第21話 調べてはいけなかった真実
俺は、ついに古文書の解読に成功した。 それは、この町に伝わる「水神祭祀記録」だった。
そこに記されていたのは、紛れもなくあの忌まわしい儀式の記録だった。
十八の齢に達した巫女が愛する者を水に捧げ、人ならざる美を得る——江戸の末から明治を経てなお、密かに絶えることなく続けられてきたのだと。
俺は、さらに古い記述も発見した。
『水神は、孤独な神である。ゆえに、愛し合う者たちを求める。その愛が深ければ深いほど、水神は喜ぶ。しかし、それは同時に、最も残酷な別離でもある』
——なぜ、愛する男でなければならないのか。その問いの答えも、さらに別の写しの中にあった。
『水神が欲するのは、男の命ではない。男と巫女のあいだに通う、愛そのものである。憎い相手を沈めても、見知らぬ者を沈めても、水神の渇きは癒えぬ。深く、真実に愛し合うた二人——その絆こそが、水神の啜る、ただ一つの水なのだ。
ゆえに巫女は、捧げる前に、心の底から男を愛さねばならぬ。愛なき供物に、価値はない。水神は二人の愛を一息に飲み干し、その代価として、巫女に永遠の美を授ける。失うた愛が深いほど、巫女は美しゅうなる。
そして男は、愛を吸い尽くされた抜け殻となりて、永遠に水底へ沈むのである』
俺は、ノートを取り落としそうになった。
つまり、こういうことだ。
巫女は、最も深く愛した相手を、最も深く愛したがゆえに、自らの手で水へ沈めねばならない。愛が深ければ深いほど水神は満たされ、巫女はより美しくなる。逆に、愛のない犠牲では、呪いは決して満たされない。
和子は、亮介を、本当に愛していた。だからこそ——あの儀式は、成ってしまった。
この呪いの芯にあるのは、ただの因習でも、ただの生贄でもない。人が人を想う、その心そのものを喰らって肥える——底なしの飢えだった。
——この呪いを回し続けているのは、結局、二つのものだ。時間と、愛。水時計が刻む、借り物の時間。そして、巫女が捧げる、本物の愛。水神は、時を数えながら、その愛を啜って、永らえてきた。
この呪いは、百五十年以上も前から続いていたのだ。 そして、和子の家系は、代々この儀式を執り行ってきた。亮介は、その百五十年続く呪いの、一つの犠牲に過ぎなかったのだ。
俺は、亮介の部屋を、彼の私的な霊廟に変えた。毎晩、仏壇に線香をあげ、彼の写真を磨いた。
「亮介、俺は忘れない。お前が何のために死んだのか、絶対に忘れない」
俺は、亮介の死を無駄にしないために生きてきた。呪いの根源を突き止め、いつかこの町から消し去るために。
だが、五十年の歳月が流れた今、俺に残っているのは、孤独な執念と、枯れた涙だけだった。俺の体も、もう限界だ。
ふと窓の外を見ると、息子が、その子である翔太の肩を抱いていた。翔太は、俺にそっくりだ。特に、目元が。真実を追い求めて目を潤ませる姿は、まるで昔の俺を見ているようだった。
俺は、自分の執念が、孫にまで呪いとして受け継がれていく恐怖を感じた。
しかし、同時に、微かな希望も感じた。
翔太は、俺とは違う。亮介のように、優しさと真っ直ぐさを持っている。そして、俺が手に入れられなかった「愛」を持っている。
もしかしたら、この子なら——。俺は、その根拠のない願いに、残りわずかな望みを賭けるしかなかった。




