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第十三話 書店での遭遇

 蜂ヶ海市の中心街にある大型書店。私は、高くそびえたつ本棚が作る迷宮を彷徨っていた。


「あった…『月雲とすず』の新刊…」


 指先が触れたのは、私が長年追い続けている作家の最新作だ。ライトノベルから一般文芸まで、教会を軽々と飛び越える彼の作風には、いつも驚かされる。


 今回はオカルトをテーマにした戦闘モノらしい。彼の描く物語は、救いのないバッドエンドが常だが、今作はどうだろうか。


 期待に胸を躍らせ、宝物を抱えるようにレジへ向かおうとした時、本棚の影から唐突に人影が飛び出してきた。


 私は極端に影が薄いため、他人と激突して一方的に弾き飛ばされるのは日常茶判事だ。反射的に身を固め、衝撃に備えて受け身の姿勢と取った私だが、いつまで経っても衝撃は来なかった。


「あれ…?ゆいな?」


 聞き間違い得ようのない声に恐る恐る顔を上げると、そこには流行の最先端をそのまま形にしたような、読者モデル顔負けの美女が佇んでいた。ふわふわの白いジャケットに、ラインを強調するタイトスカート、片脚だけ履いたニーハイソックスの絶対領域が書店の蛍光灯の下で眩しく光っている。


「さ、犀川先輩っ!?」


 そこにいたのは、まさかの犀川先輩だった。彼女の私服を見るのは何気に久しぶりだが、専属のスタイリストがついているのではないかと疑いたくなるほど、完璧な着こなしである。


「おぉ~!奇遇だね!それ、前に言ってた作家さんの新作?」


 先輩が距離を詰め、私の手元にある本の表紙を覗き込んできた。ふわりと、冬の冷たい空気を含んだ彼女の香りが鼻をくすぐる。


「はい。今日が発売日で…先輩こそ、どうしてここに?」


「私はこれだよ。ファッション誌の今月号!」


 彼女が得意げに掲げたのは、若者に絶大な人気を誇るトレンド誌だった。偶然にも、私が昔に愛読していた雑誌と一致している。


「わぁ、懐かしいですね。私もよく読んでましたよ」


 表紙を飾るのは、今をときめくカリスマモデルだ。けれど、その隣で微笑む先輩の方が、よっぽど端麗で浮世離れして見えた。


「やっぱりトレンドは追っておかないとね。そうだ、私がその本買ってあげようか?」


「い、いえ!これは、きちんと私が払いますから!」


 またもや財布をチラつかせた先輩の手を、私は慌てて制止した。ハンバーガーやらコーヒーやら、最近の私は先輩に奢られすぎている。その上、趣味の本まで貢がれては、いよいよ私の自尊心が消滅してしまう。


 犀川先輩は、私の都合の良い財布などでは断じてないのだから。


 無事、自分の財布から代金を支払い、本を手に入れた。レジを離れ、先輩と肩を並べて歩く。


「やったぁ…早く読みたいなぁ」


「嬉しそうだね、ゆいな」


「はい、それはもう」


 無意識にスキップしそうになるのをこらえ、本の包みを大切に抱きしめる私を見て、先輩が目を細めて微笑んだ。その優しげな眼差しに、胸の奥がほんのりと熱くなる。


「あ、そういえば…」


 不意に、先輩が足を止めた。肩に掛けたハンドバッグの中身を確かめるような仕草を見せた後、彼女は私の手を迷いなく握った。


「ゆいな。ちょっと、ついてきて」


「えっ、ちょ、先輩!?」


 わけもわからぬまま連れてこられたのは、なんと女子トイレの個室だった。


 カチリ鍵を閉める音が響く。芳香剤のつんとした匂いと、先輩の甘い香りが混ざり合う、四方の密室。私と犀川先輩は、ほぼ密着状態になった。


「ど、どうしたんですか…こんな、場所で…」


 至近距離で先輩の双丘が上下するたび、私の心臓が直接撫でられているような感覚に襲われる。このプライベートの吹き溜まりのような空間で、一体何されるのか。


 混乱する私をよそに、先輩はバッグからそれを取り出した。


「はい、これ。ゆいな、前の体育で忘れてったでしょ」


 現れたのは、綺麗に畳まれた私の体操服だった。そういえば、前回の体育の後、ロッカーから自室まで必死に探し回った記憶がある。


「あ!私の体操服!先輩が持っていてくれたんですか?」


「うん。洗濯もしておいたから」


 ジップロック越しに受け取ったそれは、ほんのりと先輩の家の洗剤の匂いがした。私の服を、先輩が洗ったという事実に気づき、急に顔が熱くなる。


「ありがとうございます…ですが、なぜわざわざ、トイレの個室で?」


 ただの体操服なら、外で渡されても何の問題もないはずだ。


「だって、名前も書かれてるし、外で女子高生の体操服を手渡すのって、なんだか変じゃん?」


 …いや、個室に二人で入る方がよっぽど変だと思うが。心の中で叫んだツッコミは、口に出せなかった。先輩は、一点の曇りもない表情で私を見つめている。この異常事態に対し、彼女は一片の羞恥も感じていないのだろうか。


 妙な空気から逃れるべく、私が扉を開けようとしたその時、外から話し声が近づいてきた。


「いや~、見つかってよかったよ!」


 マズい、この状況を見られたら、瞬く間に変な噂が立ってしまう。私は反射的に扉を閉め、先輩を個室の隅へ押し込んだ。息を殺し、扉の隙間から外をのぞく。


「わざわざ、この本屋に来なくても良かったんじゃない?ネットとかで注文すれば…」


「いや、推しの写真集は自分の足で求めるのがいいの!」


 入ってきたのは、二人組の中学生だった。その制服には、強烈な見覚えがある。


「あれは、蜂ヶ海中学の…」


「あ、ゆいなの母校だっけ。赤いブレザーがかわいいよね」


 先輩が耳元でささやくと、私は頭に血液が昇るのを感じる。蜂ヶ海中学校は、ここから数キロ離れた場所にある私の母校だ。


「でも、これじゃ出にくいね」


「…大丈夫です。彼女達に私の姿は見えないでしょうし、隙を見て出ましょう」


「う、うん。わかった…」


 いつまでも密室に閉じこもっていては、余計に怪しまれる。それに、私の羞恥心メーターは既に限界を突破していた。


 私は先輩の手を引き、意を決して扉を開けた。突然開いたドアに、手洗い場にいた中学生達は一瞬驚いた表情を見せた。だが、すぐに彼女達の視線は犀川先輩の美貌に釘付けになった。


 先輩は余裕の笑みを浮かべ、軽く会釈しながら通り過ぎる。私はその背中に隠れるようにして、トイレを後にした。


 なんとか脱出成功、そう思ったのも束の間、背後から潜めた声が聞こえてきた。 


「…ねぇ、今の人、めちゃくちゃ綺麗じゃなかった?」


 やはり、犀川先輩に目を惹かれていたようだ。だが、もう一方が口を開いたとき、途端に不穏な空気が流れだした。


「…でも、あの人、個室から二人で出てこなかった?」


 心臓が、突如撃ち抜かれたような感覚に襲われる。


「え、二人?美人なお姉さん一人じゃなかった?」


「いや、二人いたよ。お姉さんと、ちょっと地味そうな子が」


 その言葉を聞いた瞬間、私は無意識に走り出していた。まさか、私が赤の他人に、しかもあんな状況で視認されるなんて想定外すぎる。


 書店の外にあるベンチまで逃げ込み、私は崩れるように腰を下ろした。顔を覆う私の背中を、先輩がやさしく撫でる。


「あの子まさか、ゆいなの事が見えてたなんてね」


「最悪です…あんなところを見られるなんて…」


 よりによってトイレの個室…先輩の評判に泥を塗ってしまったのではないかという申し訳なさが、後から波のように押し寄せてくる。


「大丈夫だよ!私は、ゆいなと一緒にトイレなんて余裕でできるから!」


 慰めるつもりなのか、先輩はとびきり艶やかな視線を送ってきた。


 正直言って、それは今の私の心を逆撫でする言葉だった。事情も知らないくせに、これ以上私の心拍数を乱さないでほしい。


 …いや、事情を知らないのではない。私が、伝えていないだけだ。この人は、ただ純粋に私を元気づけようとしてくれている。


 ここで怒鳴ってしまえば、あの動画騒動の二の舞だ。私はこみ上げてくる複雑な感情を無理やり飲み込み、精いっぱいの笑顔を先輩に向けた。


「…いや、ダメに決まってるでしょ!」


「ふふ…あ、やっぱりダメ?」


 冬空の下、私達は顔を見合わせて笑った。ただ一つ、心配べきはカバンの中の本に、トイレの芳香剤の匂いが移っていないかどうかだ。




作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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