第十七話 緑、激流へ
黒の山へ続く道を、緑の弓使いは歩いていた。
村を出てから、二日。
肩には、いつもの小さな鳥。
背中には弓。
腰には、残り少ない矢筒。
その先に、大きな谷が見えていた。
谷の向こうには、黒い山がそびえている。
「……あの山を越えれば」
緑の弓使いは足を止めた。
山の頂。
その向こうに、黒の城が見える。
遠い。
だが、確実に近づいている。
そのときだった。
ドォン。
地面が揺れた。
小さな鳥が飛び立つ。
「……来たか」
緑の弓使いは弓を構えた。
谷の向こうから、巨大な影が歩いてくる。
顔はワニ。
前足はライオン。
後ろ脚はカバ。
アミムト。
「ようやく見つけたぞ」
巨大な獣が笑う。
「緑の弓使い」
「しつこいな」
「お前の緑を喰うまで、何度でも追う」
アミムトが地面を踏み鳴らす。
「今度こそ終わりだ」
緑の弓使いは矢をつがえた。
「やってみろ」
矢が飛ぶ。
ヒュッ!
アミムトの肩へ突き刺さる。
「ぐっ!」
だが、アミムトは止まらない。
そのまま突進する。
緑の弓使いは横へ飛ぶ。
巨大な前足が地面を砕く。
「速い……!」
アミムトが振り返る。
再び突進。
緑の弓使いは矢を放ちながら後退する。
一発。
二発。
三発。
しかし、アミムトは身体を揺らし、矢を弾きながら迫ってくる。
「そんな矢では、俺は止められん!」
巨大な口が開く。
灰色の霧が吐き出された。
「くっ!」
緑の弓使いは飛び退く。
地面の草が灰色へ変わる。
そのまま霧が広がっていく。
「色を喰う霧か……!」
「そうだ!」
アミムトが笑う。
「お前の緑も、まとめて喰ってやる!」
緑の弓使いは谷の端まで追い込まれていることに気づいた。
背後は崖。
その下には、激しい川が流れている。
逃げ道はない。
「……まずい」
アミムトが迫る。
緑の弓使いは最後の数本の矢を取り出した。
「これで決める」
一本目。
アミムトの足元へ。
蔓が伸びる。
「そんなもの!」
アミムトが引きちぎる。
二本目。
地面から木の根が飛び出す。
アミムトは前足で叩き潰す。
「効かん!」
三本目。
アミムトの顔へ。
ガキン!
牙で矢を噛み砕く。
「終わりだ!」
アミムトが飛びかかる。
緑の弓使いは間一髪でかわした。
アミムトの身体が崖へ激突する。
だが、すぐに振り返る。
「逃がさん!」
再び突進。
緑の弓使いも走る。
谷の端。
わずかな足場。
左右には何もない。
アミムトの爪が迫る。
「……!」
緑の弓使いは矢を一本だけ残していた。
その矢をつがえる。
弓が緑色に輝く。
「これが最後だ」
アミムトが口を開ける。
「喰ってやる!」
矢が飛んだ。
ヒュオオオオッ!
矢はアミムトの胸へ突き刺さる。
同時に、地面から巨大な樹の根が爆発するように伸びた。
「ぐおおおおっ!」
根がアミムトの身体を包み込む。
しかし――
アミムトは力任せに根を引き裂いた。
「これで終わりだ!」
巨大な前足が振り下ろされる。
緑の弓使いは受け止めようとした。
だが。
ドンッ!
身体が大きく吹き飛んだ。
「……!」
足が地面から離れる。
その先には――
崖。
「しまった……!」
手を伸ばす。
何も掴めない。
身体が宙へ投げ出される。
「――っ!」
その瞬間。
肩の小さな鳥が、必死に飛び立った。
緑の弓使いの目の前を旋回する。
だが、掴めない。
緑の弓使いの身体は、そのまま谷底へ落ちていく。
「……!」
下から轟音が迫る。
激流。
巨大な川。
次の瞬間――
バシャアアアアッ!
身体が激流へ叩きつけられた。
「――っ!」
水の中へ沈む。
弓が手から離れる。
緑の弓使いは必死に手を伸ばす。
水面が遠い。
息ができない。
激流が身体を容赦なく運んでいく。
上を見る。
小さな鳥が空を飛んでいる。
その姿だけが見えた。
そして――
緑の弓使いの姿は、激流の向こうへ消えていった。
崖の上。
アミムトが川を見下ろしている。
「……落ちたか」
しばらく水面を見つめる。
やがて、笑った。
「これで終わりだ」
アミムトは踵を返した。
その背後。
崖の隙間に、一本の矢が引っかかっていた。
矢尻には――
小さな緑の芽が芽吹いている。
それは激流にも、灰色の霧にも奪われることなく。
静かに葉を広げていた。
⸻
緑の弓使いの旅は、ここで途切れた。
生きているのか。
死んだのか。
誰にも分からない。
ただ一つ確かなことがある。
緑はまだ、消えていない。
そして――
世界の別の場所で。
新たな英雄が、目を覚まそうとしていた。
青。
次の旅が、始まる。




