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9 水の精霊

 

 ミラは次の日神殿に向かうと、与えられている自室で早速守護精霊を呼び出してみることにした。


 その際、初めて精霊を呼び出した日のことをミラは思い出す。


 ――女神像がまつられた祭壇前、神殿に代々伝わる石板に掘られた魔法陣に、聖女の血を一滴垂らして祈る、という教えられた手順で儀式を進めた。


 目の前に突如現れたのは、人にはありえない淡いエメラルドブルーの髪をした美しい精霊だった。


 ほっそりとした体つきで、二十歳前の青年に見える姿だ。

 柔らかそうな髪は、左肩あたりで紺のシルクリボンで結ばれ、ふうわりと胸元まで流れており、まるで上品な猫の尻尾のように見えた。


 光の加減でピンクの輝きを帯びる、水色の瞳がひときわ神秘的だ。


「お初にお目にかかります、聖女様。水の精霊、ラルフレインと申します」


 胸に片手を当ててお辞儀する。気品のある動作に合わせ、白いブラウスの胸元と袖口についたフリルが揺れるのもまた優雅だった。


「えっと、はじめまして、私のために働いてくれると聞きました、ありがとうございます。聖女様じゃなくてミラって呼んで貰っても大丈夫ですよ? あの、これからよろしくお願いします」


 神々しいまでに美麗な精霊に気圧されてあたふたと挨拶するミラに、相手は大きなアーモンド形の瞳を細めた。


「よろしくお願いします。――聖女様」


 ――あの時は、気づかなかったけど。


 蘇ってから今再び顔を合わせた自分の守護精霊を改めて見つめる。


 ――この人、目が全然笑ってないのよね。


「いかがいたしましたか、聖女様?」


 聖女呼びは敬意の表れではなくて、距離をつめたくないという意思表示だ。


 久しぶりの呼び出しにも何事もなかった風に笑顔で応じる、ともすれば慇懃無礼に思える丁寧さにため息を吐く。


「まず先に謝るわ。最初に会った時私、『私のために』ありがとうとか言ったのよね。あなたからしたら『私のせいで』だったんでしょ。ごめんなさい」


「なんのことでしょう?」と微笑む。


 しらばっくれる気らしい。


「守護精霊に対する無知も、謝るわ。私の許可がないとあなたが神殿から出れないことすら知らなかったの。でもそうならそうとあなたの方から教えてくれたらよかったのに。あなた、ずっと私を避けてたでしょ」


 曖昧な笑みを浮かべたまま答えない相手にさらに問う。


「――そんなに、聖女が嫌いなの?」


 はじめて水の精霊から笑顔が消えた。探るような視線をよこす。


 対峙しているとわかってくる。穏やかな物腰に騙されるが、彼は聖女が嫌いなのだ。


 ミラからの呼び出しがないのを、これ幸いと隠れていたのかと思うと、半年――前世では一年だが、放置していた罪悪感も薄れてくる。


 寿命の長い精霊からすると、時間の間隔も人間とは異なるのかもしれない。


「もともと精霊は自由を好むものですから。……それに、あなたがどんな方かもわからなかったので」


 ようやく誤魔化すのをやめたらしく肩を竦める。


「……女神様の気まぐれで選ばれた聖女たちが、必ずしも全員聖人だとは限りません。中には聖女の力に溺れる者もいました。百年程前、私が生まれてから初めて目にした聖女は、ひどい癇癪持ちでしたよ」   


 彼女の守護精霊は振り回されて苦労していたと話す。ついでにさらりとこの精霊が百年は生きていることも語られた。


「精霊の中には聖女に選ばれ仕えることを、誉れに感じる者もいるようですけどね」


 自分はそうではない、と言外に告げる。後ろ手を組んだ精霊が、そこで視線を床に落とした。


「……あなたの前の聖女は、守護精霊に惚れ込んで、常に恋人のような振る舞いをさせていました」


「え?」


「精霊は、聖女に命じられたことからは逆らえないのに」


 声に軽蔑が透ける。段々と聖女に対する嫌悪を隠さなくなってきた。


 恋人のような振る舞い、というのがどこまでの行為だったのか、考えたくもなくてゾッとした。

 神殿では「心清らかな乙女」と語られていた先人の、別の面を知って苦い思いを味わう。


 望まない恋愛ごっこを強要された精霊に同情しつつ、けれど精霊がみなこれほど美しい容姿なのだとしたら、初めて会った女性が舞い上がったとしてもおかしくないと頭では理解出来た。


 ミラに変な気はなかったが、警戒されていたのも仕方がないことだ。


「私はあなたに恋人役なんて頼まないわ」


 その役はもう他にいる、とか余計なことは言わずにおく。出来るだけ真摯に相手の目を見る。


「私にも事情があるから、これからはあなたにいろいろ頼み事をしたいと思ってるの。でもあなたが本当に嫌がることは、命令しないって約束する」


 見つめ合う二人の間に暫し沈黙が下りる。


 警戒心の強い猫が寄ってくるのを辛抱強く待つ心地でいると、やがて相手が後ろで組んでいた手を解いた。


「――わかりました、あなたを信じることにしますよ、聖女様」


「と言っても私に拒否権はないんですけど」と軽く憎まれ口を叩きつつ、彼は一歩ミラに近づいた。


「ミラって呼んで。様もいらないから。私もラルフって呼ばせてもらっていい?」


「かまいませんよ――ミラ、さん」


 丁寧な物言いはもともとのようだから、無理に呼び捨てにしろとまでは言わずにおく。


「これからは基本的には私と一緒に行動してくれる? でもあなたにもやりたいことや行きたいとこがあれば、ちゃんと許可するから。他にもあなたからの要望があればなんでも言って」


「では、さっそくですが一か所、行きたいところがありまして……」


 なぜだか照れ臭さを押し隠すような表情で、ラルフは切り出した。


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