第十六話 白馬の王子様
部活が長引いた後の放課後、私は一人で濃い藍色に染まった夜道を歩いていた。
犀川先輩はつばめ先生の車で一足先に帰宅してしまったし、街頭の少ない夜道はやけに心細く感じられる。
…早く、明るい所へ出よう。できるだけ光を求めて、中心街へと続く大通りを迂回しようと足を急いでいた、その時だった。
「ぅわあっ!?」
不意に、背中に強烈な衝撃が走った。周囲を見渡すと、二人組の男がスネを押さえながら悶絶していた。どうやら、彼らには私の姿が見えておらずにそのまま激突したらしい。
「…いててて、おい!どこ見て歩いてんだ、てめぇ!」
私のステルス能力が触れ合ってしまったがゆえに失効すると、私の存在が彼らの網膜に鮮明に映し出される。猛虎のような凶暴な視線を浴びせられ、私は腰が砕けたようにその場にへたり込んでしまった。
「ご、ごめんなさいっ!わざとじゃないんです…!」
「ごめんで済んだら、警察も政治家もいらねえんだよ!」
倒れた相棒を引き起こした男が、怒号とともに私を見下ろす。
肩を震わせる私の全身を、彼らは卑しい手つきで品定めするように凝視し、やがてニヤリと下品な笑みを浮かべた。
「おい、こいつ。あの名門の蜂ヶ海学園の制服じゃね?」
「うわ、本当じゃん。お嬢様なら、結構なもん持ってんじゃねえの?」
じりじりと距離を詰められると、私は逃げ場を失い雑居ビルの冷たい壁に追い詰められた。一ミリも、一ミクロンもときめかない壁ドンの衝撃が背中に響く。
「誰に向かって口きいてんだぁ!?金出せや、くそ女ぁ!」
鼻先まで迫る顔から、飛沫が飛んでくる。恐怖と嫌悪感で涙がこぼれそうになり、奥歯を噛みしめた。すると、一人が私の顎に指をかけて持ち上げる。
「…へぇ、よく見りゃ顔もいいじゃん。金払えないなら、別のことで楽しませてもらうか?」
「いやっ!誰か、誰か助けて…っ!」
両肩を掴まれ、指先が服に食い込む。絶望に瞳を閉じた瞬間…その圧迫感が鋭い風の音と共にはじけ飛んだ。
突然、私の前方に差し出されたのは一本の腕だった。その袖口に見えるのは、見慣れた蜂ヶ海学園の制服である。
「おっと、申し訳ない。彼女は僕の連れでね…汚い手で触れるのは、やめてもらおうか」
月明かりを反射して煌めく、透き通るような白髪。そこに立っていたのは、蜂ヶ海学園の生徒会長…白崎ヒカリだった。
「あぁん?なんだ、てめぇ。弱そうな面して粋がってんじゃねぇよ!!」
男の拳が、先輩の美麗な顔面をめがけて放たれる。鼻骨が砕ける音を想像して私が目を背けた瞬間、重苦しいパンッ、という乾いた音が響いた。
先輩は微動だにせず、片手でその拳を受け止めていた。
「…聞こえなかったのかな、君達」
拳を引き抜こうともがく男を、先輩は万力のような力で固定する。その瞳に、底知れない冷徹な光が宿った。
「こいつから、手を離せって…言ってんだよ」
周辺の空気が、冷凍庫を開けた時のように凍りつく。狩人のような視線にい抜かれたチンピラ共は、悲鳴を上げて私から手を離し、後ずさった。
「な、なんだこいつ…化け物かよ…」
「おい、この白髪…まさか、蜂ヶ海の拳王、『白矢の雷帝』こと白崎ヒカリじゃねぇか!?」
その名が出た瞬間、男たちの顔から一気に血の気が引いた。…いつの間にそんな恥ずかしい二つ名を背負っていたんだろう。
いつものキザな先輩なら満足げに笑うところだが、今の彼はただ静かに額に青筋を浮かべていた。
「呼んでくれてありがとうな、その名前。久しぶりだよ…それじゃあ、場所を変えようか」
先輩は抵抗する間も与えず男達の首根っこを掴むと、そのまま路地裏の闇へと引きずり込んでいった。
私が震える足で後を追うと、そこには既に地面に転がっている一人と、今まさに鉄拳を頬に食らって吹き飛ぶもう一人の姿があった。
「「す、すみませんでしたぁ〜!」」
完膚なきまでに叩きのめされた男達は、蜘蛛の子を散らすように夜の街へ逃げ去っていった。
ふぅ、と溜息を吐く先輩に私は恐る恐る近づいた。
「あ、ありがとうございます…白崎先輩」
すると、彼は再び冷酷な視線を私に向け、ものすごい剣幕で私を壁に押し付けた。
「てめぇ…不用心すぎんだよ。少しは気をつけて歩けや」
剝き出しの怒りだったけれど、そこにはいつもの生徒会長の姿はなかった。素のままの昔馴染みの彼、そう思うと不思議と恐怖は消えて可笑しさが込み上げてきた。
「…ふふ、はい。すみません」
「あ?何笑ってんだよ、甘野」
「いえ…なんだか、昔らしい先輩を見れたのが嬉しくて。最近の先輩、ずっと無理してるみたいでしたから」
先輩は視線を泳がせ、乱暴に後頭部を掻いた。
「…お前なぁ、俺は別に、無理して会長なんてやってねえよ。安心しろ」
不器用なやさしさだった。彼は自分の上着を脱ぐと、私の肩に無造作に羽織らせた。
「それにしても、寒いだろ。どこか、座れるところとかないか?」
「それなら、いい場所がありますよ」
「…で、ここに来たってわけ?」
かわいらしいベルの音と、甘い香りに包まれた店内で、メイド姿の姫山先輩がジト目で私達を出迎えた。彼女のアルバイト先であるメイドカフェは、幸いにもすぐ近くにあったのだ。
「急に押しかけてすまん、姫山」
「まぁ、いいわ。いらっしゃいませ、ご主人様、お嬢様。どうぞ、こちらの席へ」
どこか惰性の接客で案内され、席に着く。向かい合った白崎先輩は、すっかり毒気が抜けた顔でメニューを眺めていた。
「久しぶりだな。お前と二人きりになるとは」
「ですね。小学校の時は、よくありましたけど」
当時の白崎先輩は、今以上の問題児だったけれど、私達と過ごす時だけは人情に厚く、仲間思いの少年でもあった。
「犀川先輩から聞きましたよ。最近は昔の仲間と連絡を取ってないって。先輩らしくないんじゃないですか?」
私は前日、銭湯で遭遇したギャルの話題を出した。人情に深い白崎先輩は身内との報連相は一層大事にしていた印象がある。しかし、どういう風の吹き回しか生徒会長となった彼にその余裕はあまり見られない。
「…蜂ヶ海の生徒会は、意外と自由がないんだよ。さっきの喧嘩も、少し腕が鈍ってた」
「蜂ヶ海学園の生徒会を運営するうえで、自由な時間があまり確保できないんだよ。現に、さっき殴り合った時も、腕が鈍っていた」
「殴り合いっていうか、一方的な処刑に見えましたけど…」
「昔はよかったな。俺と、お前と、犀川と、姫山。俺らが離れるなんて、想像もしてなかった」
「そうですね。懐かしいです」
「なに?昔話に花を咲かせてるわけ?」
小学校時代の思い出を噛みしめていると、お盆を抱えた姫山先輩が隣から首を突っ込んだ。彼女もまた、昔の気弱なお嬢様から成長した学園のカリスマなのだ。
それぞれ見違えるような成長を見せた先輩方を前に、私は気になることが一つだけあった。
「でも、不思議です。なんで私達、あんなに一緒にいたんでしたっけ?きっかけが思い出せなくて」
私の問いに、メニューを運んできた姫山先輩の手がわずかに止まった。二人は顔を見合わせ、はぐらかすように乾いた笑いを漏らす。
「…さぁ、なんでだったっけ」
その曖昧な答えに私は小さな違和感を覚えながらも、運ばれてきた温かい紅茶を口に運んだ。
かつての拳王が、メイドカフェのフリルの前で慎ましく座っている。その奇妙な光景に、私は少しだけ明日犀川先輩に話すお土産話ができたことに胸を躍らせていた。
作者の『月雲とすず』です!
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