第三話 消えた赤
朝。
白の剣士は、村の中央にある小さな広場に立っていた。
昨夜まで燃えていた焚き火は、もう消えている。
灰の中には、わずかに赤い炭が残っていた。
白の剣士はそれを見つめる。
この世界から色が消え始めている。
それでも、まだ残っている色はある。
ならば、それを守る。
それが今の自分にできることだった。
「森へ行くのか」
昨日の老人が近づいてきた。
「ああ」
「ワーグを追うつもりか」
「そうだ」
老人はしばらく黙っていた。
「やめておいたほうがいい」
「なぜ?」
「あの森には、もうほとんど色がない」
老人は灰色の森を見た。
「木々も、草も、鳥も……みんな灰色になった。森の奥には、まだ色の残っている場所があるらしい。だが、そこへ入った者は戻ってこない」
「だからこそ行く」
白の剣士は歩き出した。
「色を奪われる前に」
老人は何も言わなかった。
ただ、背中へ声をかける。
「気をつけろ」
白の剣士は振り返らなかった。
「ああ」
森へ入る。
木々は静まり返っていた。
風が吹いても、葉はほとんど揺れない。
緑だったはずの葉は、灰色。
茶色だった幹も、灰色。
地面を走る小動物まで灰色になっている。
白の剣士は足を止めた。
「……」
森の奥から、かすかな音が聞こえる。
ズズ……。
何かを引きずる音。
そして――
パキッ。
枝が折れた。
白の剣士は剣を抜く。
灰色の茂みから、一匹の鹿が姿を現した。
身体は灰色。
目には光がない。
鹿は白の剣士を見ると、怯えるように後退した。
「……お前も色を奪われたのか」
鹿は答えない。
その身体から、灰色の粉が落ちていく。
やがて鹿は森の奥へ消えた。
白の剣士は拳を握った。
そのとき。
森の奥から、赤い光が見えた。
「……赤?」
白の剣士は走った。
木々を抜ける。
その先に、小さな泉があった。
泉の周囲だけ、色が残っている。
赤い花。
緑の草。
青い水。
ほんのわずかな場所だけが、世界本来の色を保っていた。
「ここだけ……」
白の剣士が近づく。
泉の中央には、赤い花が一輪咲いていた。
すると――
グルルル……。
背後から唸り声。
白の剣士が振り返る。
灰色の狼たちがいた。
一匹。
二匹。
三匹。
十匹以上。
その中から、巨大な影がゆっくりと歩いてくる。
「見つけたぞ」
ワーグだった。
肩には、昨日の傷が残っている。
「ここだ。ここにまだ色が残っている」
ワーグは泉を見て、舌なめずりをした。
「特に、あの赤はうまそうだ」
白の剣士が花の前に立つ。
「喰わせない」
「お前一人で、俺たちを止めるつもりか?」
「そうだ」
ワーグが笑った。
「面白い」
狼の群れが一斉に駆け出した。
白の剣士も走る。
一匹目の爪を剣で弾く。
二匹目を蹴り飛ばす。
三匹目の牙をかわし、その身体を斬り伏せる。
だが、次々と襲ってくる。
「多い……!」
背後に回った狼を、白い光が弾き飛ばした。
白の剣。
刀身から放たれた光が、狼たちを押し返す。
ワーグが目を細めた。
「やはり、その剣か」
「何を知っている?」
「その剣は、色を守るための剣だ」
「……!」
ワーグが牙を剥く。
「だが、守るだけでは何も変わらん」
巨大な身体が跳んだ。
白の剣士は受け止める。
凄まじい力。
足が地面へ沈む。
「ぐっ……!」
「お前が白を守るほど――」
ワーグの口が開く。
「俺たちは、それを喰いたくなる!」
白の剣士は力を振り絞り、ワーグを弾き飛ばした。
そして泉へ走る。
狼の一匹が赤い花へ飛びかかる。
「させるか!」
白の剣士が割って入った。
牙が肩をかすめる。
血が流れる。
それでも、白の剣士は花を守った。
白い剣を地面へ突き立てる。
光が広がった。
泉全体を包み込む。
赤い花が、さらに強く輝く。
「この色は――」
白の剣士は花を見つめた。
「誰にも渡さない」
光の奔流が森を駆け抜けた。
灰色の狼たちが次々と吹き飛ばされる。
ワーグも後方へ転がった。
「ぐあっ!」
白の光が消える。
泉には静寂が戻った。
赤い花は、まだ咲いている。
ワーグは立ち上がった。
傷だらけの身体を引きずりながら、白の剣士を見る。
「今日は……退いてやる」
「待て!」
白の剣士が追おうとする。
だが、ワーグは森の奥へ消えていった。
「次はもっと大勢で来る」
声だけが残る。
「その赤も、白も――全部喰ってやる」
白の剣士は剣を握り直した。
追撃することもできた。
だが、泉に残された色を見て、足を止める。
今は、ここを守ることが先だった。
白の剣士は泉のそばに膝をついた。
赤い花に手を伸ばす。
花びらは風に揺れている。
まだ、生きている。
「……世界には、まだ色が残っている」
白の剣士は立ち上がった。
森の奥。
ワーグが消えた方向を見る。
「なら、全部取り戻す」
その日。
白の剣士は初めて知った。
戦うとは、敵を倒すことだけではない。
何かを失わないために、立ち続けることもまた――戦いなのだと。
そして灰色の森の中で。
一輪の赤い花だけが、最後まで鮮やかに咲いていた。




