2.へんげのこと または古い伝承
「へんげ!」
卒業式が1か月後に迫ってきた頃、放課後の僕のクラスに沢田が一人の女の子を連れてきた。沢田のクラスの子だ。僕は小学校の6年間で、その子と一度も同じクラスになったことがない。だが、顔だけは知っていた。
少し、ハーフっぽくて髪の毛がさらさらな可愛い子だなという印象を持ってはいた。だが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
「へんげ!」
もう一度、沢田がその子を呼んだ。
おずおずと、その子が僕の方へ近づいてきた。
(変わった苗字だな。どんな字を書くんだろう?)
そう思っていると沢田が言った。
「へんげがさ、お前とすごく話がしたいんだってさ」
「どうして?」
僕が言うと、
「さわだ!誤解するようなことを言わないでよ」
へんげも沢田に文句を言った。そうして僕の方を向くと、一冊の本を差し出してきた。和本だ。だが古い時代のものではなく、真新しい。
「この本はね。私の親戚が集まってこのあたりの伝承を色んな人から聞いてまとめたものなの」
「自費出版?」
「そう。最近作ったんだ」
「あえて、昔風の製本をしているところにセンスを感じるね」
僕がそう言うと、へんげは分かってくれたかという顔をして、二重なのに切れ長な目を見開いた。関係ないことだが、僕には「親戚が集まって」という映像がどうにも想像できないでいた。
「伝承って言ったけど、そんなに昔の話じゃないの。例えばここを見て」
そう言われても、あまり興味もなかったのだが、へんげが僕に近づいてきた理由は見当がついた。
しかたなく、へんげが指差すページを覗いてみた。どうやら、昭和二十年頃、バスの後ろをついてきた提灯のような化物の話のようだった。「けけけけけ」と笑ったらしい。
「ここも見て」
そこには、やはり同じ頃の話らしく、裸電球のような形をした火の玉をトイレの窓から見たという話が載っていた。それは、小さな丸い光をいくつか従えた子連れの火の玉で、手を伸ばせば届く距離をふわふわと飛んで、深夜の畑を昼間のように照らしたらしい。
「これも見て」
僕も非現実的な話につい引き込まれながら、読んでみると、今度は昭和十年頃の話で、杉の木ほどの背丈の巨人が道を塞いで立っていた。そこで、回り道をしても、またその先に巨人が立ってとうせんぼをしていた。そんな話だった。
「面白い。飾り立てない素朴な感じが、本当にあったことのようだ。これって民俗学っていうのかな。作り話を集めたものじゃないんだよね?」
「伝承をまとめたものって言ったでしょ?本当に見たと本人が思っている話とか、それが伝わったものをまとめたのよ」
へんげの口調が少しだけ馴れ馴れしくなったことが気になったが、子供なんてそんなもんだ。
「へんげ、河合のことを紹介したからもういいだろ?河合、帰ろうぜ」
沢田が退屈そうに言うと、へんげもそれに答えるように言った。
「じゃあ、一緒に帰ろうよ。もう少し河合の意見を聞いてみたいしさ」
あれ?初めて口を利いた相手を呼び捨て?
まあ、子供なんてそんなもんだと思いながら、僕も帰り支度をして、二人と一緒に教室を出た。
「どうする?僕の家、近いけど寄ってく?へんげはどっち方面に帰るの?」
お返しに僕もへんげと呼び捨てにしてみた。
「本当は逆方向なんだけどさ。河合の家にも興味あるから寄らせてもらえる?」




