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水に取られた ー零れる刻限ー (改訂版)  作者: 大西さん
第一章 昭和四十七年、水無月
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第8話 この子だけは、渡さない

五月に入ると、亮介の態度が少し変わった。和子を見つめる目に、心配の色が混じるようになった。


きっかけは、ある雨の日のことだった。傘を半分こにして駅まで歩いたとき——濡れていないはずの和子の髪から、首筋から、つうっと水が伝っていた。汗にしては、冷たすぎる。ふと足元の水たまりに目をやって、亮介はもう一度、ぞくりとした。自分の姿は映っているのに、隣にいるはずの和子の姿だけが、なぜか、ほとんど映っていなかった。


「和子、濡れてないか」


「平気。雨、好きなの」


和子は、いつもの優しい笑みを浮かべた。亮介は結局、水たまりのことを口にできなかった。見間違いだと、自分に言い聞かせて。


「和子、最近顔色が悪いよ」 昼休み、久しぶりに二人で屋上に上がった時、亮介が言った。


「大丈夫です」


「本当に? 何か悩みがあるなら、相談してくれよ。俺たち、付き合ってるんだろ?」


亮介の真っ直ぐな言葉が、かえって辛い。真実を話せない自分が、嘘つきに思える。


「亮介君」


「うん?」


「もし、私が普通の女の子じゃなかったら、どうする?」


「普通じゃないって?」


「例えば……呪われた家系だったり」


和子は、冗談めかして言った。でも、亮介は真剣な顔で考え込んだ。


「それでも、和子は和子だよ。和子の家がどんなでも、和子自身は関係ない。俺が好きなのは、田辺家の娘じゃなくて、田辺和子だから」


亮介の言葉に、和子の目に涙が滲んだ。


「泣くなよ」


亮介が慌てて和子の頭を撫でる。大きな手。温かい手。


「ごめん、変なこと言って」


「和子」


亮介が、和子の顔を両手で包んだ。


「俺、実は知ってる」


「え?」


「和子の家のこと。町の人から聞いたんだ。最初はただの噂だと思ってた。でも、違うんだろ?」


和子の体が凍りついた。


「十八歳の女の子に、何か良くないことが起きるって」


「それで、なんで……私と」


「だから、守りたいんだ」


亮介の目が、真っ直ぐ和子を見つめている。


「何が起きるか分からないけど、俺が和子を守る。どんな呪いだろうと、俺が打ち破ってやる」


「無理よ…そんなこと…」


「無理じゃない」


「亮介君には関係ないことよ!」


「関係ある!」


亮介が、和子を強く抱きしめた。土と汗の匂い。野球のグローブの革の匂い。そして、太陽の匂い。


「愛してるからだ。愛してる女を守るのは、男として当たり前だろ」


その言葉を聞いた瞬間、和子の中で何かが壊れた。涙が、止まらなくなった。嬉しいのか、悲しいのか、分からない。ただ、涙が溢れ続けた。この温かい腕の中にいると、どんな呪いも消え去ってしまうような気がした。でも、同時に、この腕が自分を破滅へと導いていることも分かっていた。

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