第27話 確信に変わった日
翌日の放課後、翔太は再び図書室の民俗学コーナーに向かった。香織が、そこにいるような気がしたからだ。予感は的中した。彼女は、昨日と同じ本を、祈るように見つめていた。
彼女の周りだけ、空気が歪んでいるように見えた。西日が彼女の輪郭を曖昧に溶かし、まるで水の中に立っているかのように揺らめいている。
その揺らめきの中で、一瞬、香織の顔が、別の誰かに見えた。もっと古い、もっと悲しい面影に。
「……和子、さん?」
口をついて出かけた名前を、翔太は寸前で呑み込んだ。なぜ、今、その名が。会ったこともない、写真でしか知らない、五十年前の少女の名が。
背筋が冷えた。けれど、その冷たさの底に、ほんの少し、甘い疼きが混じっていることに、翔太は気づかないふりをした。
「その本、面白い?」
声をかけたのは、ほとんど無意識だった。彼女がこの呪いの中心にいるのなら、自分もまた、その渦の中に飛び込むしかない。
会話を交わし、本を一緒に読む。肩が触れ合うほどの距離。彼女の体温が感じられない。氷のように冷たい。しかし、その冷たさの奥に、微かな震えを感じた。恐怖と、孤独の震え。
守りたい。心の底からそう思った。
それは大叔父さんの想いと、同じ形かもしれない。でも、それ以上に——香織ちゃんの、この冷たい手を、ただ、温めていたい。胸が痛いほどに、そう思った。研究でも、運命でもなく、ただの一人の男として。
新聞の切り抜きを見つけた時、翔太の背筋を、すっと冷たいものが走った。大叔父の失踪と、彼女の家系。偶然だと思いたかった。でも——なんだか、嫌な感じがした。考えないようにすればするほど、その予感は、振り払えなくなっていった。
藤田先生の奇妙な寝言。そして、香織が語った「体が変わり始めている」という言葉。すべてが、一つの真実を指し示していた。
「やっぱり——もう一度言うよ。一緒に、真実を見つけよう」
彼女の手を握った時、翔太の体にも異変が起きた。彼女の冷たさが、自分の体内に流れ込んでくるような感覚。それは不快なものではなかった。むしろ、乾いた体に水が染み渡るような、奇妙な充足感があった。
けれど次の瞬間、翔太の目は、もう、机に広げた新聞の切り抜きへ戻っていた。亮介の最後の試合の見出し、行方不明の記事——彼の指は自然と、その文字をなぞりはじめる。香織が小さく息を吸う音にも、彼は気づかなかった。
しばらくして、はっとした翔太が顔を上げた。「あ——ごめん」と謝ったが、香織はもう微笑んでいた。「いいの。翔太君が、調べてくれてるんだから」その微笑みの底にある寂しさを、翔太は、まだ、見つけられなかった。
これが、呪いの始まりなのか。それとも、新しい何かの始まりなのか。
その夜、翔太の家でも水音が始まった。三十秒に一滴。逃れることのできない、水時計のカウントダウン。
香織にメッセージを送ると、彼女も同じ音を聞いていた。
『きっと、始まったんだ』
翔太は、そう返信しながら決意を固めていた。
亮介大叔父さん、見ていてください。俺は、あなたとは違う道を行く。犠牲になるのではなく、二人で運命を乗り越える道を。たとえ、その先に何が待っていようとも。
翔太は机に向かい、自分のノートを開いた。祖父の記録とは別の、新しい、真っ白なノート。その最初のページに、彼は力強い字でこう書き記した。
『第三の道を探すための記録。香織を、氷遠に愛する』
書き終えたあと、翔太は自分のペン先に目を落とした。「永遠」と書くはずの場所を、なぜ自分は、凍りつくような「氷」の字で綴ってしまったのか。自分でも分からなかった。ただ、喉の奥が、ひどく濡れていた。
窓の外では、雨が激しさを増していた。水音が、家全体を包み込んでいく。それは、翔太にとって、破滅への秒針の音であると同時に、何かが幕を開ける、序曲のようにも聞こえた。




