第96話 それぞれの、結末
十年が過ぎた、ある梅雨の日。
美代子は、縁側で雨に濡れる庭を眺めていた。五十二歳になった彼女の肌は、相変わらず内側の水分を奪われ尽くしたような乾きを呈し、唇は常に切れていた。しかし、その表情には、以前にはなかった穏やかさが宿っていた。
そこに、香織と翔太が現れた。十年前と変わらない、十七歳の姿で。 「お母さん」 香織の声が、雨音に混じって聞こえる。
美代子は、娘たちの姿をじっと見つめていた。彼女たちは呪いから解放されたわけではない。永遠に続く、奇妙な生を生きている。しかし、そこには絶望はなかった。二人でいることの、静かな喜びがあった。
その時、三十数年ぶりに、美代子の表情が変わった。 涙は、やはり流れなかった。しかし、その乾ききった唇の端が、ほんのわずかに持ち上がったのだ。 それは、悲しみでも喜びでもない。罪悪感と、羨望と、そして娘が自分とは違う道を見つけたことへの、かすかな誇りが入り混じった、複雑で、そして人間らしい微笑みだった。
さらに数十年後。
美代子は、八十四歳で静かに息を引き取った。最期の夜は、激しい雨が降っていた。彼女の最期の言葉は「ありがとう、健一」だった。ベッドサイドのグラスに注がれた水は、翌朝まで一滴も減っていなかった。そして、その乾ききった肌からは、まるで長年の渇きが満たされたかのように、穏やかな潤いが戻っていたという。
和子のもとに香織が現れたのは、よく雨の降る、ある秋の夕暮れだった。庭先の濡れた紫陽花の葉のあいだに、半ば透き通った孫娘の姿が揺らいでいた。
「お祖母様」
雨音にまぎれて、確かに香織の声がした。
「亮介さんから、伝言です。——もう、苦しくない、と。ずっと、愛していた、と」
その瞬間、和子の目から、五十年ぶりに涙が零れた。それは雨のように透明で、皺の刻まれた頬を伝い、顎の先から、ぽたん、と落ちた。半世紀ものあいだ凍りついていた水が、ようやく溶けた音だった。
それから幾度かの季節を経て、和子はついに天寿を全うした。享年九十二歳。最期の夜もまた、雨が降っていた。最期の言葉は、「亮介、迎えに来てくれたのね」。その死に顔には、五十年ぶりに見せる、本当の微笑みが浮かんでいた。
田中源三郎は、調査記録を町の郷土資料館に寄贈し、七十三歳でこの世を去った。最後まで、弟の真実を追い求め続けた。彼の墓石には、こう刻まれている。
『真実は水の如し 清きも濁りも ただ流れゆくのみ』




