第10話:王国評議会は、悪役令嬢の仕事で回っていた
「舞踏会など、所詮は社交です」
王宮評議会室で、内務卿はそう言った。
長机の上には、王都の地図、各家門からの返答書、予算案、警備配置図、教会の救護計画書が積まれている。舞踏会場の灯りも音楽も、ここにはない。
あるのは、紙と印章と、王国を動かす者たちの顔だけだった。
「王国を動かすのは評議会。政務は、席順や噂では動きません」
内務卿の声には、まだかろうじて威厳が残っていた。
王太子アルフォンスは、その言葉にうなずく。
「そうだ。評議会で決める。王国を動かすのは王家だ」
エリザベート・ローゼンベルクは、黒革の名簿を手にしていた。
セレスティア。マルグリット。ルクレツィア。エレオノーラ。ロザリンド。イリス。
六人は、評議会室の壁際に控えている。
内務卿は、彼女たちを見て眉をひそめた。
「ここは政務の場です。悪役令嬢ごっこの続きを持ち込む場所ではない」
「承知しております」
エリザベートは、静かに微笑んだ。
「ですので、政務を確認しに参りました」
内務卿は鼻を鳴らし、書記官へ合図した。
「議題を進めよ」
書記官が、一枚目の議案を読み上げる。
「第一議題。王都治安回復および王太子派主導による臨時統制案」
アルフォンスは、机に手を置いた。
「まずは諸侯の同意を得る。王都の混乱を収めるため、王太子派が中心となって警備、救護、予算を統制する」
評議会室の空気は、動かなかった。
地方貴族の代理人たちは、返事をしない。何人かは、机の上の返答書に目を落としている。誰も、最初に賛成を言おうとしない。
内務卿が眉を寄せた。
「諸侯の意見は」
沈黙が続く。
そこで、セレスティア・ヴァレンティスが扇を開いた。
「評議会の椅子も、座っただけでは票になりませんわ」
内務卿が彼女を見る。
「何を」
「本日、王太子派案に明確な賛成を出している家門は三つです」
セレスティアは、席順を見渡した。
「保留は十二。反対はまだございません。ですが、採決に足る賛成もございません」
「欠席ではないのだろう」
アルフォンスが言う。
「はい。欠席ではありません」
セレスティアは微笑む。
「保留です。夜会でも、舞踏会でも、評議会でも、意味は変わりません」
地方貴族の代理人たちが、わずかに目を伏せた。
彼らはここにいる。王太子派に逆らってはいない。ただ、まだ票を置いていない。
内務卿の指が、机を叩いた。
「では、予算案へ進む。財源が確定すれば、諸侯も判断しやすくなる」
書記官が、次の書類を出す。
「第二議題。聖女庇護費、王都治安回復費、近衛隊再配置費の追加承認について」
マルグリット・ベルフォールが、帳簿を開いた。
「財源がありません」
評議会室が静まった。
内務卿が顔を上げる。
「評議会承認を得れば、予算は動く」
「承認は、空欄を金貨に変える魔法ではありません」
マルグリットは、紙を一枚ずつ並べる。
「前回差し戻した聖女庇護費、未精算。王宮舞踏会の追加演出費、未承認。近衛隊再配置費、見積書なし。王都治安回復費、支出先未定。救護関連費、受益者名簿なし」
アルフォンスの顔が険しくなる。
「必要なものなのだ」
「必要かどうかではありません」
マルグリットは、帳簿の上に指を置いた。
「数字がありません」
内務卿の顔から、少しずつ血の気が引いていく。
王太子の命令でも、評議会の机でも、空欄は埋まらない。
「では、魔法設備報告だ」
内務卿は、強引に次へ進めた。
「王都の魔法設備は安定している。聖女儀式の混乱は例外である。そう報告を受けている」
教会側の魔法技師が、急いでうなずいた。
「はい。儀式の一時的な混乱にすぎません」
ルクレツィア・グランヴェルが、水晶板を机に置いた。
「報告が古いです」
魔法技師の顔がこわばる。
「何を根拠に」
「教会前広場の祈祷台。王宮大広間の証言台。舞踏会場の照明補助。いずれも、設備運用記録と実際の配置が一致していません」
ルクレツィアは、水晶板の光を抑えたまま続ける。
「直すべきものを、光らせていただけです」
評議会室に、ざわめきが走った。
「魔法設備が安定しているなら、なぜ補助具を隠す必要があったのですか」
魔法技師は、答えられなかった。
内務卿は、口元を硬く結ぶ。
「警備案へ進む」
近衛関係者が地図を広げた。
「王都中央部に兵を厚く配置し、教会前広場、王宮門、主要街路を押さえる。悪役令嬢一派による混乱を防ぐため――」
「補給路が空きます」
エレオノーラ・ヴァイスブルクが言った。
近衛関係者が顔を上げる。
「何?」
エレオノーラは地図の端を指した。
「王都中央だけを厚くすれば、南倉庫から治療所へ向かう物資線が薄くなります。西門から入る食料馬車も止まる。見た目だけは守れますが、二日で物資が滞ります」
「王都の中心を守るのが先だ」
「中心は、兵を並べた場所ではありません」
エレオノーラは、静かに言った。
「物資が通る線です」
近衛関係者は、言葉を失った。
「兵は、怒りを飾る列ではありません。王国を動かす道を守るものです」
アルフォンスが歯を食いしばる。
「また私の命令を止める気か」
「王太子殿下の命令ではなく、悪い配置を止めています」
エレオノーラの声は、揺れなかった。
内務卿は、額に汗を浮かべながら書記官へ目を向けた。
「記録を確認しろ。前回の承認事項と照合する」
ロザリンド・アシュベリーが、薄い紙束を取り出した。
「本日の議事進行表、四度目の改訂版です」
書記官の手が止まる。
ロザリンドは微笑んだ。
「今回は断罪台本ではなく、評議会台本ですわね」
内務卿が声を低くした。
「記録を勝手に読むな」
「読める場所に置く方が不用心です」
ロザリンドは、前回議事録を開く。
「前回議事録では、聖女庇護費は確認待ち。今日の資料では承認済み扱い。近衛隊再配置は検討中。今日の資料では実施前提。救護計画は患者名簿待ち。今日の資料では実施可能」
書記官たちの筆が止まった。
「議事録は」
ロザリンドは、紙を机へ置いた。
「過去の発言を消すための紙ではありません」
内務卿の唇が震えた。
評議会室の空気が、さらに重くなる。
王太子派は、社交で座らせられず、金で飾れず、光で隠せず、剣で押せず、紙で整えられない。
それでも最後に、教会代表が立った。
「で、では、救護計画を進めるべきです」
神官は、救護計画書を広げる。
「聖女リリアーナ様による巡幸を行い、教会認定の祈祷を各地区で実施する。祈祷台設置場所、観覧席、警備動線、献金受付――」
「患者名簿はどこですか」
イリス・レインフォードが、静かに尋ねた。
神官の声が止まる。
「何?」
「診る人の名前です」
イリスは計画書を見る。
「祈る場所は書いてあります。観覧席も、献金受付も、警備の線もあります」
彼女は顔を上げた。
「診る人の名前がありません」
評議会室が、完全に静まった。
「症状も、優先順位も、移動手段も、治療後の確認もありません」
イリスは、責めるようには言わなかった。ただ、読んだものをそのまま告げている。
「傷を診る。その計画ではありません」
神官が口を開きかける。
イリスは続けた。
「聖女を見せる計画です」
その一言で、教会代表の顔が青くなった。
* * *
評議会は、進まなくなっていた。
王太子派の治安回復案には、賛成する家門が足りなかった。
予算案には財源がなく、魔法設備の報告は古い。警備案は補給路を空け、議事録は前回の内容と噛み合わない。
そして救護計画には、診るべき患者の名前がなかった。
内務卿は、机に両手をついたまま動けなかった。王国を動かすはずの政務が、紙の上で止まっている。
エリザベートは、静かに名簿を開いた。
「殿下」
アルフォンスが睨む。
「政務は、玉座から命じれば動くものではありません」
彼女は、評議会室の机を見る。
「票を整え、金を通し、設備を読み、兵を置き、記録を合わせ、傷を見る」
六人の令嬢たちが、それぞれの場所に立っている。
「その全部を、あなた方は悪役と呼んで捨てました」
内務卿は、何も言えなかった。
彼は無能ではない。ただ、今まで誰の仕事の上に政務が乗っていたのかを、見ないで済ませてきただけだった。
「評議会、停止」
エリザベートは名簿に印をつける。
「政務機能、取得」
それは、救済ではなかった。止まった王国を助けるための宣言ではない。王国を動かしていた機能が、どこへ移ったのかを記録する言葉だった。
「こんなものは、認めん」
アルフォンスが低く言った。
「王太子派だけで回せる。お前たちの手など借りずとも、王国は動く」
エリザベートは、微笑んだ。
「ええ。ぜひ」
セレスティアが扇を閉じる。マルグリットが帳簿を抱える。ルクレツィアが水晶板をしまう。エレオノーラが地図から手を離す。ロザリンドが議事録を畳む。イリスが救護計画書を机へ戻す。
誰も、助けなかった。誰も、直してやらなかった。
評議会室には、空欄だらけの資料だけが残った。
エリザベートは、黒革の名簿を閉じる。
「では、次は結果を確認しましょう」
評議会は、止まった。
次に崩れるのは、悪役令嬢なしで回るはずだった王太子派の一日だった。




