表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水に取られた ー零れる刻限ー (改訂版)  作者: 大西さん
第十章 日常が、濡れていく
PR
52/65

第52話 送ったはずの、証拠が消える

六月四日(月)天気:曇り 【儀式まで、あと十六日】


その日、香織はスマホを握りしめて、家の中を歩いた。仏間で水瓶の前に跪く祖母の背中。台所で乾いた目のまま米を研ぐ母。自室で何時間もコップの水を飲み続ける姉。——証拠を、残さなければと思った。


動画をいくつも撮った。クラウドに上げ、数少なくなった友人たちにDMで送り、SNSにも鍵付きで投稿した。「もし私に何かあったら、これを見て」。送信完了の青いチェックマークを、何度も確かめた。確かに、送れている。


翌朝、確かめると、何もかもが、ずれていた。


クラウドの動画は、再生すると映像が止まり、ただ水の滴る音だけが流れた。ぽたん、ぽたん、と。ファイル名は、知らないうちに『水音.mp4』に書き換えられている。DMの履歴には、『あなたがメッセージを取り消しました』とだけ表示されていた。SNSの投稿は、タイムラインから跡形もなく消えていた。代わりに、誰かが古いハッシュタグ「#水牢の娘」をつけて、白いセーラー服の少女と、その少し離れたところに立つ、もう一人の男子学生の影が映る一枚の写真を流していた。学生服の襟は、五十年前の様式のものだった。投稿者のアカウントは、開いた瞬間に削除された。


友人のスマホを借りて、自分の連絡先を確かめてもらった。


「田辺さん、いないよ。連絡先にも、トーク履歴にも」


友人は震える指で画面を見せた。香織の名前は、どこにも、なかった。


データは、水に取られる。香織はそう悟った。記録は、現代の手段でも残らない。残るのは、誰かが書き換えた『水牢の娘』だけ。


耐えきれなくて、香織は翔太に電話をかけた。たった一人、この異常を信じてくれるはずの相手に。


呼び出し音が、三回。繋がった。画面には、確かに彼の名前が表示されている。


「もしもし、翔太君——」


『——ちゃん。き、れ……』


翔太の声は、ひどく遠かった。言葉と言葉の隙間に、ごぼ、ごぼ、と、水の底で泡が昇るような音が混じる。彼が水の中から喋っているのか、それとも、沈んでいるのは自分のほうなのか。


「翔太君、聞こえる? ねえ、聞こえてる?」


『……き……て……る……』


その返事が、彼のものなのか、それとも、回線の奥にいる、もっと古い誰かのものなのか、香織には、もう分からなかった。


スマホを耳から離すと、液晶の表面に、内側から滲み出したような細かい水滴が、びっしりと浮いていた。通話を切ろうとしても、濡れた画面は、香織の指を、もう、認識しなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ