裁断前夜は、だいたい眠れない
王都の夜は、妙に静かだった。
昼間あれだけ人が行き交っていた廊下も、今は足音一つしない。
窓の外では街灯代わりの魔導灯が淡く揺れていて、その光が石壁に反射するたび、影がゆっくり形を変えていく。
私は、用意された客室の机に向かい、書類を並べていた。
(……確認、三回目)
現地報告。
補給記録。
私兵の証言内容。
帳簿の不一致箇所。
一つ一つ、指でなぞるように目を通す。
(大丈夫。
論点はずれてない)
それでも、胸の奥が落ち着かない。
裁断は、明日。
王が直接、結論を下す。
つまり今日は、
誰にとっても「最後に何かできる夜」だった。
――控えめなノック音。
私は反射的に背筋を伸ばした。
「どうぞ」
扉の向こうに立っていたのは、アリオスだった。
「……まだ起きていたか」
「起きてます。
というか、寝る理由がありません」
「だろうな」
彼は室内を一瞥し、書類の山を見て小さく息を吐いた。
「整理は終わったのか」
「一応。
これ以上やると、
逆に不安になる段階です」
「それは、分かる」
アリオスは、壁際に立ったまま静かに言う。
「王都では、
正しさより“静かさ”が好まれることがある」
「知ってます。
だから、今日は静かにしてます」
「……本当に、分かっているな」
その時、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
今度は、遠慮のないノック。
「ルーナ、起きてるか」
ゼノスの声。
「起きてます。
たぶん、今夜は全員起きてます」
扉が開き、ゼノスが顔を出した。
「……やっぱりだ」
「どうしました?」
「さっき、
“心配して様子を見に来た”って貴族が二人」
「心配便利ですね」
「断りました」
「ありがとうございます。
それ正解です」
ゼノスは、腕を組む。
「王の裁断、
本当に通ると思いますか」
一瞬、答えに迷った。
「……通ると思います」
私は、慎重に言葉を選ぶ。
「通らないと、
この国は同じことを繰り返す」
「でも」
「はい。
それと“通る”は、別の話ですね」
沈黙。
ゼノスが、ぽつりと言う。
「俺、剣を振るほうが得意なんですけど」
「私もです。
こういう夜は特に」
そこへ。
「失礼」
静かな声が、廊下に落ちた。
振り向くと、シリウスが立っていた。
(……この人、
本当にどこにでもいるな)
「今夜は、
眠れない顔が揃っていますね」
「原因は分かってます?」
「ええ。
裁断前夜ですから」
彼は、穏やかに続ける。
「すでに動いている者もいます。
最後のお願い、
最後の圧力、
最後の“善意”」
「全部、同じ意味ですね」
「ええ。
結論を曇らせるためのものです」
私は、書類の山を軽く叩いた。
「曇らせる材料、
もう残ってません」
「それでも、
人は感情で揺れます」
「だから、
揺れないように積み上げたんです」
シリウスは、少しだけ目を細めた。
「……あなたは、
王都向きではありません」
「褒め言葉として受け取ります」
夜が、さらに深くなる。
アリオスが、低く言った。
「明日、
王は必ず問いを投げる」
「はい」
「“誰が悪いのか”ではなく、
“どうするのか”を」
私は、頷いた。
「答えは、用意してあります」
ゼノスが、苦笑する。
「本当に、
抜け目ないな」
「抜けると、
誰かが困るので」
しばらくして、三人は部屋を出ていった。
静かになる室内。
私は、最後にもう一度だけ書類を揃え、
深く息を吐いた。
(……あとは、
やることはやった)
窓の外を見上げると、
王城の灯りが、まだ消えていない。
この国の中心も、
今夜は眠っていない。
私は椅子にもたれ、目を閉じた。
眠れるかどうかは分からない。
でも――
明日は、
逃げ場のない一日になる。
その覚悟だけは、
もう、とっくにできていた。




