第79話 本堂が息をしている
扉が開いた瞬間、香織と翔太は、息を呑んだ。
本堂の内部は、想像を絶する光景だった。床、壁、天井、すべてが有機的な曲線で構成されている。まるで、巨大な生物の内臓の中にいるような。壁は濡れていて、触れると温かい。三十七度。人間の体温と同じだ。血管のように張り巡らされた青い筋が、ゆっくりと脈打つのが見て取れる。その中に流れるのは、水。脈動するたびに、かすかな水音が響く。
ぽくん…ぽくん…
その音は、彼らの心臓の鼓動と共鳴し、奇妙な高揚感を掻き立てた。
本堂の中央には、あの穴があった。直径三メートルの、完全な円。底は見えない。ただ、下から冷たい風が吹き上げている。その風には、鉄錆と苔と、そして微かに腐敗臭が混じっていた。
穴の周りには、無数の古びた石像が立ち並んでいた。それらは、かつてこの場所で儀式を執り行った巫女たちの像だった。しかし、その顔は、すべて香織に似ていた。そして、その足元には、水に捧げられた男たちの像が跪いている。その顔は、亮介や聡、健一、そして見知らぬ無数の男たちに似ていた。その目からは、永遠に流れる水の涙が彫り込まれている。
新しいロープが、すでに設置されていた。
「誰が?」
「きっと、僕たちを待っていた誰かが」
穴の縁には、石の梯子が埋め込まれていた。しかし、長い年月を経て苔が生し、濡れて滑りやすくなっている。 「これだと、滑ってしまう」 翔太が呟くと、香織がロープを手に取った。 「命綱にしましょう」 ロープは、触れると脈打っていた。生きているロープ。いや、これはロープではない。何か生き物の、へその緒のような。
香織の体が、また勝手に動き始めた。それは、恐怖とは違う、抗いがたい引力に引かれるような感覚。穴の縁に立ち、下を覗き込む。 「ダメだ、香織ちゃん!」 翔太が、彼女の腕を掴んだ。しかし、香織の瞳は、もう翔太を見ていなかった。その目は、暗闇の奥にいる何かを見つめている。
暗闇の奥から、何かが呼んでいる。




