29 父の抱擁
「……正直、まだ腹立つ気もするし、言いたいことも、いろいろある気がするんだが……」
二人で廊下を歩きながら、キースが自分自身の感情に戸惑うように、ぽつぽつと話しはじめる。
「この人、遊びで童貞食われた挙句、子供だけ押し付けられて捨てられたのに、まだ母親のことが好きなんだな、って思ったら、なんか可哀想? つうか」
身も蓋もない言い分に、ミラは反応に困ってしまって視線を泳がせる。
キースは抱えてきた様々な思いを下ろすかのような、大きなため息を一つ吐く。
「聞いた感じひでえ女だなって思うが、今更恨む気持ちもわかないし、父がそんなに好きになった相手なら、知らない俺がケチつけるのもな」
伯爵にとっては真実、一生に一度の燃えるような恋であったなら、それを他の人間が「一夜の過ち」と笑っていいものではないのだろう。
しばらく黙って考え込んだ風のキースが、ミラをみて提案する。
「なあ寄付金横領の件だが、父上に話してみないか。実の父ながら、今まで何考えてるのかよくわからない人だと思ってたが、今回でまあいろいろ誤解も解けたし。聖女の力で助けられたことで、あんたに恩も感じてるようだ。予知の話は言わずとも寄付金の流れに疑惑を抱いたって伝えれば、俺らを信用して協力してくれるんじゃないか」
「そっか、伯爵様の信用を得た今なら、リストを持ち込んでも自首だとは思われないってことね」
「まだ内密に、父上の信頼出来る部下に王城内に残っている他の月のリストについて精査してもらい、本格的な犯人確保のため動いてもらえるよう、俺から頼んでみようと思う」
そうしてもらえたら大分心強い。自分たちだけでは難しかった捜査がいっきに進みそうだ。
キースの見送りを受けて公爵邸に戻ると、すぐに父がミラを迎えに出てきた。
「お祭りの夜にも聖女の仕事なんて、大変だったねミラ」
昨夜は結局一番早い方法として、ラルフを呼び出して父に伝言をお願いしていた。
「いいえ、伯爵様を助けられてよかったです」
屈託なく答えたミラに、父は優しい眼差しを向けてくる。
「公爵令嬢としてもっと悠々と暮らすことだって出来るのに、きみは聖女の役割を本当によくこなしているね。僕としては苦労してきた分、屋敷でもっとのんびり過ごして欲しいと思うくらいなんだけど」
「お父様は、王宮でのパーティ楽しかったですか? なんだか疲れてるように見えますけど」
「そうだね、ダンスのお誘いを断るのがちょっと大変だったかな」
苦笑しながら頬を掻く。
まだ三十四歳、見た目は二十代に見えるくらいだし、ミラがいたところで公爵夫人の座を狙っている女性は今も大勢いるようだ。
父は繊細に整った顔立ちだし、中背ではあるが足が長くてスタイルもよい。今更だが、社交界でこれほどの優良物件が独身を貫いてきたというのは、すごいことなのでは、と思う。
母と結婚する道は選ばず、だけど他の女性ともずっと結婚せずにいた父が、どういう気持ちだったのか、本当は聞いてみたかった。
「ああ、そうだ、きみの最近の聖女としての活動について、国王陛下と王妃様から直接労いの言葉を賜ったよ。僕はとっても誇らしかった」
にっこりと父が微笑む。
「きみは僕の誉れだよ、ミラ」
眩しそうに見つめられ、ミラの頬が熱くなる。
しかし父は突然掌で顔を覆った。
「でもねミラ! いくら緊急事態だったとは言え、いきなり現れた精霊から『娘さんは今夜伯爵邸に泊まるそうです』って突然聞かされた時の僕の気持ちを、きみも少し考えてくれると嬉しいんだけどっ」
心臓止まるかと思った! と嘆かれる。
「え、えーと、ごめんなさい?」
立派な客間を用意してもらって、何不自由なく一晩過ごせたのだが、貴族のマナー的に何かいけないことがあったのだろうか。
よくわからないでいるミラをジト目で見ていた父だが、小さく息を吐くと弱々しく微笑む。
「身勝手なことを言うけれど、小さい頃傍にいてあげられなかった分、きみの子供時代を少しでも長く一緒にいたいんだ。だから、急いで大人になったりしないでくれよ、ミラ」
父がゆっくりミラの肩に手を伸ばす。まるで壊れ物を扱うように、そうっとミラを引き寄せて、抱きしめる。
ぎこちない抱擁だけれど、父の熱はじわじわとミラに伝わってくる。
「……」
キースとキアンのわだかまりが溶けたことで、自分たち父子の関係にも希望を感じていた。
もう少し、もう少しだけ、勇気が出たら、私もお父様とちゃんとお話ししよう……。
自分から父の方へそっと体をもたれさせて、ミラは思った。




