第28話 幕間:町の声
この町では、雨はただの気象現象ではない。それは記憶であり、予兆であり、そして人々の会話を支配する目に見えない主役だった。
【町の食堂、昼時】
食堂の女将が、客に出した水の入ったコップを指さす。
「あんた、この水、飲んでみな。他の町の水と違うだろ?」
常連客の老人は、水を一口飲むと、懐かしそうに目を細めた。
「ああ、違うな。この町の水は、昔からちょっと鉄錆の匂いがするんだ。でも、それがいい」
「そうだろう?山からの湧き水だからね。町の人たちはみんな、この味に慣れてるのさ。でも、よそから来た人は、最初はちょっと嫌がるんだよねえ」
女将は、そう言って笑った。しかし、その笑顔の奥には、どこか諦めにも似た影が差しているように見えた。 山の水は、町の命。誰もがその恵みを享受しながらも、その水の源流が、町の人々が口にしたくない「禁忌の山」であることを知っていた。
スーパーマーケットの鮮魚コーナーにて
「あら奥さん、今日も雨で嫌になっちゃうわねえ」
「ほんと。どうせまた、田辺さんとこの娘さんがお年頃なんでしょ」
カートを押す主婦二人の声は、ひそひそと、しかし確信に満ちている。
「うちのおばあちゃんが言ってたわ。あそこの娘が十八になる年は、決まって梅雨が長引くんだって。昔から、ずーっと」
「こわいこわい。だから、あのお屋敷の周りは、うちの子にも絶対近づくなって言ってるのよ」
「それがいいわよ。障らぬ神に祟りなし、だもの」
井戸端の話し声は、やがて夕暮れに溶けていった。誰も気づかなかった。その足元の側溝を、いつもより重く黒い水が、ゆっくりと、田辺家のほうへ逆流していたことに。




