第16話:商売の女神と、黄金の福引回転(ガラガラ)
「ええか、巡。商売の神髄ちゅうのはな、『期待値』を極限まで引き上げ、運命という名の不確定要素を、力技で『確定事項』に書き換えることにあるんや!」
六月の湿った空気を吹き飛ばすような、威勢のいい声が管理人室に響き渡った。
声の主は、二〇三号室の住人にして商売の女神、コトネである。彼女は今、俺、神代巡の目の前で、ちゃぶ台の上に数十枚もの「ピンク色の補助券」を扇子のように広げてドヤ顔を決めていた。
「コトネさん、それ……やおさき商店街の福引券ですよね? よくそんなに集めましたね」
「フフン、うちの商売のネットワークを舐めたらあかんで。商店街の店主に『あんたの店、このままやと来月には資金繰りが悪化するで。このお札(名刺)貼っとき』ってアドバイスしたら、お礼にって山ほどくれたわ。さあ、巡! 今日はこれを持って、特賞の『豪華ハワイ旅行』……やなくて、現実的な一等賞の『高級和牛セット』を根こそぎ奪いに行くで!」
コトネの瞳は、黄金色の神気でギラギラと輝いている。彼女にとって、福引とは単なるお遊びではない。神としての「運」と「実力」を試す、聖なる戦場なのだ。
「いいですけど、神様の力で当たりを引くのって、反則じゃないんですか? ヒノカ様も言ってましたよ、運命の改竄は禁忌だって」
「アホ! うちがやるのは『改竄』やなくて『調整』や! 商店街の福引器の中にある玉に、ほんの少しだけ『親近感』を持たせるだけや。さあ、行くで。シグル! ミナト! 露払い(荷物持ち)の準備や!」
結局、俺はいつものように四人の女神を引き連れて、初夏の陽炎が揺れる商店街へと繰り出すことになった。
***
商店街の中央広場には、特設のテントが設けられ、そこには数人の主婦たちが行列を作っていた。
カランカラン、と鐘の音が鳴るたびに、一喜一憂する歓声と溜め息が上がる。
俺たちの順番が来ると、福引担当のおじさんが、俺の後ろに控える「派手すぎる一行」を見て目を丸くした。
「お、巡くん。今日はまた……随分と賑やかなお連れさんだね」
「あはは、すみません。……ほら、コトネさん、早く。後ろがつかえてますから」
コトネは不敵な笑みを浮かべ、補助券の束をカウンターに叩きつけた。
その瞬間、彼女の背後から目に見えないほどの微かな「黄金の波動」が放たれた。それは福引器の中に眠る、白い玉や青い玉、そして数少ない赤い玉(一等賞)に、直接語りかけるような、商売の神特有の強制的な魅力。
「さあ……うちの『商売繁盛』の力、見せたるわ。来い、黄金の……やなくて、一等の赤玉!」
コトネが気合を入れ、福引器のハンドルを回そうとした、その時だった。
「待たれよ、コトネ殿。……戦場において、運を天に任せるのは二流のすること。真の戦士は、その指先の感覚で、弾道の軌道を制御するものだ」
シグルが横から口を挟んだ。彼女は真剣な眼差しで福引器をスキャンするように見つめている。
「計算によれば、ハンドルを時計回りに二七〇度、初速三・五メートルで回転させれば、遠心力によって赤玉が排出口の直近に配置されるはずだ。私が代わろう、管理人殿」
「シグルさん、物理法則で福引に勝とうとするのもやめてください! ほら、コトネさん、早く!」
「ちょっとシグル、邪魔せんといて! うちの神気が乱れるやろ!」
二人の女神がハンドルを取り合おうとした瞬間、後ろで待っていたヒノカが痺れを切らしたように鼻を鳴らした。
「ぬう……。お主ら、まどろっこしいわ! 運など、この妾の『神威』で一気に焼き尽くして、当たりだけを残せばよいのじゃ!」
ヒノカが手のひらに熱を込めた瞬間、福引器の中の玉たちが、あまりの熱気に「カタカタ」と震え始めた。
「やめてください! 景品が溶ける! 火事になる! ミナトさん、なんとかして!」
「ふふ……。熱くなりすぎると、喉が乾いてしまいますわね。……私が、この器の中を少しだけ『潤して』あげましょうか? 水の力で、玉の滑りを良くすれば……」
ミナトが手をかざすと、今度は福引器の中に湿った霧が流れ込み、中の玉たちが結露でベタベタになり始めた。
もはや「運」も「確率」もない。四人の神様がそれぞれの力を勝手に行使した結果、福引器の中は、熱気と湿気と闘気と殺気が混ざり合った、この世の地獄と化していた。
「……あの、君たち。そろそろ回してくれないかな?」
引き攣った笑顔で急かすおじさんの前で、俺は意を決して、四人の女神たちの間を割って入った。
「いい加減にしてください! 幸運っていうのは、そういう力で手に入れるものじゃないでしょ! ……俺が回します。無欲で、ただ『今日の晩御飯が少し豪華になればいいな』っていう気持ちだけで!」
俺は、四人の神気を自分の「器」で強引に抑え込みながら、ハンドルをそっと握った。
不思議な感覚だった。俺が触れた瞬間、福引器の中に渦巻いていた女神たちの暴走したエネルギーが、俺の体を通じて中和され、穏やかな「縁」へと変わっていくのがわかった。
ガラ、ガラ……。
乾いた木の音が響き、一粒の玉が排出口から転がり出た。
コトネが息を呑み、ヒノカが身を乗り出し、シグルが目を凝らし、ミナトが静かに見守る。
コロン。
受け皿に落ちたのは――。
「あ……赤い。……赤玉や!」
コトネの絶叫が商店街に響いた。
カランカランカラン! と、おじさんが激しく鐘を鳴らす。
「おめでとう! 巡くん、一等の『黒毛和牛・特選カルビセット』だ!」
「やった……! 本当に当たった……!」
俺は思わず拳を握りしめた。
女神たちは、しばらく呆然としていたが、すぐに俺の周りに飛びついてきた。
「見たか! 巡のこの強運! これも妾がさっき『調整』してやったおかげじゃな!」
「否、私の弾道計算と、主殿の肉体操作が完璧にシンクロした結果だ。これは我らの共同戦果と言える!」
「ふふ……。私が適度に湿り気を与えたので、摩擦係数が最適化されたのですよ、管理人さん」
「……なんや、最後は結局、あんたの『欲のなさ』に負けた気分やわ。……でも、和牛は和牛や! 今夜は焼肉パーティーやで!」
帰り道。重たい和牛のパックを抱えたコトネは、どこか悔しそうに、でも嬉しそうに俺の隣を歩いていた。
「……巡。あんた、神様より神様みたいな引き、しよるな。……うちは神やけど、あんたのその『縁』を引き寄せる力には、勝てんかもしれんわ」
「ただの偶然ですよ。……でも、たまにはこういうのもいいですね」
夕焼けに染まる商店街。
俺の後ろを、「肉じゃ、肉じゃ!」「野菜もしっかり摂らねばならんぞ」「私は、冷たいお茶を用意しますわね」と騒ぎながらついてくる女神たち。
最強の幸運は、高級和牛でもハワイ旅行でもない。
こうして、騒がしい彼女たちと一緒に、美味しいご飯を食べる日常そのものなのだと、お人好しの管理人は改めて心に刻むのだった。
「コトネさん、走ると肉が寄っちゃいますよ!」
「うっさい! 鮮度が命や、早く帰って炭を熾すんや!」
八百万荘の夜は、今日もまた、美味しそうな匂いと笑い声に包まれようとしていた。




