第22話:戦乙女、未知なる戦場(レジカウンター)に立つ
八百万荘の朝は、一通の「宣戦布告」によって幕を開けた。
管理人室のちゃぶ台に正座し、決死の表情で俺、神代巡を見つめるのは、二〇二号室のシグルである。彼女の膝の上には、近所のコンビニエンスストア『マツヤ』の求人チラシが恭しく置かれていた。
「主殿、私に新たな任務を与えてほしい。……私は決意した。この現代という平穏な時代において、ただ貴殿に養われるだけの『食客』でいることは、戦乙女としての矜持が許さぬ。私もまた、対価を得て、このアパートの兵站を支える一翼を担いたいのだ!」
シグルの瞳には、かつて戦場を駆けていた頃のような鋭い光が宿っていた。
俺は、彼女が差し出したチラシと、その凛々しすぎる顔を交互に見比べた。
「シグルさん。……気持ちは嬉しいですけど、コンビニのバイトって、結構大変ですよ? 接客とか、レジ打ちとか、公共料金の支払いとか……。戦場とは、また違った種類の『戦い』が待っていますけど」
「案ずるな、主殿。このシグル、いかなる過酷な環境にも即座に適応してみせる。……さあ、面接という名の儀式へ、私を送り出してくれ!」
結局、俺の心配を余所に、シグルはトレンチコートを脱ぎ捨てて面接へと向かった。
驚くべきことに、そのあまりにもキビキビとした動作と、軍隊並みの返事の良さが店長の心に刺さったのか、彼女はその日のうちに採用を勝ち取ってきた。
***
シグルのアルバイト初日。
俺は、心配で居ても立ってもいられず、帽子を深く被り、変装用の眼鏡をかけて『マツヤ』の様子を伺いに行った。
二階の女神たちも「シグルの初陣を見届けねばならぬ!」と鼻息を荒くしてついてきたが、目立つので店の外の植え込みに待機させてある。
自動ドアをくぐった瞬間、俺の鼓膜に、戦場を揺るがすような怒号に近い挨拶が響き渡った。
「――いらっしゃいませ! 貴殿の来訪を、心より歓迎する! 武器は持っていないな!? よろしい、速やかに物資の補給を開始せよ!」
レジカウンターに立っていたのは、支給されたばかりの青い制服に身を包んだシグルだった。
彼女は直立不動の姿勢で、客一人一人の動きを猛禽類のような鋭い眼光で追っている。客がカゴにパンを入れるたびに、「ほう、炭水化物の確保か。賢明な判断だ!」と小声で呟く姿は、不審者そのものである。
「あ、あの……シグルさん。もう少し、こう、柔らかく接客してください」
「む、主殿か! 潜入任務ご苦労である。……柔らかく、とはどういうことだ? 私は既に、店長殿から教わった『最高の笑顔』を維持しているつもりなのだが」
見れば、シグルの顔は筋肉が強張っており、笑顔というよりは「獲物を仕留める直前の肉食獣」のような凄まじい表情になっていた。
俺がアドバイスを送ろうとしたその時、一人のサラリーマンがレジにやってきた。
「……これ、お願いします」
「了解した! ターゲットのバーコードを確認。……抜刀! ――ピッ!」
シグルはハンドスキャナーを、まるで小太刀を抜くような神速で振るった。
あまりの速さに、サラリーマンは「ひっ」と短い悲鳴を上げて一歩下がった。
「合計で四三二円だ! 貴殿、支払いの手段を選択せよ! 現金か、それともこの『電子の契約』か!」
「……え、あ、ペイで……」
「承知した! 通信開始、認証完了! ――勝利の鐘だ(決済音)! 貴殿の武運を祈る、またの参戦を待っているぞ!」
呆然と立ち去る客。
俺は頭を抱えた。このままでは、今日一日でこの店の客が半分に減ってしまう。
「シグルさん。……接客っていうのは、敵を制圧することじゃなくて、相手に『また来たい』と思ってもらうことなんです。もっと、こう……日常の一部として接してください」
「日常……。……難しいな、主殿。私にとって、誰かに尽くすとは即ち、命を懸けて守ることと同義なのだ。……手を抜くなど、到底できぬ」
シグルは真剣に悩んでいるようだった。
そこへ、近所の子供たちがアイスを買いにやってきた。
「おねえちゃん、これ、ください!」
「む……。幼き兵士よ。……アイスを食べる前に、ちゃんと昼飯は摂取したか? 糖分ばかりでは、丈夫な骨格は形成されんぞ」
シグルは厳格な教官のように子供たちに説教を始めた。
だが、子供たちは怖がるどころか、「わあ、おねえちゃんかっこいい! 兵隊さんなの?」と目を輝かせた。
「……兵、隊? いや、私は主殿を守る……いや、この店の防衛を担当する者だ」
「すごーい! じゃあさ、じゃあさ、このお菓子のバーコードも、シュシュッてやってよ!」
子供たちの無邪気なリクエストに、シグルの表情がふわりと和らいだ。
彼女は、かつての戦場で守りたかった、けれど守れなかった小さな命たちの面影を、現代の子供たちの中に見ていたのかもしれない。
「了解した。……幼き志願兵たちよ。特別に、私の奥義を見せてやろう。――神速・多重決済!」
シグルの指先が動き、正確に、それでいて今度は優しくバーコードを読み取っていく。
子供たちは「かっこいー!」と歓声を上げ、シグルもまた、これまでにない穏やかな誇らしげな微笑みを浮かべた。
勤務時間が終わり、夕暮れ時の帰り道。
シグルは、店長から手渡された初めての「給料」――端数の入った茶封筒を、俺に両手で差し出してきた。
「主殿。……これが、私の初めての戦果だ。……少額ではあるが、これで今夜の食卓に、一切れの肉でも追加してほしい。……私は、今日初めて知った。武器を持たずとも、誰かの役に立てることを」
シグルの瞳には、戦果を誇る傲慢さではなく、労働を通じて世界と繋がったことへの、謙虚な喜びが宿っていた。
俺は、その封筒を恭しく受け取った。
「ありがとうございます、シグルさん。……今夜は、シグルさんの大好物のハンバーグを山盛りに作りましょう。……あんたが一生懸命働いたお金で買った、最高に美味しいお肉で」
「……! 楽しみだ、主殿。……だが、明日のシフト表によれば、早朝からおにぎりの品出し任務がある。英気を養わねばならんな!」
アパートの前では、ヒノカたちが「シグル! 初バイトお疲れ様じゃ! お主が稼いだ金で、妾にプリンを献上せよ!」と騒ぎながら待っていた。
シグルは「これは主殿への軍資金だ、不届き者は下がれ!」と笑いながら追い払い、八百万荘はいつも通りの賑やかさに包まれた。
家計は相変わらず苦しい。けれど、神様たちが自らの力で居場所を広げ、誰かの笑顔を作っていくその姿は、管理人である俺にとっての、何よりの報酬だった。
管理人の夜は、シグルの誇らしげな横顔と共に、温かく更けていくのだった。




