第7話:商店街の看板娘と、神々の嫉妬
朝から抜けるような青空が広がっていた。
八百万荘の主、神代巡は、使い古された買い物カゴを自転車の荷台にくくりつけ、意気揚々とアパートの門を出ようとしていた。
今日は近所の『やおさき商店街』の特売日だ。特に八百屋のサキさんの店では、ジャガイモやタマネギが袋に詰め放題という、貧乏管理人にとっての聖戦が開催される。
「待て、巡! 妾を置いてどこへ行くつもりじゃ!」
「管理人殿! 斥候としての任務、私にこそ相応しい。単独行動は危険だ!」
背後から響く二つの声に、俺は思わずブレーキを握った。
振り返れば、ジャージ姿にサンダルという、すっかり「ぐうたら女神」が板についたヒノカと、相変わらず季節外れのトレンチコートを羽織ったシグルが、こちらを鋭く見据えていた。
「いや、ただの買い物ですよ。二人を連れて行くと、目立つし、余計なものを買わされるからお留守番です」
「ならぬ! 昨夜の給湯器の件で分かったはずじゃ。お主が目を離した隙に、何が起きるか分からぬのじゃぞ。それに……お主がいつも野菜を買っているという、あの『さき』とかいう女子も気になる」
「女子……って、ただの八百屋の娘さんですよ」
ヒノカがジト目で詰め寄ってくる。どうやら女神の直感(あるいは単なる食い意地)が、外の世界の女性に対して警戒心を抱いているらしい。
結局、二人の猛抗議に押し切られ、俺は三名での遠征を余儀なくされた。
***
商店街は、朝から活気に溢れていた。
威勢の良い掛け声が飛び交い、惣菜の焼ける香ばしい匂いが漂う中、俺たちは目的の八百屋『やおさき』へとたどり着いた。
「あ、巡くん! いらっしゃい! 今日も早いね!」
店先で威勢よくキャベツを並べていた少女が、俺に気づいて満面の笑みを浮かべた。
彼女がサキだ。この商店街のアイドル的存在で、巡が就活に失敗して落ち込んでいた時期にも、何も聞かずにサービスのミカンを渡してくれた恩人でもある。
「こんにちは、サキさん。今日もすごい人ですね。詰め放題、まだありますか?」
「もちろん! 巡くんのために、一番いいジャガイモを残しておいたよ。……って、あれ? 後ろの可愛い子たちは……親戚の子?」
サキの視線が、俺の背後で左右に分かれて店を値踏みしている二人へと向いた。
ヒノカは高く積み上げられたリンゴを「ふむ、これはなかなか良い神気を纏っておるな」と鑑定士のように眺め、シグルはゴボウの束を「……良い。この長さ、この硬度。槍の代わりにならなくもない」と物騒なことを呟いている。
「あ、ええと……。新しくアパートに入った住人の子たちで。今日はその、買い物の仕方を教えに来たというか……」
「へぇー、巡くんも大変だね。でも、なんだか賑やかで楽しそう!」
サキが屈託のない笑顔で、俺の肩を軽く叩いた。
その瞬間だった。
ヒノカがスッと俺たちの間に割り込み、サキの手を払うようにして、俺の腕にしがみついた。
「おい、下界の娘。あまり軽々しく巡に触れるでない。この男は、妾の――そう、妾の専属の給仕係(管理人)なのじゃからな!」
「あ、私も異議なしだ! 主殿は我ら八百万荘の要。不審な接触は、警護上の問題が生じる!」
シグルまでが、ゴボウを抜刀せんばかりの勢いで構える。
サキは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにクスクスと笑い声を漏らした。
「あはは! そっか、巡くん、モテモテなんだね! 良かったじゃん、あんなに暗い顔して歩いてたのに」
「サキさん、誤解です! ほら、二人とも、サキさんに失礼でしょ!」
俺は慌てて二人を引き剥がそうとしたが、ヒノカは腕を離そうとしない。
それどころか、彼女の周囲の温度がじわりと上がり始め、売り場のトマトが熟しそうな勢いだった。
「巡よ。妾は決めたぞ。この店にあるジャガイモ、すべて買い占めるのじゃ! あの娘に余計な口を叩かせぬほど、お主を忙しくさせてやるわい!」
「そんな予算、どこにあるんですか! 詰め放題の一袋だけですよ!」
結局、俺はサキに「ごめん、また後で!」と謝りながら、暴走する女神たちを宥め、なんとかジャガイモを袋の限界まで詰め込んだ。
サキが「巡くん、頑張ってね!」と袋にさらにおまけのニンジンを突っ込んでくれた時には、シグルが「……なんと慈悲深い。これが敵軍の補給作戦か……」と戦慄していた。
帰り道。自転車の両ハンドルに重い袋を下げて歩く俺の隣で、二人の神様はどこか不服そうな顔をしていた。
「巡……あの娘は、お主のことをよく知っているようじゃな」
「ただの馴染みの店ですよ。俺が一番苦しかった時に、助けてくれた人なんです」
俺が少しだけ真面目なトーンで答えると、ヒノカはふいっと顔を背けた。
その耳の端が、少しだけ赤くなっている。
「……ふん。ならば、仕方のないことよ。じゃが、次は妾も同行する。お主のようなお人好しは、すぐに悪い女に騙されるからのう」
「主殿。私も、商店街の地形を完全に把握した。いざという時は、私が最優先で退路を確保しよう」
「だから、ただの買い物だって言ってるじゃないですか……」
アパートが見えてくると、門の前で九十九所長が、何やら薄気味悪い、黒い布に包まれた大きな荷物を持って待っていた。
「あ、お帰り巡くん! 買い出しご苦労様。実はさ、新しい『厄介なお客さん』……じゃない、入居希望者を連れてきちゃったんだよね」
所長の言葉に、俺は抱えていたジャガイモを落としそうになった。
また増えるのか? 俺の平穏な、そして火の車な日常に、さらなる火種が投下されようとしていた。




