第73話 水は、すべてを覚えている
地下水路は、想像以上に深く、暗かった。懐中電灯の光が届く範囲だけが、かろうじて現実だった。足元は、踏むたびにくぷりと沈む泥。壁に手をつくと、指がぬるりと滑り、生暖かい水が手首まで伝う。しばらく進むと、彼は古い石造りの階段に出た。
「これだ…!ここが、水時計へ続く道…!」
彼は、喜びと興奮に震えながら、滑る石段を下りはじめた。だが半ばで、踏み出した石がぐらりと傾いだ。「うわっ!」体勢を崩した佐倉は、そのまま暗い水路へと投げ出された。
地下水脈から溢れた水は、太い腕にも似た力で佐倉の体を奥へ奥へと引きずっていった。指先が壁の苔を掻きむしったが、ぬめりに爪が滑るだけだ。冷たさが喉の奥までせり上がり、悲鳴は泡になって潰れる。意識が、急速に水の底へ沈んでいく。
「助けて…」
彼は、水の中で叫んだ。 すると、水の中から、無数の男たちの顔が浮かび上がってきた。
『ようこそ…仲間へ…』
それは、亮介でも、聡でも、健一でもない、無数の男たちの声だった。 彼は、水の中で、自分の体が水と一体化していくのを感じた。 皮膚が溶け、肉が流れ、骨が水草のように揺れる。 彼の意識は、水の記憶と混じり合っていく。 百五十年の悲劇、巫女たちの苦しみ、そして愛する者を失った男たちの絶望。 彼は、すべての真実を知った。しかし、それを誰かに伝えることはできない。 彼の最後の言葉は、誰にも届くことなく、水の底へと消えていった。
「真実は…水の如し…」
そして、彼のリュックとカメラは、水路の入り口に、まるで誰かが置いたかのように残されていた。 彼の失踪は、後日、地元警察によって「不審者による失踪」として処理された。しかし、地元の人々は知っていた。
「また、水に取られたんだ」と。




