第11話:商売の女神と、八百万荘の「経済改革」
八百万荘の朝は、いつだって平穏という言葉からは程遠い。
だが、その日の騒がしさは、これまでの「女神たちのワガママ」という範疇を遥かに超えていた。
「いやあ、巡くん! 朗報だよ! ついに我がアパートの『財務大臣』が見つかったんだ!」
管理人室のドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきた九十九所長が、その後ろから一人の少女を招き入れた。
派手な金糸の刺繍が施された赤い法被を羽織り、頭には小さな打ち出の小槌のヘアピン。腰には大きな福袋をぶら下げた、眩しいほどの金髪をツインテールにした少女だ。
彼女は部屋に入るなり、まず鼻をクンクンと鳴らし、それから鋭い目付きで俺のちゃぶ台の上に広げられた家計簿を凝視した。
「……なんや、この地獄絵図は。あんた、正気か? 支出と収入のバランスが、タイタニック号並みに沈没しとるやないか!」
開口一番、彼女は流暢な関西弁で、俺の血と汗と涙の結晶である家計簿を指差した。
「紹介するよ。彼女はコトネ。由緒正しき商売の女神……の、これまた末端なんだけどね。景気後退の波に煽られて、自分の社がタピオカ屋に改装されちゃってさ。居場所がなくなっちゃったんだ」
「うるさいわ所長! 誰がタピオカのトッピングにされかけた話をしてええ言うたんや! うちの名前はコトネ。今日からこの貧乏長屋……やなくて、八百万荘の経済を立て直しに来た、救世主や!」
コトネと名乗った少女は、ドカリと俺の向かい側に座り込むと、福袋の中から計算機――ではなく、黄金に輝く古銭を取り出した。
その瞬間、俺の「器」が彼女の放つ神気に反応した。それはヒノカのような熱でも、シグルのような鋭さでも、ミナトのような湿り気でもない。
重厚な金属の擦れ合う音、そして何千人もの人間が抱く「欲」と「願い」が混ざり合った、どろりとした黄金色のエネルギーだ。
「巡、と言ったな。あんた、お人好しにも程があるで。神様を養うのはええけど、タダ飯食わせてどうするんや。神は働いてこそ神、回してこそ経済や!」
そこへ、異変を察知した二階の住人たちが雪崩れ込んできた。
「何奴じゃ! 妾の聖域で、銭の臭いを撒き散らしておるのは!」
「不審な金髪個体を検知! 管理人殿、この者は敵軍の経済制裁担当か!?」
「あら……。なんだか、とても賑やかな方がいらしたのですね。お部屋が金粉で汚れそうですわ」
ヒノカ、シグル、ミナトの三人が、新参者のコトネを包囲する。
しかし、コトネは全く怯む様子もなく、むしろ鼻で笑ってみせた。
「ハッ! ポテチ中毒の引きこもりに、ゲーム廃人の軍人、それにジメジメした水女か。役者が揃いすぎやな。巡、あんたこんな不良債権ばっかり抱えて、よう夜逃げせんとやってこれたな。うちは感動したわ」
「不良債権とはなんじゃ! 妾は太陽の……!」
「太陽なら、まずその部屋の電気代を自家発電で賄わんかい! シグルとかいうあんたもや、その反射神経があるなら株のデイトレードでもせんかい! ミナト! あんたは……ええと、加湿器の代行でレンタル移籍や!」
コトネの容赦ないツッコミに、三人の女神たちは一瞬で沈黙した。
論理的(?)な反論に弱い彼女たちにとって、コトネの世俗にまみれた正論は、ある種、最強の神罰に等しかった。
「さて、巡。まずは現状把握や。このアパート、Wi-Fiは通っとるな? なら話は早い。うちがプロデュースして、こいつらを『V』として売り出すんや。神様がガチで降臨する配信チャンネル。これならスパチャという名の信仰が、滝のように流れ込んでくるで!」
「V……? いや、コトネさん、そんな目立つことをしたら、普通の人間がパニックになりますよ。そもそも彼女たちの正体がバレたら……」
「バレへんバレへん! 今時、本物の神様がボロアパートで飯食っとるなんて、誰も信じへんわ。最高のエンターテインメントとして消費されるだけや。浮いた金で、あんたのボロボロの靴も買い替えたる」
コトネはニヤリと笑い、俺の手を握った。
彼女の手は小さく、それでいて驚くほど熱い。欲を司る神の熱が、俺の器に直接流れ込んでくる。
俺の中にあった「清貧でありたい」という建前が、彼女の黄金の神気によってじりじりと焼かれていく感覚。
「な、巡。悪い話やないやろ? うちがここを、日本一の『神アパート』にしたる。あんたは黙って、美味しい飯だけ作っとればええんや」
俺の返事を聞く前に、コトネは福袋から次々と最新の配信機材(※九十九所長がどこからか工面してきたものらしい)を取り出し始めた。
「ちょ、待ってください! 俺は静かな日常を……!」
「日常を守るには、金が必要なんや! さあ、ヒノカ! 挨拶の練習や! 『みんなの太陽、おはひのー!』って言うてみ!」
「お、おはひの……? なんじゃそのマヌケな呪文は! 妾はやらぬぞ、絶対にやらぬ!」
三十分後、画面に向かって「お、おはひの……じゃ!」と真っ赤な顔で叫ぶヒノカと、それを「照れが足りん!」と叱咤するコトネ、さらに「私も援護射撃(コメント監視)をすべきか?」と真剣に悩むシグルの姿があった。
八百万荘の経済改革。
それは、巡の望んでいた平穏な暮らしを、跡形もなく吹き飛ばそうとしていた。
家計簿の赤字は、確かにコトネの力で解消されるかもしれない。
だが、俺の心拍数は、これまでで最大級の危機を告げる警報を鳴らし続けていた。
「……はあ。ミナトさん、今のうちに湿気で機材を壊してくれませんか?」
「ふふ、管理人さん。私の力で壊せるのは、形あるものだけ。彼女が持ち込んだ『欲』は、水では流せませんわよ?」
微笑むミナトの言葉が、妙に現実味を帯びて俺の胸に突き刺さった。
管理人の苦労は、どうやら第2部に入って「インフレ」を起こし始めたようだった。




