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八百万荘の管理人 〜信仰を失った女神様たちに、温かいご飯と居場所を〜  作者: 寝不足魔王


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第15話:戦乙女、未知なる戦場(オフ会)に赴く

 八百万荘の二階、二〇二号室の前に、不穏な静寂が漂っていた。

 普段なら、マウスをクリックする激しい音や、軍隊じみた号令が漏れ聞こえてくるはずのその部屋から、今日は「はあ……」「ううむ……」という、戦乙女らしからぬ、湿ったため息ばかりが漏れてくるのだ。


 管理人の俺、神代巡かみしろ・めぐるは、手にしたお盆――シグルが三食食べ忘れないように運んできた、特製のソース焼きそば――を抱え直し、意を決してドアをノックした。


「シグルさん。入りますよ。……また『えふぴーえす』のランクを落としたんですか?」

「……主殿か。いや、違うのだ。戦場ゲームでの戦績は至極順調、もはや私の前に敵は居らぬ。……だが、それゆえに……予期せぬ『宣戦布告』を受けてしまったのだ」


 ドアを開けると、そこには液晶画面の青白い光に照らされた、憔悴しきったシグルの姿があった。

 彼女が震える指先で指し示したチャット画面には、信じられない一文が躍っていた。


『伝説の狙撃手、シグルさん! 今週末、チームのみんなで都内でオフ会をするんですが、ぜひ参加しませんか? 直接お会いして、勝利の祝杯を上げたいんです!』


「……オフ会、ですか」

「そうなのだ。これまで私は、ネットという名の不可視の防壁に守られ、戦乙女としての正体を隠して戦ってきた。だが、肉体を持って相見えるとなれば話は別だ。もし、私が『人間ではない』と悟られれば……この穏やかな日々は、瓦解してしまうのではないか?」


 シグルは、まるで明日の決戦で玉砕を覚悟した兵士のような、悲壮な面持ちで俺を見上げた。

 彼女にとって、ネットの仲間たちは初めて自分を「一人の人間プレイヤー」として認めてくれた大切な存在だ。だからこそ、期待を裏切りたくないという恐怖が、神話の勇気さえも凌駕していた。


「……分かりました。シグルさん、行きましょう。俺が『プロデューサー兼、付き添い』として、あんたを完璧な人間に仕立て上げます」

「ま、誠か!? 主殿が、私の参謀を務めてくれるというのか!」


 俺の言葉に、シグルは地獄で仏に会ったような顔で俺の手を握った。

 その瞬間、階下から「ちょっと待ったー!」という、聞き覚えのある騒がしい声が響き渡った。


「巡! シグルだけを外の世界へ連れ出すとは不公平じゃ! 妾も、妾もプロデューサーとして参加するぞ! 太陽の女神たる妾のセンスで、この無骨な女を絶世の美女に変身させてやるわい!」

「あ、私も……お供します。シグルさんの緊張で、会場が干からびないように、私が『潤い』を……」

「アホ! あんたらが行ったら余計に目立つやろ! 巡、これはビジネスチャンスや。シグルを『カリスマ・ゲーマー女子』として売り出すための、大事なデモンストレーションやで。うちがプロデュースの総指揮を執ったる!」


 ヒノカ、ミナト、コトネが雪崩れ込み、狭い二〇二号室は一瞬で「変装会議室」へと変貌した。

 

 ***


 オフ会当日。

 新宿の街角に、俺と、そして「完璧な変装」を施されたシグルの姿があった。


「……主殿。本当に、これで大丈夫なのか? なんだか、スースーして落ち着かないのだが……」

「大丈夫ですよ。すごく似合ってます」


 今日のシグルは、いつものトレンチコートを脱ぎ捨て、コトネが選んだ「今どきの女子大生風」の服装に身を包んでいた。白のブラウスに、淡いブルーのデニムスカート。銀髪はミナトが丁寧に編み込み、ヒノカが「太陽の加護(という名のヘアスプレー)」で艶やかに整えた。

 背中には模造刀の代わりに、お洒落なトートバッグ。中身は、シグルが「いざという時の予備」として詰め込もうとしたサバイバルナイフを俺が没収し、代わりにハンカチとティッシュ、そして俺が作った「緊張を和らげるためのお守り(キャラメル)」が入っている。


 会場の居酒屋に足を踏み入れると、既に数人の若者たちがテーブルを囲んでいた。


「あ、もしかして……シグルさん?」

「……い、如何にも。私が、戦場ネットにおいて貴殿らの背後を預かっていた、シグルだ」


 シグルが、訓練された軍人のような直立不動の姿勢で名乗る。

 一瞬、場が凍りついた。若者たちは、画面越しの「豪胆な戦士」が、これほどまでに透明感のある美少女だったことに、言葉を失っていた。


「す、すげえ……! 本物のシグルさん、めちゃくちゃ可愛いじゃないですか!」

「えっ、あ、あ、ありがとうございます、二等兵……じゃなくて、佐藤殿」


 シグルは真っ赤になって俯いた。

 俺は彼女の隣に座り、さりげなく会話のフォローに回る。

 シグルは最初はガチガチに緊張していたが、大好きなゲームの話題になると、次第にいつもの熱量を取り戻していった。


「……そうか、あの場面でのリロードは判断ミスだったな。次は私が、より効率的な制圧射撃を見せよう。……あ、いや、見せたいと思う、のである」

「あはは! シグルさん、喋り方面白いですね! でも、本当にゲーム愛が伝わってきます!」


 若者たちが笑い、シグルもまた、戸惑いながらも小さな笑みを浮かべた。

 彼女の魂から放たれる神気が、刺々しい「闘気」から、穏やかな「喜び」へと変わっていくのを、俺は隣で肌に感じていた。

 彼女の「器」の一部を預かっている俺にも、その温かな感情が流れ込み、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 だが、平和な時間は長くは続かない。

 ふと視線を感じて店の入り口を見ると、そこには変装(サングラスに新聞紙)をしたヒノカとコトネ、そして観葉植物に化けた(つもりの)ミナトが、じっとこちらを監視していた。


(巡よ、あの男、シグルの肩を叩きおったぞ! 許せん、妾の目の前で不敬な!)

(シグル、今や。今こそ限定グッズの物販交渉を切り出すんや!)

(……管理人さん、あんなに楽しそうに笑って。……帰ったら、たっぷり水を飲ませてあげないと……)


 彼女たちの念話(あるいは単なる大声の独り言)が、俺の脳内に直接響いてくる。

 俺は必死に顔を伏せ、気づかないふりを通した。


 会が終わりに近づいた頃、チームのリーダー格の青年が、シグルに真面目な顔で語りかけた。


「シグルさん。今日会えて本当に良かった。ネットの中だけじゃなくて、こうして同じ時間を過ごせると、もっと仲間だって実感が湧きますね。これからも、僕たちのこと、守ってくださいよ!」

「……っ。……ああ。約束しよう。……世界がどのように変わろうとも、私は貴殿らの『戦友』であり続ける」


 シグルの瞳に、強い光が宿った。

 それは、戦場で敵を倒すための光ではない。

 この優しい、なんでもない日常を、全力で愛するための光だった。


 帰り道。

 新宿の夜景を眺めながら、シグルは俺の隣を、少しだけ足取り軽く歩いていた。


「……主殿。私は、間違っていたようだ。……正体がバレることを恐れるよりも、彼らと共に笑えるこの『今』を、もっと大切にすべきだったのだな」

「そうですね。……シグルさんは、もう立派に『この世界の人』ですよ」

「ふふ。……ならば、これからも私のプロデュース、よろしく頼む。……まずは、帰りにあの『ぷりくら』という儀式を、アパートの皆と共に行いたいのだが……」


 背後から「よし、きた! うちが最高のライティングを教えたる!」とコトネたちが飛び出し、シグルはまたしても赤くなって逃げ出した。

 

 女神たちの日常は、今日もまた、予定調和を裏切りながら進んでいく。

 管理人の俺は、彼女たちの賑やかな背中を追いかけながら、次は誰の「戦場」に付き合うことになるのだろうと、幸せな溜め息を一つ吐いた。


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