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八百万荘の管理人 〜信仰を失った女神様たちに、温かいご飯と居場所を〜  作者: 寝不足魔王


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第17話:神様も風邪を引く? 泥沼の看病争奪戦

 六月の終わり。梅雨の湿気と初夏の熱気が混じり合い、八百万荘の空気はまるで重たい濡れタオルのようになっていた。

 そんな気だるい午後のことだ。管理人の俺、神代巡かみしろ・めぐるは、一階の管理人室で、かつてない不穏な「神気の乱れ」を感知していた。


「……なんか、静かすぎないか?」


 普段なら、二階からヒノカの咆哮やシグルの怒号が聞こえてくる時間だ。しかし、今日のアパートは、耳が痛くなるほどの静寂に包まれている。

 俺は手に持っていた家計簿を閉じ、様子を見るために二階へと階段を上がった。


 まず訪れたのは、二〇一号室。ヒノカの部屋だ。

 ドアをノックしたが、返事がない。嫌な予感がしてドアを開けると、そこには万年床の上で、顔を真っ赤にしてフーフーと荒い息を吐くヒノカの姿があった。


「……巡か。……お主、二人に見えるぞ。……熱い。太陽の化身たる妾が、なぜ、こんなに熱いのじゃ……」

「ヒノカ様!? 嘘だろ、顔が火の車じゃないですか!」


 慌てて駆け寄り、彼女の額に手を当てる。

 アツッ、と思わず手を引っ込めそうになるほどの高熱だ。だが、それは神としての神聖な熱ではなく、明らかにウイルスと戦っている生身の「風邪」の熱だった。


「神様でも風邪、引くんですね……。所長が言ってましたよ、現代に馴染みすぎると、人間の病気にもかかるようになるって。ちょっと待っててください、今氷嚢を持ってきますから」

「……行くな、巡。……妾を、一人にするでない……」


 弱々しく俺の裾を掴むヒノカ。その潤んだ瞳は、いつもの傲慢さを捨て、ただの心細い少女のそれだった。

 俺が彼女を寝かせ直そうとした時、隣の二〇二号室のドアが「バタン!」と勢いよく開いた。


「管理人、殿……。報告、する……。戦場において、予期せぬ……生物兵器の、汚染を、受け……た……」


 そこに立っていたのは、青白い顔で壁に手をつき、今にも倒れそうなシグルだった。彼女の鼻は赤くなり、手にはなぜか「体温計」が握られている。


「シグルさんまで!? ちょっと、あんたたち昨日、雨の中で何をやってたんですか!」

「……ミナト殿と……どちらが長く、雨に打たれて……精神を、統一できるか、勝負を……。主殿、私の……意識の、防衛ラインが……瓦解、する……」


 シグルはそのまま、俺の胸の中に倒れ込んできた。

 熱い。彼女もまた、重度の知恵熱ならぬ「戦乙女熱」に浮かされている。


 そこへ、ズルズルと廊下を這うような音がして、一〇三号室からミナトが現れた。

「ふふ……。私も……少し、お水が……足りないみたい、です……。管理人さん、私を……潤して……」


 ミナトは水神のはずなのに、その肌はカラカラに乾き、熱に浮かされて支離滅裂なことを呟いている。

 さらには二〇三号室からコトネまでが、「……巡。うち……もう、計算ができへん……。銭が……空から降ってくる……」と、千鳥足で合流してきた。


 八百万荘、全女神・同時発熱。

 それは、管理人である俺にとっての、最悪にして最大の「試練」の幕開けだった。


 ***


 俺は一階と二階を往復し、戦場のような看病を開始した。

 まずは、一〇一号室の広いスペースに四人分の布団を並べ、彼女たちを強制的に収容した。


「ほら、シグルさん、暴れない。氷嚢がズレますよ。コトネさんは大人しく寝ててください、その小槌を振っても金は出ませんから。ミナトさんは加湿器の横で安静に。……そしてヒノカ様、ポテチを食べようとするのをやめてください!」


 俺は汗だくになりながら、四人の額のタオルを替え、スポーツドリンクを飲ませ、背中をさすった。

 俺の「器」の体質は、こういう時に役に立つ。彼女たちが熱に浮かされて放つ不安定な神気を、俺が直接触れることで吸い込み、中和してやるのだ。

 俺の腕を通じて、彼女たちの「苦しさ」が伝わってくる。


「……巡。……お主、ずっと、ここにいてくれるか?」


 ヒノカが、俺の手をぎゅっと握りしめた。

 彼女の熱気が、俺の心臓に直接届く。


「……逃げませんよ。あんたたちが治るまで、ずっとそばにいます。……だから、早く良くなってください。あんたが元気にワガママを言ってくれないと、このアパート、暗くて仕方ないんです」


 俺が優しく語りかけると、ヒノカは少しだけ安心したように、ふっと微笑んで目を閉じた。

 すると、隣で寝ていたシグルが、負けじと俺の反対側の手を掴んだ。


「……主殿。……私も、離さない。……私の、戦線は……貴殿の、隣だ……」


 さらには足元からミナトが「……ずるいです。……私も、管理人さんの……手が、いい……」と甘え始め、コトネまでが「……うちも……うちも、看病代……出世払いで、払うから……」と、俺のパーカーを掴む。


 俺は文字通り、四人の女神に絡め取られた状態になった。

 全身を襲う、異なる四つの熱。

 神々の吐息。

 汗の混じった、甘く、切ない匂い。


 俺は、動けなくなった自分の状況に困惑しながらも、不思議と悪い気はしなかった。

 誰からも必要とされないと思っていた俺が、今、四人の神様の命を文字通り支えている。

 俺の「器」は、彼女たちの熱を吸い込むたびに、より深く、より強く、彼女たちとの絆を刻みつけていく。


「……はあ。贅沢な悩みですよね、これ」


 俺は、彼女たちの安らかな寝息を聞きながら、そっと目を閉じた。


 翌朝。

 最初に目を覚ましたヒノカは、俺の腕を抱き枕のようにして眠っている自分に気づき、顔を真っ赤にした。

「なっ、なな、なんじゃこれは! 巡、お主、妾が寝ている間に何を……!」

「看病してただけですよ。……熱、下がりましたね。良かった」


 俺が寝不足の顔で微笑むと、ヒノカは毒気を抜かれたように大人しくなった。

 続いて目を覚ましたシグルたちも、昨夜の自分たちの甘えぶりを思い出し、一様に赤面して沈黙する。


「……主殿。昨夜の私の言動は、熱によるせん妄であり……決して、本心では……いや、本心ではないとは言い切れんのだが……」

「……管理人さん。私、また風邪を引いてもいいですか? ……あんなに優しくされたの、初めてでした」

「……うちも。……看病代、まけてくれてもええんやで?」


 元気になった途端、また騒がしくなる女神たち。

 俺は、空になった氷嚢を抱えて立ち上がり、朝食の準備へと向かった。


「今日は、消化にいい特製のおかゆです。……卵、たっぷり入れてあげますから、しっかり食べてくださいね」


 後ろから響く、「おかわりはあるのか!」「出汁を利かせてほしい!」「巡のあーんがいい!」というワガママな合唱。


 家計は苦しい。神様たちは手がかかる。

 けれど、この騒がしい日常こそが、俺にとっての最高の「健康の秘訣」なのだと、お人好しの管理人は確信するのだった。


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