↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『僕たちの神様』  作者: 根古野 惹句


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/13

第11話 あと一つ


「美咲だけなんだよ」


直人が言った。美咲は、描いていた線を止めた。


「何が?」


「まだなんだ」


「だから何が」


電話の向こうで、直人が少し黙った。午後十一時十二分。美咲は自宅の仕事机に向かっていた。明日の午前中までに出すラフが、まだ三枚残っている。


「直人」


『うん』


「今何時だと思ってる?」


『十一時くらい』


「十二分」


『細かいな』


「仕事中なの」


『ごめん』


「で、何」


『いや、だったら明日でいいよ』


「気になるじゃん」


『仕事終わってからでいい』


「今言って」


『でも』


「直人」


『うん』


「今言わなかったら、気になって仕事できない」


少し間があった。


『……神様』


美咲は眉を寄せた。


「神様が何?」


『美咲だけ、ちゃんと言ってない』


「何を?」


『信じるって』


美咲はしばらく黙った。それから、


「ああ」


と声が出た。八年前。絵の仕事だけでやっていけるようになった頃。


直人に聞かれた。


――これで神様、信じる?


自分は答えた。


――そうかもしれないね。


美咲は椅子にもたれた。


「そこ?」


『うん』


「今さら?」


『今さらって』


「八年前の話でしょ」


『七年七か月くらい』


美咲は目を閉じた。


「怖いよ」


『何が?』


「そこまで覚えてるの」


『だって大事だから』


まただ。美咲は目を開けた。


「直人」


『うん』


「『そうかもしれない』じゃ駄目なの?」


『駄目っていうか』


「駄目なんだ」


『いや、そうじゃなくて』


「じゃあ何」


直人が言葉に詰まる。美咲は待った。


『ちゃんと聞いときたいんだ』


「なんで?」


『……』


「四つとも叶ったんでしょ。哲也も、浩介も、香織も、私も」


『うん』


「じゃあ何が足りないの?」


電話の向こうで、直人が息を吸った。


『信じること』


美咲の顔から、少しずつ表情が消えた。


『願いが叶ったら、信じられるだろ』


「……」


『そういう約束だったから』


美咲は何も答えなかった。約束。また、その言葉だった。



翌日。美咲は哲也の店にいた。開店前。


哲也は厨房で玉ねぎを切っている。


「で?」


包丁を動かしたまま聞く。


「何て言った」


「何も」


「何も?」


「仕事あるから切った」


「正解」


「でも」


「でも?」


美咲はカウンターに頬杖をついた。


「なんか引っかかって」


哲也が手を止める。


「何が」


「直人」


「それは昔から引っかかる奴だろ」


「そうじゃなくて」


「じゃあ何」


「焦ってる」


哲也が美咲を見る。


「焦ってる?」


「うん」


この前、香織が話していたことを思い出す。


――夢は変わっていい。

――願ったから。


そこへ昨夜の直人の声が重なった。


――美咲だけ、ちゃんと言ってない。


「昨日ね」


美咲が言った。


「私だけ『信じる』って言ってないって」


哲也の眉が動く。


「……そこまで数えてんのか、あいつ」


「みたい」


「俺たちはもう言った。残ってるのはお前だな」


「私は『そうかもしれない』だからね」


哲也は吹き出した。


「一番ずるい」


「前も言われた」


包丁の音が、また一定に続く。


「で、どうすんだ」


「分かんない」


「信じるって言えばいいだろ」


「簡単に言うね」


哲也の包丁が止まった。


「俺のときは、店ができて、あいつが嬉しそうで。だからまあいいかと思った」


「うん」


「でも今のは」


哲也が眉を寄せる。


「確認作業みてえだな」


美咲は黙った。再び、包丁の音だけが一定に続いた。


昨日の「美咲だけ」が、耳に残っている。


「あと一人」


美咲が言った。


「何?」


「直人、最近ずっと言ってたでしょ」


哲也の手が止まった。


「あと一人」


「ああ」


「私が『信じる』って言えば、それでいいのかな」


哲也が美咲を見る。


「それで、あいつは満足すんのか?」


「分からない」


「でも願いは、俺の店で四つとも叶っただろ」


「うん」


「その先に、まだ何かあるってことか」


「……うん」


哲也が包丁を置いた。


「……何する気なんだ、あいつ」


二人とも黙った。



夕方。五人のグループに、直人からメッセージが来た。


『今週の日曜、空いてる?』


最初に返したのは浩介だった。


『内容による』


香織。


『夜なら』


哲也。


『店ある』


直人。


『閉店後でもいい』


哲也。


『俺を基準にすんな』


美咲は返さなかった。少しして、直人から個別に来た。


『昨日はごめん』


美咲は画面を見た。


『何が?』


『仕事中に電話した』


そこだけか。美咲は笑ってしまった。


『日曜の話、何?』


既読。返事が来るまで少しかかった。


『みんなに話したいことがある』


美咲の指が止まった。


『あと一人のこと?』


既読。一分。二分。


返事。


『うん』


それだけだった。



日曜日。結局、哲也の店に集まった。閉店後。


「ここ集会所じゃねえんだけど」


哲也が言った。


「いいじゃん」


直人が答える。


「売上に貢献しろ」


「何か頼むよ」


「閉店後だ」


「じゃあ明日」


「定休日」


「明後日」


「毎日来るな」


いつものやり取り。いつもの五人。


直人は、古い布製のショルダーバッグを膝から下ろした。


中から小さな箱を出した。


「何それ」


香織が聞く。


「昔のやつ」


蓋を開ける。写真。メモ。


錆びたキーホルダー。色褪せた紙。小学生の頃のものばかりだった。


美咲が笑う。


「まだ持ってるの?」


「うん」


「ほんと何でも取ってるね」


浩介は笑わなかった。直人が一枚の紙を取り出した。折り目が何本もついている。かなり古い。


「これ」


哲也が覗く。


「何だ?」


「願ったやつ」


空気が変わった。美咲が手を伸ばす。


「見せて」


「字汚いよ」


「子供なんだから当たり前でしょ」


紙には、子供の字が並んでいた。香織。美咲。


浩介。哲也。名前と、その横に短い言葉。


香織の横。


『しあわせなかぞく』


美咲。


『えをかくしごと』


浩介。


『せかいをみる』


哲也。


『じぶんのみせ』


哲也が言った。


「四人じゃん」


直人が顔を上げる。


「うん」


「お前のは?」


「ないよ」


「は?」


「俺、決められなかったから」


美咲が直人を見る。三十四年前の、秘密基地。


――次、直人。


――何したい?


――分かんない。


確かに、そうだった。香織が紙を見る。


「じゃあ、ずっと言ってた『あと一人』って何?」


直人は答えなかった。哲也の顔から、少しずつ冗談が消える。


「直人」


「うん」


「願いは四つしかねえぞ」


「分かってる」


「だったら」


哲也が言った。


「美咲が信じたら、それで終わりなのか?」


直人は紙を見た。それから。美咲を見た。


「美咲」


「……何」


「神様、信じる?」


哲也が顔をしかめた。


「おい」


直人は哲也を見ない。美咲だけを見ている。


「ちゃんと聞きたい」


美咲は、紙に並んだ四つの名前を見た。


それから直人を見る。


「私が信じるって言ったら」


美咲は聞いた。


「どうなるの?」


直人の指が、親指の爪に触れた。いつもの癖。


「何が?」


「その先」


「……」


「何するの?」


直人は答えなかった。哲也が言う。


「それ俺も聞きたい」


香織も直人を見る。


「私も」


浩介だけが、紙を見ていた。


「直人」


美咲は言った。


「何するつもり?」


「まだ」


「まだ?」


「全部揃ってないから」


「だから私が信じたら?」


直人の喉が動いた。


「話す」


「今じゃ駄目?」


「駄目」


「なんで」


「先に揃えたい」


「何を」


直人は、今度ははっきり言った。


「五人」


誰も喋らなかった。



「五人って」


哲也が言った。


「俺ら?」


「うん」


「何を揃えるんだよ」


「信じること」


「だからその先は何なんだよ」


「揃ったら話す」


哲也が苛立って立ち上がる。


「面倒くせえ!」


「哲也」


香織が止める。


「順番逆だろ!」


哲也は直人を指した。


「何するか分かんねえのに、先に信じろって何だよ!」


直人も立ち上がった。


「別に何かやらせようとしてるわけじゃない」


「だったら言えよ!」


「まだ言えない」


「なんで!」


直人が黙る。哲也はさらに言おうとした。美咲が止めた。


「哲也」


「でもよ」


「いい」


美咲は直人を見る。


「分かった」


直人が顔を上げる。


「美咲?」


「信じるよ」


店の中が静かになった。直人は、すぐには反応しなかった。


「神様」


美咲は言った。


「信じる」


香織が美咲を見る。哲也も。浩介も。


美咲には、全員の視線が分かった。でも続けた。


「私の願い、叶ったから」


直人の目が、わずかに潤んだように見えた。


「本当に?」


美咲は、古い紙の自分の名前を指先で一度叩いた。


「そこまで覚えてた人に、今さら何回言わせるの」


直人はゆっくり息を吐いた。


「そっか」


それまでで一番、大きく肩の力が抜けた。


「これで」


直人が言った。誰も動かない。


「これで全員だ」


哲也の顔が変わる。香織が息を止める。美咲は直人を見た。浩介だけが、目を閉じた。



「じゃあ話せ」


哲也が言った。


「約束だろ」


直人は頷いた。


「うん」


鞄の中へ手を入れる。古い写真を出した。六人。


秘密基地の前。真ん中に、湊。直人は写真をテーブルに置いた。四人の表情が変わる。


「今度」


直人が言った。声が、少し震えていた。


「みんなで帰ろう」


香織が聞く。


「どこに?」


直人は答えた。


「秘密基地」


浩介が顔を上げる。


「まだあるか分かんないぞ」


「探す」


「山も変わってる」


「それでも」


「御神体だって」


浩介は言いかけて、止まった。直人が浩介を見る。


「あるんだろ?」


浩介は答えない。


「この前、倉庫にあった」


「……」


「見つけたよ」


浩介の表情が固まる。哲也が写真を指した。


「で」


直人を見る。


「なんで今さら基地に行くんだよ」


直人は、湊の顔へ指を置いた。


「やることがあるから」


「何を?」


直人は、少し笑った。


「次に話す」


哲也が立ち上がった。


「お前な!」


香織が笑った。


「そこまで言ったら言いなさいよ!」


美咲も、思わず笑ってしまう。


「直人、本当にそういうところあるよね」


「ごめん」


「今言って」


「ちゃんと話したいんだ」


「何が違うの?」


「場所も含めて」


美咲の笑顔が消えた。


「場所?」


「うん」


直人は写真を見た。


「六人だった場所で」


その言葉だけで、誰も続きを聞けなくなった。



帰り道。美咲と香織が並んで歩いた。少し前を哲也。


さらに前を浩介が歩いている。直人は店に忘れ物をしたと言って、まだ残っていた。香織が小さく聞いた。


「今の、信じたの?」


美咲は少し考えた。


「何を?」


「神様」


美咲はすぐには答えなかった。


「少なくとも」


やがて言った。


「私が忘れたことを、あの人が覚えてたのは本当だから」


香織はそれ以上聞かなかった。少し前で、哲也が振り返る。


「お前ら遅えぞ!」


「聞こえてるよ!」


香織が叫ぶ。浩介は振り返らなかった。



店では。直人が一人で、六人の写真を見ていた。


「これで全員だ」


もう一度、小さく言った。哲也。美咲。


香織。浩介。そして自分。


五人。条件は揃った。直人は、写真の湊を見る。


十歳。笑っている。三十四年間、変わらない顔。


直人の指が震えた。


「待たせたな」


誰もいない店で、呟いた。


「今度こそ」


写真の湊は、何も答えない。それでも直人は、確信していた。ようやく。三十四年前の続きを、始められる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。