問題じゃない)
初案件は、まだ終わっていなかった。
むしろ――
本当の地獄は、ここからなのかもしれない。




