第55話 音の、しない朝
六月十三日(木)天気:快晴 【儀式まで、あと七日】
その朝、香織は、静けさで目を覚ました。
おかしい、と思った。何かが、足りない。しばらくして、気づいた。——音が、しない。
あれほど絶え間なく耳の奥で鳴っていた水音が、ぴたりと止んでいた。ぽたん、も、ざわめきも、何も。耳が痛くなるほどの、完全な無音。
枕は、乾いていた。シーツも、肌も。あれほど毎朝、体から滲み出していた冷たい水が、一滴もない。喉に手を当て、唾を飲み込もうとしても、飲み込むものがなかった。唇は、紙のようにひび割れていた。
——お母さんと、同じだ。
その瞬間、香織は、ほんの一瞬だけ、安堵しかけた。水が、引いたのかもしれない。終わったのかもしれない、と。
けれど、違った。
窓の外は、雲ひとつない快晴だった。なのに、世界そのものが、息を止めているようだった。鳥の声も、風も、車の音も、何ひとつ聞こえない。からからに乾いた静寂が、町全体を覆っていた。
これは、水が消えたのではない。香織は、本能で理解した。水は、引いているのだ。大きく、息を吸い込むように。次に来る、ひと息のために。
満ちる前の、引き潮。
ぽたん。
無音を破って、たった一滴。それは、いつもの何倍も大きく、世界の底に響いた。
その音を合図に、香織の喉の奥から、ごぷ、と冷たい水が逆流した。乾いた朝は、終わった。あとはもう、満ちていくだけだった。




