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雪月花  作者: 湯灯畳
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第八十二夜 解毒

「……どうするんですかい?

 このままじゃ……」


「よい、下がっておれ」


九尾は、戸惑う動物たちを背に庇いながら、ただ一点――戦場を見据える。


 


湯けむりが、ゆらりと揺れる。


白かったはずのそれが、いつの間にか、鈍い鉛色へと濁っていた。


 


――水面。


 


沈んでいた鬼の影が、ゆっくりと浮かび上がる。


水を割り、顔を出す。


 


息を、吐く。


 


肺の奥に残っていた何かが、抜けていく。


 


眩暈。


だが――


 


腕を見る。


裂けたはずの傷口。


 


「……痛く、ない」


 


指でなぞる。


皮膚は破れている。


だが、毒の気配が、ない。


 


「……なるほど」


 


視線を、湯へ。


 


「湯が――解いてる」


 


その瞬間、身体が動いた。


 


跳ね上がる。


 


水飛沫が弾ける。


 


一直線に、女将のもとへ。


 


縋りつくように絡む、化け物の前肢。


 


そこへ――


 


踏み込む。


 


焔。


 


黒い左腕に、凝縮する。


 


一瞬、呼吸を止める。


 


――叩き込む。


 


鈍い感触。


 


遅れて、裂ける音。


 


前肢が、ねじ切れるように宙を舞う。


 


「ひぃ……!」


 


薬売りの、甲高い悲鳴。


 


蛇がしなる。


 


だが、遅い。


 


見えている。


 


躱す。


 


そのまま、女将の身体を抱き上げる。


 


軽い。


 


異様なほどに。


 


そのまま――湯へ。


 


「……さん」


 


腕の中で、女将が呟く。


 


焦点の合わない瞳。


 


「私……」


 


その瞬間。


 


ぞわり、と。


 


女将の身体から、冷気が溢れ出す。


 


空気が凍りつく。


 


焔が、消える。


 


「……っ」


 


膝が、抜ける。


 


力が、入らない。


 


そのまま前のめりに崩れ――


 


腕から、女将が零れ落ちる。


 


硬い石の床へ。


 


鈍い音。


 


受け身も取らず、背中から落ちる。


 


そのまま、動かない。


 


仰向けのまま。


 


天を見ている。


 


焦点の合わない瞳。


 


呼吸だけが、かすかに上下している。


 


「……女将さん!」


 


叫ぶ。


 


だが。


 


返らない。


 


起き上がる気配もない。


 


ただ、虚ろなまま、天を見つめているだけだった。


 


 


――背後。


 


ぬちゃり、と。


 


何かを引きずる音。


 


振り返る。


 


化け物が、這い出てくる。


 


折れた肢を、ずるずると引きずりながら。


 


「治療……」


 


掠れた声。


 


「治療ぢでやる……」


 


もはや、人の音ではない。


 


左腕。


 


皮膚が裂け、内側から焼け爛れている。


 


焔は消えていないが――


 


むしろ、制御を失った熱が、肉を内側から焦がしている。


 


「……チッ」


 


蛇が、来る。


 


今度は、速い。


 


だが。


 


まだ、見える。


 


黒い腕で、叩く。


 


軌道が逸れる。


 


そのまま――


 


一直線に。


 


神木へ。


 


 


ドスッ、と。


 


 


深く、突き刺さる。


 


 


静寂。


 


 


――次の瞬間。


 


 


神木が、脈打った。


 


 


――第八十二夜・了

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