表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/60

第八話 動画SNS

「ゆいなっ!!見てみてっ!この動画!」

 

 放課後の図書館、いつもの席で、私がせっせと文芸部の執筆作業に励んでいると、隣から犀川先輩がスマホをぐいと突き出してきた。

 

 画面の中で弾けているのは、ポップな音楽に合わせて踊る一人の少女。短いスカートをなびかせ、あざとい笑顔を振りまく彼女は、今をときめくインフルエンサーだ。

 

 数年前からSNSを席巻している縦型動画。数秒の隙間時間に"可愛い"を過剰摂取させるそのシステムは、今や若者だけでなく、脳の報酬系を刺激された中年層にまで浸透している。

 

「……これが、どうかしたんですか?」

 

「この子、めっちゃかわいくない!?曲も流行りのやつだし、見てるだけでテンション上がるじゃん!」


 狭い画面から溢れ出す旋律をなぞるように、先輩が椅子に座ったまま器用に体を揺らす。踊るたびにさらりと流れる黒髪は、他のどんな髪色よりも艶やかで、春の訪れを告げる風のように軽やかだ。

 

 ついでに、その横なびきの動きに合わせて自己主張する彼女の豊かな胸も、視覚的な破壊力が強すぎる。

 

「なにをギャルみたいなことを。縦型動画を追いすぎると脳が萎縮しますよ。それにその曲、リバイバルヒットしてからも結構経ってますし、もう旬は過ぎてます」

 

 私がパタンとノートパソコンを閉じ、動画を停止させると、先輩は露骨に不貞腐れて頬を膨らませた。

 

 かつては私も、こうして流行を追いかける側にいた。けれど、止まらない情報の流行に疲弊した…というのは建前で、実のところ"とある事件"以来、私にとって縦型動画の視聴は自らに課した禁忌となっていた。

 

「へーえ。おばあちゃんみたいなこと言うんだね、ゆいな」

 

「い、いやっ!別に、SNS自体を否定してるわけじゃ……。そもそも、先輩こそ動画をあげたりしないんですか? その容姿なら、すぐにフォロワー数万人はいくでしょうに」

 

「私はしてないかなぁ。たまに友達から撮影を手伝ってって頼まれるけど……私、身体が大きいから、画面の中で一人だけ浮いちゃうんだよね」

 

 先輩は自嘲気味に笑うが、それは本人の大きな勘違いだ。たしかに彼女は頭一つ抜けて背が高く、モデルのような四肢を備えている。けれど、その抜群の肉付きと存在感こそが、レンズを通した時に最高の映えを生むことに本人は気づいていない。

 

 もし彼女がこの世界に解き放たれたら、ネット上は「空前の美少女現る」と大騒ぎになり、特定班が動いて彼女の穏やかな日常が脅かされるに違いない。…そんな妄想に近い懸念が、私の胸をざわつかせた。

 

「ねぇ、じゃあさ。今から私達で動画撮ってみない!?」

 

「えっ!? まさか、ここでですか!?」

 

 突拍子もない提案に、心臓が跳ねた。さっきまで映えない、とこぼしていた口で何を言い出すのか。

 

 図書館という厳かな場での撮影はマナー違反だろうと止めようとしたが、先輩の瞳に宿った好奇心の灯火は、もはや誰にも消せそうになかった。

 

「いいじゃん、いま誰もいないんだし。ほら、ゆいなもこっち来て!」

 

「ち、ちょっと!?」

 

 抗う間もなく腕を引かれ、国語辞典や古い資料が並ぶ本棚の前へと配置される。急な動きに、古書の香りが埃とともに舞い散るのがわかった。

 

 手慣れた手つきで机にスマホを立てかけ、カメラを起動させる先輩を、私は不安げに見つめる。

 

「うぅ…ちゃんと、写ってるんですかね。私の姿」

 

 撮影に同意したわけではないが、唯一の懸念はそこだった。

 

 思春期症候群に似た認識の阻害、他人から存在を忘れ去られがちな私の姿を、果たして無機質な機械は捉えてくれるのだろうか。

 

「機械相手だし、さすがに大丈夫でしょ。曲はさっきのやつでいい?」

 

「…いいですよ。振り付けも、一応覚えてますし」

 

 皮肉なことに、それは私が縦型動画を視聴していた頃に流行った曲なので振り付けを覚えていた。

 

「よっしゃー! じゃあ、カメラ見てね。かわいく踊るぞー!」

 

 先輩が鼻息荒くスタートボタンをタップする。私は小さく溜息を吐き、流れ始めた前奏に合わせて、記憶の底に沈んでいたポーズを作った。

 

 サビに向けて曲が加速すると、ステップを踏み、手でハートを作る。不意に重なる先輩の視線に胸を高鳴らせた。

 

 シンプルなダンスのはずなのに、慢性的な運動不足の私には地獄のような有酸素運動だ。けれど隣を見れば、先輩はアイドル顔負けの眩しい笑顔で、完璧にリズムを刻んでいた。動くたびに彼女から漂う芳醇な香りが、酸欠気味の私の肺を優しく満たしていく。

 

「…はぁ、はぁ。なかなか、ハードですね…」

「よしっ! かわいく撮れたかな〜?」

 

 四十五秒の狂乱が終わり、私は膝に手をついて肩で息をした。先輩が確認している画面を、横から恐る恐る覗き込む。

 

「…私、映ってます?」

 

 再生された映像には、ポップなフィルターをまとって完璧に輝く犀川先輩の姿があった。

 

 けれど、その隣…私がいるはずの場所は、まるで強い陽炎が立っているかのように輪郭が滲み、背景の本棚と混ざり合って、モザイク状のノイズと化していた。

 

「すごいねぇ。影が薄すぎて、カメラのフォーカスが迷子になってる」

 

「…なんだか、存在を否定されたみたいでショックです…」

 

「でも、私の目にはちゃんと見えてたよ? 恥ずかしそうに猫耳つけてるゆいなが」

 

「エフェクト外してください!!」

 

 カッと顔が熱くなり、乱れた髪を振り乱して抗議すると、先輩は「はいはい、よしよし」と私の頭を優しく撫でた。

 

 指先から伝わる確かな体温と、撫でられる快感に毒気を抜かれていると、彼女は画面をスクロールしながら独り言を漏らした。

 

「この子もかわいいなぁ。私も、本格的に投稿してみようかな」

 

「さっきの動画、絶対に投稿しないでくださいね…」

 

「しないよ! これは、私だけの宝物にするから」

 

 私のような心霊現象が混じった動画のどこが宝物なのか。もし全世界に配信されれば、オカルト特集の格好の餌食になってしまう。

 

 そんな私の心配をよそに、スクロールを続けていた先輩の指が、ぴたりと止まった。

 

「ん? あれ、これって…」

 

「どうしたんですか、先輩」

 

 再び向けられた六インチのディスプレイ。そこには、今の私たちと同じように二人組で踊る少女たちの姿があった。

 

 一人は制服を崩し、計算高い可愛さを振りまくギャル風の少女。そしてもう一人は、野暮ったい眼鏡をかけ、ぎこちない動きで必死に踊る、真面目そうな少女。

 

「かわいいねぇ、中学生くらいかな? この子、昔のゆいなにそっくり…」

 

「…止めて、ください」

 

 肺の底から、マグマがせり上がってくる感覚。握りしめた拳の爪が、手のひらに深く食い込む。

 

「ん? ほら、特に目元とかそっくりだよ…」

 

「止めてくださいって言ってるでしょっ!!」

 

 先輩が確信を得ようと画面をズームした瞬間、私は喉が千切れるほどの絶叫を放った。

 

 古い本棚が微かに軋み、怒号が書物の山に吸い込まれて消える。直後に訪れた重苦しい静寂の中で、私は自分のしたことに戦慄した。

 

「…あっ、ご、ごめんなさい…私、何を…」

 

 自分でも制御できなかった感情の爆発に、視界が滲む。謝らなければと思うのに、喉が引きつって音が出ない。そんな私を、先輩は何も言わずに、ただ大きな体で包み込んでくれた。

 

 数多の書物が見守る中で与えられたぬくもりに、一滴の涙が頬を伝う。

 

「…ごめんね、ゆいな」

 

 まだ冬の冷たさが残る空気の中、先輩の声もかすかに震えていた。私は、自分よりもずっと立派な彼女の背中に腕を回し、その圧倒的な実在感に身を委ねた。

 

「…はい、大丈夫です…たぶん」

 

「ほんとにごめん。嫌がること、しちゃったよね」

 

「わかったから、もう離れてください先輩…た、倒れちゃいますって!」

 

 感傷を吹き飛ばすほどの勢いでしがみつかれ、バランスを崩す。

 

 私たちはもつれ合うようにして床へ転倒した。本棚から辞書の類が雪崩のごとく落ち、私たちの体を隠すように覆い尽くす。

 

「ちょっと! 何事!? 爆発でもしたの!?」

 

 騒動を聞きつけて駆け込んできたのは、文芸部顧問の犀川つばめ先生だった。

 

 先生は、床に横たわる愛娘と担当生徒の惨状を目の当たりにし、頬を赤らめて目を泳がせた。

 

「あ…えっと、お邪魔だったかしら。その、活動は、健全にするのよ…?」

 

 ひきつった作り笑いを残し、つばめ先生は脱兎のごとく走り去ってしまった。

 

「ち、違いますから!! つばめ姉、待ってえぇぇ!!」

 

「ぷっ…あはははは!」

 

 必死に叫ぶ私の下で、先輩が堪えきれずに吹き出した。つられて私の頬も緩み、図書館に和やかな空気が戻る。先輩の手を借りて立ち上がり、私はもう一度、床に転がったスマホの画面に視線を落とした。

 

 かつての自分が楽しそうに踊っているその姿を、私は静かに睨みつけた。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

【ブックマーク】や【★評価】等をしていただけると、励みになります!

次回も、お楽しみください!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ