第二五話 再開
中心街の外れ、夕刻の学生たちで膨れ上がる老舗のファミリーレストラン。
その喧騒から逃れるように隅のボックス席に陣取った私達の間には、ドリンクバーのコップが結露する音さえ聞こえそうな、ぎこちない空気が流れていた。
「犀川先輩。彼女は戸坂エリ。私と同じ蜂ヶ海中学の出身で、三年間ずっと同じクラスだった…いわゆる、ギャルです」
「どーもぉ!ゆいなの親友やってます、エリでーす!」
対面のエリが、弾けるような笑顔で目元にピースサインを掲げる。その瞬間、私の記憶の底に眠っていた彼女の面影が鮮やかに蘇り、胸の奥がこげついた。
隣に座る犀川先輩の様子を伺うと、彼女はいつもの掴みどころのない微笑を浮かべたままでじっとエリを凝視している。
カラン、と氷が溶けて沈む音が沈黙を切り裂いた。
「よろしくね、戸坂さん」
張り詰めた空気の中で先輩は獲物を値踏みするような、どこか怪しげな笑みを絶やさない。
「エリ、この方は犀川あやみ先輩。私と同じ蜂ヶ海学園の…」
緊張で固まっているエリに紹介を続けようとすると、彼女は突如としてその瞳を輝かせた。
「うぇえ!?あなたがあの犀川あやみ先輩!?すごーい!本物に会えるなんて思ってなかった!」
犀川先輩の知名度は、もはや学園の門を越えているのか。予想だにしない熱烈な賞賛に、流石の先輩も目を丸くして重苦しかった表情を一気に崩した。
「えぇ?わ、私のこと知ってくれてるの…?なんだか照れるなぁ〜」
「…いつにも増してウザいです、先輩」
途端にニヤけだした先輩の露骨な態度に引き気味の私をよそに、エリは深く頷きながら、拝むように先輩を眺めている。
「だって!蜂ヶ海学園三銃士のマドンナって呼ばれてるじゃないですか!うちの学校の男子にもファン、めちゃくちゃいますよ?」
「…ちょっと待って。蜂ヶ海学園三銃士って何?」
唐突に飛び出した異様な二つ名に私が首を傾げると、エリは何を今更、と言わんばかりの顔を向けた。
「ゆいな、知らないの?蜂ヶ海学園には三人の絶対的な美人がいるって、他校じゃ有名じゃん」
当の学園に通っている私が一度も耳にしたことのない噂を、エリは常識であるかのように語る。どうやら外部の人間にとって、私たちの学園はアイドルグループか何かだと思われてるらしい。
「まずは、学園のマドンナの犀川先輩でしょ?」
マドンナという響きに身悶えして照れる先輩を横目に、私はエリの話をうながした。彼女は先輩に見惚れつつも、指を一本ずつ折り曲げていく。
「あと…カリスマの姫山ちぐさに、プリンスの白崎ヒカリって人」
「うん、どっちもめっちゃ知り合い」
伝説の勇者のように語り継がれる先輩方の不憫さに、私は思わず頭を抱えた。それを聞いた犀川先輩は、あんぐりと口を開けて呆然としている。
「え…私達、外ではそんな風に呼ばれてるんだ…」
「…初耳だったんですか」
自分の異名を知らなかった本人は、目をぱちくりとさせて驚いていたが、ふと思いついたように身を乗り出した。
「じゃあ、戸坂さんは…」
「エリでいいですよ、先輩」
「わかった!エリちゃんはどこの高校なの?」
距離を詰めてきたエリに対し、先輩が尋ねる。エリは自慢げに、自分の制服の校章を指差した。
「私は中央です。蜂ヶ海中央高校」
その名を聞いた瞬間、私と先輩のあいだに戦慄が走った。蜂ヶ海中央高校とは、私達の学園を遥かに凌駕する進学実績を誇る、県内屈指の超難関校ではないか。
「すごい!あそこの頭いい子たちが行くところじゃん!」
「進学校、だよね?」
「そうだよ。毎日補習と課題ばっかりでマジ大変」
はしゃぐ先輩を横目に問いかけると、エリはグラスのジュースを一気に飲み干した。すると彼女は、先ほどまでの明るい声を少しだけ落とし、慈しむように目尻を下げた。
「でも、よかった。離れて暮らしてるゆいなに、ちゃんと頼れる友達がいて」
不意に投げかけられた親友としての真っ直ぐな心配を、私は静かに受け止めた。
「うん。…心配かけて、ごめんね」
過去の負い目を払拭するように謝ると、エリは無言で優しく首を横に振った。
そんな私たちの間に流れた二人だけの空気が気に食わなかったのか、疎外感を感じた先輩が頬を膨らませて割って入る。
「ねぇ、エリちゃん。ひとつ聞きたいんだけど…いいかな?」
「はい!答えられることならなんでも!」
エリが胸を張って応じると、先輩は私の肩を指先でちょんと突いた。
「ゆいなは…中学時代から、こんな感じだったのかな?」
口元へ運んでいたグラスが止まる。それは、今まで彼女が決して踏み込もうとしなかった、私の過去への言及だった。
想定外の角度からの質問にエリが戸惑うように目を泳がせる。私は諦めたように、彼女へ小さく微笑んで頷いた。
「いいよ、話しても」
私の許しを得たエリは少しだけ躊躇いを見せた後、舵を切ったように言葉を紡ぎ始めた。
「…ゆいなは、クラスの人気者でした。いつも明るくて、優しくて、面白くて。男女問わず、周りにはいつも友達がたくさんいたんです」
「それは、本当…?」
先輩の低く落ち着いた声が、真偽を問うように重く響く。それを肯定するように、エリは一文字ずつはっきりと、私の過去を断定した。
「はい…三年生に上がるまでは。今のゆいなに近い雰囲気になったのは、それからです」
「二年生の間に、何があったのか…教えてくれないかな」
犀川先輩の瞳は、もはや好奇心などではない、獲物を追い詰める狩人のような鋭さを帯びていた。スイーツ以外にこれほど執着を見せない彼女が、なぜこれほどまでに私を解剖しようとするのか。
「それは、ゆいなに悪いです。あまり過去を詮索するのは…」
エリは拒絶の姿勢を見せるが、先輩の視線は微動だにしない。
「エリ」
私は追い詰められた親友を助けるように、できる限り平静な声を絞り出す。
「いいよ。犀川先輩になら、話しても大丈夫だと思う。それに…エリだって、ずっと一人で抱えてるのは疲れちゃうでしょ?」
先輩の真意は計り知れないけれど、日頃から私の面倒を見てくれている彼女には、共有しておいても損はないだろう・・・そう自分に言い聞かせた。
「本当にいいの、ゆいな」
肩をすくめて再確認するエリに、私は満面の笑みを向けた。それは彼女を安心させるための嘘であり、同時に私の内側から湧き上がる恐怖を押し殺すための盾でもあった。
「うん。私は、昔よりも今を大切にしてるから」
隣の先輩に視線を送りつつ、震える口元を隠すようにグラスを傾ける。
氷だけが残ったグラスを卓に戻すと、エリは深く、重い息を吐いてから、ゆっくりと唇を開いた。
作者の『月雲とすず』です!
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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