第十七話 告白劇
放課後の教室、斜陽が差し込む窓際。私は日光の澱みとでも呼ぶべき暖かい空気の中で、泥のような昼寝を貪っていた。
部活もオフ、予定もゼロである私の平穏な惰眠を、一筋の鋭い声が切り裂いた。
「ちょっと、今いい?」
鼓膜に直接響くような、よく通る声に重い瞼を押し上げると、そこにはスクールカースト最上位に君臨する女子、松島まりが腕を組んで仁王立ちで私を見下ろしていた。
「ま、松島さん…どしたの?」
入学以来、クラスメイトから話しかけられた記憶がほぼない私にとって、これは緊急事態だ。まず、影が薄いはずの私を、彼女がどうやって視認できたのかが不思議でならない。
おどおどと身を縮める私を見かねたのか、彼女はぐいっと顔を至近距離まで近づけてきた。
「甘野さんって、白崎先輩と付き合ってるの?」
「んぶぅ…っ!?」
想定外の角度から飛んできた豪速球に、変な声が出た。あの日の会議室での騒動によるものだろう。
私は、命の危険を感じて必死に首を横に振った。
「そ、そんなわけないじゃん! 私と、あの生徒会長が釣り合うわけないっていうか、並ぶだけで公開処刑だし…」
「まぁ、そうよね。妥当な理由だわ」
案の定、という納得顔に少しだけイラッとしたが、背に腹は変えられない。今は彼女の興味を逸らすのが先決だが、松島は逃がしてくれなかった。
「でも、あなたは白崎先輩と親しいんでしょう?」
「そ、そんなこと…ない、けど…」
否定すればするほど、自分の声が上ずっていく。これ以上追及されて、先輩の暴君としての顔や、私との妙な繋がりがバレれば、平穏な学校生活が崩壊する。
観念しろ、と言わんばかりに松島は私の手首を掴んだ。
「わかった…甘野さん、場所を変えましょう」
強制連行されたのは、以前に犀川先輩と訪れたビグバーガーだった。互いのドリンクを注文し、二階の隅の席に腰を下ろす。
「それで、松島さんは…私に何の用かな?」
「もう本題に入っていい?では、あらためて…」
強引に引っ張ってきたくせに、いざ私と向かい合うと、彼女は急にそわそわし始めた。そして、頬をリンゴのように赤らめて、とんでもないことを言い放ったのだ。
「私が白崎先輩に告白するのを、手伝って欲しいの!」
私は、リアルに苦虫を噛み潰したような顔になったと思う。
彼女が夢見ている学園の王子様と、私の知る裏の拳王の間には、マリアナ海溝よりも深い溝がある。キザな台詞で迫る先輩に惚れたうぶな女子が、彼の本性を目の当たりにしたら、ショックで失神しかねない。
「やめときなよ…あの人、裏の顔は結構…そのバイオレンスっていうか、強烈だよ?」
「ほら!やっぱり親しいんじゃない!」
「うっ…」
自爆したが、ここで引くわけにはいかない。私は彼女の恋心の本気度を確かめることにした。
「…なんで、告白したいなんて思うの?」
彼女はストローで喉を潤すと、マタタビを吸った猫のように、とろんとした目で惚気け始めた。
「元からカッコいいなとは思ってたの。でも、先週チンピラに絡まれた私を、先輩が助けてくれて…。その時の先輩が、もう、めっちゃメロくてさぁ!声も、仕草も、全部の虜になっちゃったの。…でも、私のライバルはあの犀川先輩や姫山先輩でしょ?普通にぶつかっても撃沈すると思って…」
学園の二大美女がライバル、世間の噂ではそうなっているのだろうが私は知っている。あの二人が白崎先輩に恋情を抱いているような素振りは、一度も見たことがない。
「犀川先輩たちのことは…別に気にしなくていいと思うよ」
「何言ってんの! 二人が先輩を好きだって噂、有名じゃん!だから甘野さん、先輩のこと、もっと詳しく教えて。告白の成功率を上げたいの!」
私は迷った。このまま王子様のイメージで突っ込ませるよりは、多少の毒を盛って現実を教えるべきか。
私は意を決して、重い口を開いた。
「…それぐらいならいいけど。引かないであげてね?」
それから私は、先輩のエピソードを、適度に抽象化しつつ、事実を交えて語った。原液のまま伝えると、それこそ先輩の社会的地位が死ぬので、慎重に。
…しかし語り終えた私の目に飛び込んできたのは、興奮で鼻息を荒くする松島の姿だった。
「か…カッコよすぎるでしょ! 王子様なのに、実はバチバチの武闘派なんて…ギャップ萌え、尊すぎ!」
ダメだ、私は悟った。恋のせいで盲目になっているからか、毒のつもりで吐いた言葉がすべて栄養剤に変換されてしまったらしい。
「決めた。明日、彼に告白する!」
その翌日、私はなぜか生徒会棟の裏で、植え込みの影に潜んでいた。松島に「見守っていて」と半ば強制的に頼まれたからだ。
「先輩…私と、付き合ってください!」
茜色の空の下、松島は精一杯の勇気を振り絞って手を差し出した。
果たして白崎先輩はどう応えるのか・・・ハラハラしながら見守っていると、先輩は彼女の手を優しく取った。・・・しかし。
「…ありがとう。嬉しいけど、ごめん。俺、好きな人がいるんだよね」
あまりにも鮮やかな、そして残酷な拒絶だった。松島の心に、鋭利なガラスの破片が突き刺さる音が聞こえた気がする。先輩は申し訳なさそうに言葉を続けていたが、彼女の限界はすぐそこだった。
「…っ、うわぁぁぁん…っ!」
松島は脱兎のごとく走り去っていった。私の横を通り過ぎる際、その目には大粒の涙が溢れ、私の姿など全く入っていないようだった。
「あれれ。ずっと見ていたのかい?甘野さん」
失恋の余韻をかき消すような、爽やかな声。そこには、ついさっき後輩をフったばかりの罪深き生徒会長が立っていた。
「私のクラスメイトなんですよ、彼女。…というか、もっとマシな振り方はなかったんですか?あんな好きな人がいる、なんて嘘をついて」
「あはは。君には、あれが嘘に聞こえるのかな?」
私は耳を疑った。喧嘩と生徒会の業務に命をかけていた先輩が、恋などを口にするとは思わなかったのだ。
「…え、本当にいるんですか?好きな人」
先輩は少し困ったように眉を下げると、ゆっくりと歩み寄り、私の顎を指先でクイと持ち上げた。
「もちろん。それも、君がよく知る人だと思うよ」
至近距離で見つめられると、整った顔立ち、男性特有のほどよく焼けた肌が目を支配する。そんな彼が想いを寄せる相手・・・記憶のパズルを組み合わせると、一つの答えにたどり着いた。
「…姫山先輩、ですか」
「…っ」
冗談半分の答えだったが、正解だったらしい。白崎先輩は弾かれたように手を離すと、耳まで真っ赤にして顔を背けた。
「…ご名答。犀川さんの名前を出すと思っていたのだが」
「まさか。白崎先輩があの人を狙っているなら、もうとっくに告白してるでしょうし。…それに」
「それに?」
「この前メイドカフェに行った時、先輩、すごく楽しそうでしたから。姫山先輩を見る目が、その…甘かったですよ」
「…そこまでバレてちゃ、仕方ないなぁ」
観念したように息を吐くと、先輩は私を日陰の壁際へと追い詰めた。
「絶対、他の奴に言いふらすんじゃねぇぞ。…これは俺たちの秘密だ。わかったな?」
睨むような鋭い視線だったけれど、その瞳は恥じらいを隠そうと激しく泳いでいる。
過去、この近辺を震え上がらせた暴君の、あまりにも可愛らしい弱みだった。
「は、はい…わかりました。ふふ…っ」
「な、なんで笑うんだい!?」
私は、こみ上げる笑いを堪えきれなかった。
どうやら私は白崎先輩と、墓場まで持っていくべき最高に甘い秘密を共有してしまったらしい。
その日から、松島まりが私に話しかけてくることは無くなった。まるで以前から私の存在に気づいていないかのようで、自然なほどに不自然であった。
作者の『月雲とすず』です!
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