第三十二話 白を灯す赤
どれだけ歩いたのか。
白の剣士自身にも、もう分からなかった。
森を抜け。
谷を越え。
灰色の兵士たちと幾度も戦った。
眠る時間さえ惜しんで進み続けた。
その結果――
身体は限界に近づいていた。
白い衣服のあちこちが破れている。
剣を握る腕には力が入らない。
そして何より――
身体の一部が、灰色に染まり始めていた。
「……まだ……」
白の剣士はふらつきながら歩く。
「まだ……進める……」
黒の居城は近い。
それだけを頼りに、足を動かす。
一歩。
また一歩。
だが、視界が霞んだ。
「……っ」
膝をつく。
身体が重い。
まるで灰色の何かに、内側から引っ張られているようだった。
「……これ以上は……」
剣を地面に突き立てる。
それを支えに、どうにか立ち上がろうとする。
しかし――
足に力が入らない。
そのまま倒れかけた。
「大丈夫か!?」
遠くから声がした。
誰かが駆けてくる。
白の剣士は顔を上げた。
視界の中に、赤い姿が見える。
「……赤……?」
「しっかりしろ!」
赤の武闘家が駆け寄り、倒れそうになった身体を支える。
「おい!」
白の剣士は何か言おうとした。
だが――
もう声が出なかった。
視界が暗くなる。
最後に見えたのは――
自分を支える赤い腕だった。
そして。
意識が途切れた。
* * *
パチ……。
パチパチ……。
薪が燃える音。
白の剣士は、ゆっくり目を開けた。
「……」
最初に見えたのは、焚き火だった。
橙色の炎が揺れている。
身体には毛布が掛けられていた。
「……ここは……?」
白の剣士が身体を起こす。
すると――
「起きたか」
向かい側から声がした。
赤の武闘家が座っている。
薪を一本、火へ入れる。
「無理に起きるな」
「……お前が助けたのか」
「ああ」
「そうか……」
白の剣士は自分の身体を見る。
灰色の侵食。
それはまだ残っている。
だが――
「……少し、薄くなっている?」
白の剣士が腕を見る。
「気づいたか」
赤の武闘家が頷く。
「傷も少し落ち着いている」
「どうして……」
「それは俺にも分からない」
赤の武闘家は炎を見る。
「ただ、試してみたいことがある」
「試す?」
「ああ」
白の剣士は警戒する。
「何をする?」
「俺はチャクラを扱う」
「チャクラ?」
「体内を巡るエネルギーだ」
赤の武闘家は自分の胸へ手を当てる。
「色を活性化させる力がある」
白の剣士は黙って聞いていた。
「俺の赤を、お前の白へ流してみる」
「……そんなことができるのか?」
「分からない」
「分からないのか」
「やったことがない」
「……」
白の剣士はしばらく赤の武闘家を見る。
「失敗したら?」
「そのときはやめる」
「……分かった」
白の剣士は背を向けて座った。
「頼む」
「任せろ」
赤の武闘家が後ろへ回る。
そして――
白の剣士の背中へ、両手を当てた。
「力を抜け」
「……分かった」
赤の武闘家は目を閉じる。
ゆっくり呼吸する。
吸う。
吐く。
胸の奥にあるチャクラを感じる。
赤い光が生まれる。
それを腕へ。
手のひらへ。
そして――
白の剣士の身体へ。
「……!」
白の剣士が息を呑む。
背中から温かいものが入ってくる。
熱い。
だが、不思議と苦しくない。
赤いチャクラが身体の中を巡っていく。
胸。
肩。
腕。
指先。
そして――
灰色に染まった場所へ。
「……あ……」
白の剣士が声を漏らす。
灰色が――
薄くなっていく。
まるで霧が朝日に溶けるように。
「……消えている」
赤の武闘家は目を閉じたまま答える。
「まだだ」
さらにチャクラを送る。
赤い光が白の身体を包む。
すると――
白が輝き始めた。
純粋な白。
雪のような白。
灰色に覆われていた身体から、少しずつ本来の白が戻ってくる。
「……すごい」
白の剣士は自分の手を見る。
「戻っている……」
灰色の侵食が、少しずつ霧散していく。
赤の武闘家は驚いていた。
「……本当に活性化した」
だが、そこで手を止める。
「これ以上は危険だ」
「まだ、できるだろう?」
「できる」
赤の武闘家は白を見る。
「だが、一気に全部戻そうとしたら、お前の身体が耐えられない」
白の剣士は自分の腕を見る。
完全ではない。
まだ灰色は残っている。
それでも――
明らかに先ほどより白い。
「……十分だ」
白の剣士が呟く。
「これだけ戻れば、また戦える」
「戦う前に休め」
「だが――」
「お前は限界だった」
赤の武闘家の言葉に、白の剣士は黙った。
「俺も修行中だ」
赤の武闘家が焚き火を見る。
「お前を完全に治すことはできない」
「……それでも」
白の剣士は拳を握る。
「救われた」
赤の武闘家は少しだけ笑った。
「なら、よかった」
しばらく二人は黙っていた。
焚き火だけが静かに燃えている。
やがて白の剣士が口を開いた。
「俺は、これまで一人で戦ってきた」
「……」
「最初に色が消えた日から、ずっと」
白の剣士は、これまでの旅を語り始めた。
灰色の兵士たちとの戦い。
色を失った町。
魔獣との戦闘。
傷を負っても進み続けたこと。
そして――
灰色の侵食。
「戦えば戦うほど、身体が灰色になっていった」
白の剣士は腕を見る。
「それでも止まれなかった」
「なぜ?」
「黒の魔王を止めるためだ」
赤の武闘家は静かに聞いている。
「一人でも、行かなければならないと思っていた」
「……そうか」
赤の武闘家は炎へ薪を入れる。
「でも、今は一人じゃない」
白の剣士が顔を上げた。
「……」
「俺も魔王を目指している」
赤の武闘家は拳を握る。
「だったら――」
白の剣士も立ち上がる。
「一緒に行こう」
二人は向かい合った。
白。
赤。
まだ二人だけ。
けれど――
灰色の世界で初めて、二つの色が同じ場所に並んだ。
焚き火の炎が揺れる。
その向こう。
遠い黒の居城が、夜の闇の中にそびえている。
白の剣士は剣を握った。
赤の武闘家は拳を握る。
「明日、出発する」
「ああ」
その夜。
白の剣士の身体から――
ほんの少しだけ、灰色が消えていた。




