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第十五話 スーパー銭湯

 のれんを潜る若者がやけに多い、老舗のスーパー銭湯。休日ゆえか、ごった返す人混みを避けながら、私は番台へと向かった。


「人、多すぎ…。そんなにここって人気なの?」


 築百年を優に超えるはずだが、建物は改築されたばかりで、隅々まで清潔感が漂っている。それにしても、こんなにも同年代の女子で溢れかえるものだろうか。


 私は女体の波に呑まれるのを危惧しながら、必死に番台を目指した。ロッカーの鍵を貰わなければ、荷物を預けることすらままならない。


「す、すみませ~ん」


 番台に座る従業員に声をかけるが、むなしくも喧騒にかき消されて届かない。手を伸ばしても、カウンターの鍵にはあと一歩届かない。諦めて下駄箱にでも衣類を詰め込もうかと考えた、その時だ。


「すみません、高校生二人でお願いします」


「…え?」


 背後から、私の肩に腕が回された。耳元で響いたのはここ毎日欠かさず聞いている、もはや日常の一部と化した声。振り返ると、やはり彼女がそこに立っていた。


「犀川先輩……」


 厚手のロングコートに身を包んだ犀川あやみ先輩が、にかっと悪戯っぽく笑いながらピースサインを作っていた。


「やっほ〜。家のお風呂が調子悪くてね。ゆいなは?」


「私も、同じ感じです。家が古いので、よく故障するんですよ」


「あはは、お揃いだね」


 二人揃って同じタイミングで自宅の風呂が壊れるなんて、まさかの偶然だ。近隣の銭湯はここしかない以上、遭遇するのは必然だったのかもしれない。


 番台からロッカーの鍵を二つ受け取った先輩は、それをトランプのカードのように見せびらかしながら、一枚を私に手渡した。


「せっかくだし、一緒に入ろうよ!」


「…そう言うと、思っていましたよ」


 差し出された鍵を受け取り、私達は脱衣所へ向かった。いつも以上に先輩の足取りが意気揚々としているのは、気のせいだろうか。


 隣同士のロッカーを選び上着を脱いだ瞬間、ふわりと鼻腔をくすぐる香りに心臓が跳ねた。ほのかに香る汗と、熟した果実のような甘い匂い。風呂に来るのに香水でも付けて来たのだろうか。

 

「なんか最近、よく遭遇しますね。私達」

 

「だね〜。運命かな? それとも、ゆいなが私を呼んでるのかな」

 

 学園内だけでは飽き足らず、書店や銭湯でまでばったりと顔を見せるとは。彼女は私の首輪についた手綱を、無自覚に握っているのではないだろうか。

 

 そんな妄想を振り払うように衣類を脱ぎ捨てていくが、隣に集まる周囲からの視線が気になって仕方ない。

 

 自分で見ていて悲しくなるような私の薄い身体に引き換え、先輩の肢体はあまりに眩しかった。動くたびにつるりと輝く柔らかな肌、重力に従って楽しげに揺れる豊かな双丘。

 

 洗練された曲線美に目を奪われそうになり、私は本能的に問いかけた。

 

「どうだか。実は私のことを尾行してるんじゃないですか?」

 

「まさかぁ。だってさ、ほら」

 

 勝負下着のように扇情的なランジェリー姿になった先輩が、濡れたような瞳で背後を指差すと、そこには、もう一人の知る顔が佇んでいた。

 

「あら、ゆいなちゃん。こんばんは」

 

 しとやかに会釈をしたのは、先輩の母親であり私の担任でもある、つばめ先生だった。

 

「つ、つばめ姉…こんばんは。先輩とは、別だったんですか?」

 

「ええ、私は少し仕事が残っていたから。でも、困っちゃうわね。お風呂の修理、数日はかかるみたいで」

 

 思い返せば、昨日のホームルームから先生はどこかソワソワしていた。なるほど、一家総出で銭湯通いというわけか。

 

「ほら、二人とも! 早く入っちゃおうよ!」

 

 元気よく言い放った先輩はもはや糸一本まとわぬ、ありのままの姿で小気味よく跳ねていた。

 

 幼女のような無邪気な仕草。けれど、そこにある肉体はあまりに成熟した女の主張が強すぎる。私は顔を真っ赤にしながら、どうにか自分を保とうと試みた。

 

「…先輩、少しは恥じらいというものを持ってください」

 

「えー? 裸同士、隠すことなんて何もないじゃない。ね、ママ!」

 

 立派な果実を弾ませながら同意を求める先輩。すると、私の背後からつばめ先生が、これまたありのままの姿で顔を出した。

 

「そうね。ゆいなちゃん、背中流してあげるから、早く行きましょう?」

 

 それは、普段ポニーテールに結ばれている髪が解かれた、あまりに無防備で艶やかな姿だった。

 

 羞恥心という言葉をどこかに置き忘れてきた二人の小悪魔が、我先にと大浴場へ向かっていく。私はその完璧な後ろ姿を、少しの嫉妬を込めて見つめた。

 

「…この、ダイナマイト母娘め」

 

 自分の骨張った体を呪いながら、私は二人の跡を追うように湯けむりの中へと踏み込んだ。

 

 浴場内は熱気と石鹸の香りで満ちていた。隅の洗い場に腰掛け、熱めのシャワーで身体を濡らしてシャンプーを泡立てていると、隣から騒がしい声が聞こえてきた。

 

「うわっ、どうしよ! 前が見えないよぉ!」

 

「先輩、つけすぎです。泡だらけじゃないですか」

 

 左隣で真っ白な泡の塊になっている先輩を見て、私はため息を吐く。学校ではあんなに凛としているのに、身内だけの時はどうしてこうも隙だらけなのか。先輩は豪快に泡を洗い流し、花が咲くような笑顔を私に向けた。

 

「えへへ…銭湯ってあんまり来ないから、テンション上がっちゃって」

 

「こら、あやみ。耳の後ろに泡が残ってるわよ」

 

 右隣に座っていたつばめ先生が、私を飛び越えるようにして注意する。なぜ私をサンドイッチする形で座るのかは謎だが、二人の間に流れる空気はどこまでも温かかった。

 

「は〜い、ちゃんと落とします」

 

 桶の湯を被る先輩を眺めていると、ふいに私の肩に柔らかな指先が触れた。

 

「ゆいなちゃん、背中流してあげようか」

 

 タオルを片手に微笑む先生の慈愛に満ちた瞳に、私はつい遠慮してしまう。

 

「えっ!? い、いえ、申し訳ないですよ!」

 

「いいから。ほら、向こう向いて?」

 

 抗う間もなく身体の向きを変えられ、背中に泡立てたタオルの感触が走る。くすぐったいけれど、どこか安心する刺激に身を固くしていると、正面から先輩がニヤリと口角を上げた。

 

「じゃあ、前は私が洗ってあげるね!」

 

「せ、先輩ぃっ!?」

 

 太ももに押し付けられた、先輩のボディタオル。後ろからは先生の包容力ある温もりが、前からは先輩の少し強引で熱い愛撫のような洗浄が。

 

「どうですか〜、お客さん。気持ちいいですか?」

 

「は、はい…とても…」

 

 美女二人に前後から挟まれ、自由を奪われた私。湯気のせいか、それともこの過剰なスキンシップのせいか、フォグバウンドのように頭がぼうっとしてくる。

 

「うふふ…娘がもう一人増えたみたいだわ」

 

 後ろで私の肩甲骨を優しく撫でながら、つばめ先生が零した。その瞬間、入浴剤が溶けるような優しい熱が、私の胸に広がった。

 

「…やっぱり、親子っていいですね。あったかいです」

 

 ぼそりと呟くと、二人の手がぴたりと止まった。先生がシャワーの湯を私の脊椎に沿って流しながら、耳元で静かに囁く。

 

「安心して。私は、ゆいなちゃんのことも娘だと思っているから」

 

「あはは…私が生徒だってことも、忘れないでくださいね」

 

 私達は教師と生徒で、それ以上でも以下でもない。けれど、この瞬間だけはその境界線が湯煙に溶けてしまったかのような、不思議な心地よさがあった。

 

「はぁ〜、生き返ったぁ!」

 

 のぼせる寸前まで湯船に浸かり、火照った身体から湯気を立ち昇らせながら脱衣所へ戻る。手拭いで髪をまとめた先輩は濡れた肌の艶が増し、周囲の視線を釘付けにしていた。

 

「ですね。…あれ、つばめ姉は?」

 

「もう少し浸かってくるって。お疲れなんだよ、ママも」

 

 やはり教師は重労働のため、疲労の回復は必要だろう。彼女を待つ間、風呂上がりの牛乳でも飲もうと考えた、その矢先だった。

 

「あ、姉貴ッ!」

 

 背後から、脱衣所中に響き渡るような野太い…いや、芯の通った少女の声がした。振り向くと、そこには金髪を逆立てた、腹筋の割れた少女が立っていた。

 

「姉貴、お疲れ様です!」

 

 深々とお辞儀をする金髪ギャルと困惑する私を余所に、先輩は全裸のまま堂々と手を振った。

 

「おぉ〜、久しぶり! 元気にしてる?」

 

「はい! うちらは全員ピンピンしてます! それで…兄貴のご様子は…?」

 

「彼も順調だよ。大勢の手本となる、立派な人になってる」

 

 あやみ先輩の知り合いだろうか。いや、彼女の交友関係にこんな族のような人影はなかったはずだ。敬意を露わにする少女に、先輩は濡れた手でその金髪をよしよしと撫でた。

 

「そうっすか! 安心しました! 兄貴によろしくお伝えください。失礼します!」

 

 再び直角のお辞儀を残し、少女は嵐のように浴場へ消えていった。

 

「せ、先輩…暴走族の総長かなんかだったんですか?」

 

「違うよ! あの子たちは、ヒカリの知り合い!」

 

その名前を聞いた瞬間、全ての点がつながった。あの白崎ヒカリの舎弟だったなら、納得ができる人物だ。

 

「白崎先輩の…」

 

「そう! あいつ、最近は昔の知り合いとあんまり会ってないみたいだからさ。生徒会長だし、仕方ないのかもね」

 

 先輩はそう言いながら、腰に手を当てて牛乳の自販機を吟味し始めた。私はその横顔を見ながら、白崎先輩のことを思う。

 

 あやみ先輩やつばめ先生が、過去の面影を残しながら美しく成長しているのに引き換え、白崎ヒカリだけは過去を塗り潰したような顔をしている。だから、私は今の彼が嫌いなのだ。

 

 牛乳の瓶を眺めながら、私は消えない胸のざわつきを感じていた。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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