3.母さんのこと または民俗学
僕の成績に嫉妬すると言っていた割には、沢田だってそこそこ成績が良い。リーダーの素養もあるので、学級委員長にも何度か就任したことがある。ただ、時々鼻持ちならない態度をクラスメイトに対してとることがあって、人望は薄い。
だが、友人宅にお邪魔するときなどの挨拶は完璧にこなす。そういった理由で我が家でも沢田の評判はすこぶる良い。
僕の家は小学校のグランドを出たすぐ横にあったので、家が近いというよりもほとんどゼロ距離と言ってよかった。
沢田とへんげを家に連れて行くと、母さんが出てきた。母さんは専業主婦ではないが、ほとんど家にいて家事を取り仕切っている。僕のおやつや父の弁当を作り、みんなの夕食も担当している。趣味の範囲ではあるが、民俗学の研究家でもあり、何冊か本を出している。そのうちの2冊はかなり売れたらしい。怪談話を丹念に拾い集めたもので、結構話題にもなった。
「ただいま。沢田ともう一人へんげって子を連れてきた」
「おかえり。沢田くんいらっしゃい。可愛い子ね。沢田くんのガールフレンド?」
「いえ、違います」
沢田はきっぱりと否定した。へんげも否定されたことに対して満足そうな顔をしていた。つまり、そういう関係ではなかったということだ。
僕は、二人を自分の部屋に通して、好きな場所に座るようにと促した。
「本しかないのね」
へんげが僕の部屋をグルッと見て言った。
「そうなんだよ。河合の部屋ってマンガもないしゲームもないしさ。遊べないんだよな」
沢田もへんげに同意してそう言った。
「本だけじゃないよ。勉強机の脇にアニメのポストカードが飾ってあるじゃん」
「いや、それは俺が持ってきてやったものだろう?」
そのとおり、それは沢田が勝手に持ってきて飾ったものだ。
「こんなものしかないけど、いいかしら?」
そう言いながら、母さんが飲み物とクッキーを持ってきた。
「あ、すみません。すぐに帰りますのでお構いなく」
沢田が外面の良いところを見せる。
「河合くんのお母さんって、民俗学にお詳しいと聞いたんですけど」
へんげが母さんに話しかける。やっぱり、狙いは母さんだったか。
「詳しいかどうかはわからないけど、好きで色々と本を読んだり、出したり、話を聞いたり、話したりしてますよ。特に怪異伝承を集めてますね。有名なのは消えるヒッチハイカーの話とかかな」
「どんな話ですか?」
へんげが、食いついた。やめればいいのに。
母さんが話し始めると、長くなる。
「アメリカの古い都市伝説ね。ヒッチハイカーが車からいつの間にか消えていたって話。世界中にバリエーションがあって、日本ではタクシーの乗客が消えて座席が濡れていたなんて話になってたりするのよ。聞いたことない?」
「あります。それで、河合くんのお母さんはこのあたりの伝承とかには興味ないんですか?」
「興味なくはないけどね。手が回っていないっていうのが正直なところかな」
「この本、私の親戚が自費出版したものなんです」
へんげはそう言うと、先程の本を母さんに差し出した。
「あら、和本?センスいいわね」
やっぱり親子だなと言う表情を沢田とへんげが同時に浮かべたのが分かった。
「『三重の伝承 怪異編』かぁ。他にもあるの?」
「いえ、怪異編が最初なんです。次は祭り編にしようかって話しています」
「祭り編。いいわね。ぜひまとめてください。その前にこの怪異編を読ませてもらってもいいかしら?」
「ええ、どうぞ。これ、お渡ししますね。河合くんにもね」そういうとへんげは鞄から更に2冊真新しい『三重の伝承 怪異編』を出すと母さんと僕に渡してきた。僕は特に欲しくはなかったのだが……。
「ありがとう」
母さんは一言お礼を言うと、嬉しそうにページをめくりながら、話し始めた。
「民俗学はね、その土地に生きた人々の語りの歴史を探ることなの。語りの歴史だから、人から人へと伝わってディテイルは異なってくるんだけど、根っこの部分には共通点があるの。つまり類型化できるのよ。さっきの消えるヒッチハイカーとか、全国的に言うと狐火とか……。あら?」
一旦、母さんは話すのを止め、そしてまた続けた。
「このお話は、なんだろう?少し毛色の違った話ね。語りって面白いわね」
「ご存じの話なんですか?」
へんげが身を乗り出す。
「いいえ。あえて言えば羽衣伝説の一種かしら。いえ、違うわね」
沢田は退屈してきたらしく、用事があるので帰るといって、母さんの話が途切れた瞬間を見計らって、そそくさと退散していった。しかし、へんげはそのまま僕の部屋に居座って母さんの話を聞いている。
「それは『横顔の美女』の話ですね。私が蒐集したんです」
「え?へんげもこの本に関わってたの?親戚って言ってたじゃない?」
「河合くんさ。どんどんビルが立っていく私達の街の、古き良き伝承を残そうというプロジェクトなのよ。その発起集団が私の親戚たちで、私ももちろん協力してるの」
その時、少しだけボリュームをあげた母さんの声が響いた。
「すばらしいじゃない!」
感動した様子だ。
「でも、SNSで募集したら、いくらでも話が集まってくるんじゃないの?」
僕が言うと、母さんから諌められた。
「それはそれで、民俗学のアプローチ手法のひとつではあるけれどね。まずは、対面で古い伝承を聞きとるという仕事をやっておくべきだと思うわよ。数年後にSNS上で、その話がどんな形に変わって伝わっているのか知るのも面白いんじゃない?」




