第9話:王宮舞踏会は、悪役令嬢たちに奪われる
王宮大舞踏会場には、王国中の貴族が集められていた。
高い天井から吊るされた硝子の灯。磨かれた大理石の床。壁際に並ぶ楽団。中央には、王家の紋章を描いた円形の舞踏床がある。
そこに立つ者が、今夜の中心になる。
王太子アルフォンスは、そう信じていた。
「断罪式が崩れても、舞踏会は違う」
彼は、控えの間で側近たちに言った。
「貴族は、中央に立つ者を見る。王家の舞踏会で誰が中心にいるべきか、今夜で思い知らせる」
その隣には、聖女リリアーナが立っていた。
白い舞踏衣装。控えめな宝石。教会が用意した聖女の飾り。ただし、その光は以前よりも少ない。
リリアーナを照らすための特別照明は、直前に外された。香炉の位置も変えられた。水晶の飾りも、表から見えるものは撤去されている。
「なぜ、あれほど地味にした」
アルフォンスが低く言う。
側近は青い顔で答えた。
「殿下。聖女様だけを強く照らせば、また水晶や補助具を疑われる恐れがあると……」
「誰がそんなことを」
その答えを待つまでもなかった。
舞踏会場の入口で、ルクレツィア・グランヴェルが水晶板を持って立っていた。
「本日の照明は、通常仕様の方がよろしいかと」
ルクレツィアは淡々と言った。
「聖女様だけを照らすと、また仕掛けを探されます」
リリアーナの肩が、小さく揺れた。
アルフォンスは舌打ちを飲み込む。
「いい。照明などなくとも、中央に立てばよい」
そのとき、楽団が一曲目の準備を始めた。
王宮舞踏会の第一舞踏。本来なら、王太子と、その隣に立つべき女性が、全員の視線を集める。
アルフォンスはリリアーナへ手を差し出した。
「行くぞ」
リリアーナは、その手を見た。
だが、会場の空気は、彼女たちを待つ熱ではなかった。
* * *
王宮大舞踏会場に、貴族たちは集まっていた。
欠席は少ない。
だが、中央には寄っていない。
主要家門の当主や代理人たちは、王太子派の席に固まらず、中立寄りの位置に座っている。中央舞踏床に近い席ほど、奇妙に空いていた。
セレスティア・ヴァレンティスは、扇の陰でそれを見ていた。
「欠席は減りました」
彼女は、エリザベートに囁く。
「ですが、中央に寄る方も増えておりません」
「つまり?」
「皆さま、見たいのですわ。けれど、近づきすぎたくはない」
セレスティアは微笑んだ。
「王太子派の勝利を祝う席ではなく、結果を見届ける席を選んでおられます」
エリザベート・ローゼンベルクは、黒革の名簿を手に、舞踏会場を見渡した。
セレスティア。マルグリット。ルクレツィア。エレオノーラ。ロザリンド。イリス。
六人は、それぞれの位置に散っている。
社交。経理。魔法。騎士。情報。聖女候補。
舞踏会場は華やかだった。だが、華やかさも配置でできている。配置なら、奪える。
「通常舞踏会費用は承認済みです」
マルグリット・ベルフォールが帳簿を開いた。
「ただし、聖女様を中心に置くための追加演出費、特別装花、記念贈答品、専用楽曲手配費は、すべて未承認です」
側近の一人が顔をしかめる。
「王宮舞踏会だぞ。王家の格式に必要な費用だ」
「通常の格式は承認済みです」
マルグリットは顔色を変えない。
「勝利演出は未承認です」
セレスティアが、扇の奥で笑った。
「つまり、今夜は王宮舞踏会ではあっても、王太子派の勝利披露会ではないということですわね」
ルクレツィアが、水晶板の反応を確認する。
「特別照明も解除済み。発声増幅も通常範囲。聖女様だけを浮かび上がらせる演出はありません」
「未承認の輝きは」
マルグリットが帳簿を閉じる。
「消しておきました」
アルフォンスは、中央へ進みながら、その言葉を聞いた。
顔が引きつる。
だが、もう退けない。
彼はリリアーナの手を取り、中央舞踏床へ立った。
楽団が、一曲目を奏で始める。
王太子と聖女が、中央で踊る。
本来なら、それだけで会場は拍手と視線に満たされるはずだった。
しかし、拍手は薄かった。
視線は、リリアーナだけを見ていない。
彼女の足元。天井の灯。壁際の水晶。証言台のように見えないか。誰もが、仕掛けを探す目になっている。
リリアーナは、その視線に気づいていた。
足がわずかに遅れる。
「顔を上げろ」
アルフォンスが小声で言った。
「皆が見ている」
リリアーナは顔を上げた。
だが、その目に映ったのは、自分を信じる民ではなかった。
確かめる民だった。
* * *
「警備導線がずれています」
エレオノーラ・ヴァイスブルクが、近衛隊長へ言った。
舞踏会場の端。近衛兵たちが、悪役令嬢パーティーの動線を狭めるように立っている。
「この配置では、要人警護ではなく、特定客の隔離になります」
近衛隊長は、苦い顔をした。
前回、彼はすでに剣を落としている。今回は、同じ間違いを繰り返せない。
「配置を戻せ」
隊長は短く命じた。
近衛兵たちが、半歩ずつ下がる。
舞踏床へ続く導線が開いた。
「中央へ進む導線、確保しました」
エレオノーラが言う。
同じころ、ロザリンド・アシュベリーは招待客名簿を読んでいた。
「本日の舞踏台本、三度目の改訂版」
彼女は、薄く微笑む。
「王太子殿下と聖女様の第一舞踏。次に主要家門令嬢を指名し、王太子派への求心力を示す予定」
セレスティアが目を細める。
「その主要家門令嬢は?」
「すでに保留のお返事です」
ロザリンドは紙を閉じた。
「踊る前から、答えは出ています」
その時、会場の端で小さな騒ぎが起きた。
民衆代表席にいた子どもが、緊張と人いきれでふらついたのだ。母親が慌てて支える。
イリス・レインフォードが、すぐに近づいた。
「失礼します。少し診ます」
派手な光はない。水晶もない。祈祷台もない。
イリスは子どもの額に手を当て、呼吸を整えさせる。
「大丈夫です。少し休めば戻ります」
母親が何度も頭を下げた。
その様子を、周囲の貴族たちが見ている。
王太子と聖女が中央で踊っている。だが、会場の視線の一部は、踊りではなく、具合の悪い子どもをすぐに診た偽聖女へ向いていた。
アルフォンスは、それに気づいた。
「なぜだ」
彼は、リリアーナの手を取ったまま、低く呟いた。
「私は中央にいる」
舞踏床の真ん中。王家の紋章の上。全員から見える場所。
それなのに、会場の中心が自分に固定されない。
セレスティアが、舞踏床の外から静かに言った。
「中央は、立っただけで中心になる場所ではございません」
アルフォンスが彼女を睨む。
エリザベートが、一歩進み出た。
「視線が集まる場所が、中心ですわ」
その声に、会場の視線が動いた。
王太子ではなく、エリザベートへ。そして、彼女の背後にいる六人へ。
社交は、貴族たちの位置を読んでいた。経理は、勝利演出の費用を止めていた。魔法は、光で隠すものを取り払っていた。
騎士は、中央へ進む導線を開いていた。情報は、踊る前の答えを読んでいた。聖女候補は、舞踏会の端で必要な者を診ていた。
中央は、床ではなかった。
機能が集まった場所だった。
* * *
第一舞踏が終わった。
拍手は起きた。
だが、それは王太子派の勝利を祝う拍手ではなかった。
踊りが終わったから鳴らされた、礼儀としての拍手だった。
アルフォンスは、次の相手を指名しようとした。
主要家門の令嬢。本来なら、その手を取ることで王太子派への求心力を示すはずだった。
だが、その令嬢は父の代理人とともに、深く礼をした。
「殿下。大変光栄ではございますが、本日は家の判断として、舞踏順を保留させていただきます」
大広間よりも大きな舞踏会場で、沈黙が広がった。
保留。
王太子派の夜会を空席にした言葉が、ここで形を変えて戻ってきた。
欠席ではない。敵対でもない。
だが、中心には寄らない。
セレスティアが扇を閉じた。
「舞踏順も、主催者への評価ですわ」
アルフォンスの顔が歪む。
「誰か、次を――」
しかし、次の候補も動かない。
マルグリットが帳簿を見ながら言った。
「特別な贈答品が未承認では、踊った方への返礼も確定できませんものね」
ロザリンドが続ける。
「さらに、本日王太子殿下と踊った家門は、明朝の派閥表で中央寄りとして記録されます」
ルクレツィアが、天井の灯を見上げる。
「過剰な光もありませんから、どなたが前へ出たか、よく見えます」
エレオノーラが近衛配置を見る。
「警備で押し出すこともできません」
イリスは、具合の戻った子どもを席へ戻していた。
「踊れる方だけで大丈夫です。無理はしないでください」
その一言に、会場の空気がまた動いた。
王太子派は、誰かを中央へ押し出そうとしている。悪役令嬢パーティーは、無理に中央へ出る必要はないと言っている。
貴族たちは、その違いを見ていた。
エリザベートは、ゆっくりと舞踏床へ進んだ。
近衛兵は止めない。楽団は演奏を止めない。貴族たちは目をそらさない。
彼女は王家の紋章の外側で足を止めた。
中央そのものではない。
だが、視線はそこへ集まっていた。
「殿下」
エリザベートは言った。
「そこに立てば中心になると、お思いでしたか?」
アルフォンスは返せなかった。
リリアーナは、静かに視線を伏せている。
誰も、彼女を責めてはいない。けれど、もう彼女だけを中心として見てもいない。
エリザベートは黒革の名簿を開いた。
「王宮舞踏会。第一舞踏、反転」
六人が、それぞれの位置から舞踏会場を見ている。
エリザベートは、名簿の新しい欄に印をつけた。
「舞踏会中央、取得」
その瞬間、会場の中心は完全に移った。
王太子は、中央床に立っていた。だが、舞踏会の視線は、悪役令嬢パーティーを見ていた。
* * *
舞踏会が終わるころ、王太子派の勝利演出は何一つ残っていなかった。
リリアーナの特別照明は使われなかった。主要家門の舞踏順は保留された。追加装飾と贈答品は未承認のまま止まった。警備導線は正常化された。招待客名簿は、すでに別の噂を運んでいた。
王宮舞踏会は、開かれた。
だが、王太子派の中心にはならなかった。
「舞踏会など、所詮は社交だ」
アルフォンスは、怒りを押し殺すように言った。
その隣にいた老臣が、低く続ける。
「王国を動かすのは評議会です。政務は、舞踏会とは違います」
エリザベートは、その言葉を聞いていた。
セレスティアが扇を閉じる。マルグリットが帳簿を抱え直す。ルクレツィアが水晶板を下ろす。エレオノーラが警備動線から目を離す。ロザリンドが招待客名簿を畳む。イリスが、最後に診た子どもを見送る。
エリザベートは、黒革の名簿を開いた。
「では、次は政務を確認しましょう」
王宮舞踏会の中央は、奪われた。
次に明らかになるのは、王国評議会を誰の仕事が支えていたかだった。




