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八百万荘の管理人 〜信仰を失った女神様たちに、温かいご飯と居場所を〜  作者: 寝不足魔王


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第23話:太陽の女神、画面越しに世界を照らす

 八百万荘の二階、二〇一号室から、耳をつんざくような快哉が響き渡った。


「巡ー! 巡よ、今すぐここへ参れ! 妾の美貌が、ついに下界の民たちを跪かせたぞ!」


 一階で溜まりに溜まった洗濯物を畳んでいた俺、神代巡かみしろ・めぐるは、手にした靴下を放り出して階段を駆け上がった。ドアを開けると、そこには液晶画面をこれでもかと光り輝かせ、ドヤ顔で胸を張るヒノカと、その傍らで不敵な笑みを浮かべてタブレットを叩くコトネの姿があった。


「なんですか、朝から。またネット通販で変なものでも買ったんですか?」

「失礼なことを言うな! 見よ、この『いんすたぐらむ』という鏡を! 妾が昨日、コトネに唆されて投稿した一枚の画像が、今や万単位の『いいね』という名の供物を集めておるのじゃ!」


 ヒノカが突き出してきたスマートフォンの画面には、アパートの縁側でポテトチップスを無造作に齧る彼女の姿があった。

 ボサボサの赤髪に、着古したジャージ。本来なら「だらしない」の一言で片付けられるはずの光景だが、逆光となった午後の陽光が彼女を黄金色に縁取り、その瞳は宝石のように透き通っている。

 そこに添えられたキャプションは一言。『光栄に思え、下界の民よ』。


「巡、これを見てみい。うちのプロデュース能力と、ヒノカの素材の良さが噛み合った結果や。フォロワー数は既に数万人。広告案件の打診まで来とるで。まさに太陽の如き爆速の成長や!」

「広告案件って……コトネさん、ヒノカ様をタレントにするつもりですか?」

「タレントやない、インフルエンサーや。ヒノカがこのままネット界の太陽として君臨すれば、信仰心フォロワーは無限に増え続ける。そうなれば、八百万荘の家計は一気に黒字。巡、あんたを一生養ってやることだって可能やで!」


 コトネの言葉に、ヒノカはさらに鼻を高くした。

 彼女にとって、SNSの通知音は、かつて神殿に捧げられた鐘の音に等しいのだろう。人々が自分を称賛し、その姿に魅了される。その事実が、消えかけていた彼女の神格を、かつてないほど鮮烈に、力強く再定義し始めていた。


「左様じゃ! 下界の民どもは、真の美というものを求めておったのじゃな。巡、お主も誇らしく思え。お主が養っておるのは、世界を熱狂させる時の人なのじゃぞ!」

「……まあ、存在が安定するのは良いことですけど。でも、あんまり調子に乗らないでくださいよ。有名になればなるほど、外に出るのが大変になるんですから」


 俺が少しだけ苦言を呈すると、ヒノカは不満げに頬を膨らませた。

 彼女は俺の隣に歩み寄ると、画面に流れる賞賛のコメントを一つずつ指でなぞりながら、期待に満ちた瞳で俺を見上げた。


「……で、巡。お主はどう思うのじゃ。この、民たちが絶賛する妾の姿を。お主も、何か言うことはないのか?」


 ヒノカの問いかけに、部屋にいたシグルやミナト、そしてスガワラまでもが、作業を止めて俺の反応を伺い始めた。

 彼女たちは皆、自分たちが外の世界で認められていく姿を、一番近くにいる俺に「肯定」してほしいのだ。


「どう、と言われても。……綺麗だと思いますよ。ヒノカ様は、最初からずっとそうですけど」

「な、なな……! お主、さらりと何を……! 妾を誰だと思っておる、気安く綺麗などと……!」


 ヒノカは顔を真っ赤にして後退りした。

 彼女は万単位の見知らぬ他人からの賞賛よりも、俺の無頓着な一言に、その心臓を射抜かれていた。


 ***


 数日後。ヒノカの人気は留まるところを知らず、ついに本格的な「ファッションモデル」としての撮影依頼が、アパートに舞い込んできた。

 依頼主は、新進気鋭のアパレルブランド。コンセプトは『現代に降臨した不遜な神』。これ以上ないほどヒノカにぴったりの役どころだ。


「よし、ヒノカ。これが勝負どころや。今日は巡も付添人として同行させるから、しっかり決めてや!」

「御意じゃ! 巡、見ておれ。妾の真の輝きを、その目に焼き付けてやるわい!」


 撮影現場は、都心の廃工場を利用したスタジオだった。

 最新の照明機材が並び、スタッフたちが慌ただしく動き回る中、プロのメイクを施され、豪華なドレスを纏ったヒノカが現れた。


 俺は、その姿に息を呑んだ。

 いつもアパートで「飯、飯!」と叫んでいる少女の面影はない。

 そこに立っているのは、万物を統べる至高の存在としての、圧倒的なオーラを放つ女神そのものだった。

 カメラマンがシャッターを切るたびに、スタジオ全体の温度が数度上がるような、錯覚すら覚える。


「……すごいな。本当に、手が届かない人みたいだ」


 俺が漏らした呟きは、レンズの向こう側にいたヒノカの耳に届いてしまったらしい。

 彼女は一瞬だけポーズを崩し、カメラを無視して、スタジオの隅に立つ俺をじっと見つめた。


「――何を言っておる、巡」


 彼女の声が、静まり返ったスタジオに響いた。


「妾の光が、お主の手から逃れることなど万に一つもないわ。……この輝きは、お主が日々、妾の空腹を満たし、名前を呼び続けたからこそ放てるものなのじゃぞ。……忘れるな、妾の『一番の信徒』は、お主であるべきなのじゃ」


 スタッフたちが困惑する中、ヒノカは不敵に、そしてどこか甘えるように微笑んだ。

 彼女にとって、何万人のフォロワーも、世界中からの賞賛も、俺の隣で過ごす「日常」の添え物でしかないのだ。


 撮影が終わり、深夜の帰り道。

 俺たちは二人、街灯のまばらな住宅街を、八百万荘へと歩いていた。

 派手なドレスを脱ぎ捨て、再びジャージ姿に戻ったヒノカは、どこか満足げに俺の袖を掴んでいた。


「巡。……モデルという仕事も、悪くはないな。……だが、やはり妾は、お主の作った不恰好な目玉焼きを食べる時の方が、自分が『神』であると実感できるわい」

「……そうですか。じゃあ、明日の朝は奮発して、一番高い卵を買ってきますね」

「ふん、当然じゃ! ……それと、あの『いいね』というやつ、お主も押しておけ。……お主の供物だけが、妾には一番効くのじゃから」


 ヒノカの赤い髪が、月光に照らされて優しく揺れる。

 画面越しに世界を照らす太陽の女神は、アパートに帰れば、ただ一人の管理人の愛情を求める、一人の少女に戻る。

 

 家計簿の数字は、コトネの策略によって劇的に改善されるかもしれない。

 けれど、俺たちが積み上げていくこの「なんてことない時間」の価値だけは、どんなインフルエンサーでも、どんなシステムでも、決して測ることはできないのだ。


「巡、早く帰るぞ。お腹が空いた。……今夜は、ポテトチップスを一緒に食べることを許してやる!」

「はいはい、わかってますよ。……でも、夜更かしは肌に悪いって、さっきメイクさんに言われたでしょ?」

「うるさいわい! 妾の肌は、神聖なる神気で常に保たれておるのじゃ!」


 賑やかな言い争いが、夏の夜空に溶けていく。

 管理人の俺は、彼女の繋いだ手の温もりを確かめながら、明日もまた彼女のために、最高の朝飯を作ろうと心に決めた。


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