第6話:情報担当は、断罪台本を先に読む
「記録を作れ」
王宮記録室に隣接した臨時聴聞室で、王太子アルフォンスは低く命じた。
広場での混乱から、まだ半日も経っていない。
聖女リリアーナの奇跡は、補助魔法陣と水晶に分解された。近衛隊は、王太子の命令を受けながらも前へ出られなかった。民衆は見ていた。教会も見ていた。
だからこそ、記録が必要だった。
「聖女の儀式は、悪役令嬢一派の妨害により中断。近衛隊は秩序維持のため前進。エレオノーラ・ヴァイスブルクが近衛隊長に暴行。エリザベート・ローゼンベルクは民衆を扇動し、王家への反逆的言動を行った」
側近が、用意された草案を読み上げる。
聴聞室には、書記官が三名。教会の神官。聖女認定官。近衛隊長。王太子派の商人。そして、民衆代表として呼ばれた男がいた。
全員が、証言者として並べられている。
リリアーナは、アルフォンスの後ろで顔を伏せていた。
「よい」
アルフォンスはうなずいた。
事実は、混乱の中で歪む。ならば、王家が正しく整えねばならない。
聖女認定官が、かすかに眉を動かした。だが、何も言わない。
アルフォンスはそれを見て、さらに声を強めた。
「まずは神官。聖女リリアーナの奇跡は正常に発現していた。だが、ルクレツィア・グランヴェルの危険魔法により妨害された。そう証言しろ」
「は、はい。聖女様の奇跡は――」
「その台詞」
涼しい声が、扉の方から響いた。
聴聞室の空気が止まる。
「三枚目の二行目と、少し違いますわ」
扉が開いていた。入ってきたのは、エリザベート・ローゼンベルクだった。
黒革の名簿を手にしている。
その隣に、黒に近い深藍のドレスをまとった令嬢が、音もなく立っていた。派手な宝石はない。華やかな飾りもない。それなのに、気づくと視線がそこへ集まる。
目立たないことに慣れた者の立ち方だった。
エリザベートは、名簿を開く。
「五人目。ロザリンド・アシュベリー」
金の文字を、指先でなぞる。
「役割は、情報」
アルフォンスの顔が歪んだ。
「アシュベリー……。その女は、盗み聞きと噂操作で追放された陰険令嬢だ」
「はい」
ロザリンドは、柔らかく微笑んだ。
「ですので、今回も聞こえておりました」
側近が立ち上がる。
「何を――」
ロザリンドは、懐から一束の紙を取り出した。その紙を見た瞬間、側近の顔色が変わる。
「なぜ、それを」
「まだ書かれていない断罪台本ですわ」
ロザリンドは、紙束を軽く振った。
「いえ、正確には、昨夜のうちに書かれていた台本です」
* * *
聴聞室に、紙の擦れる音だけが落ちた。ロザリンドは、一枚目を開く。
「一枚目。広場での出来事の概要。聖女様の奇跡は成功、悪役令嬢一派の乱入により中断。近衛隊は秩序維持のため前進」
彼女は、近衛隊長へ視線を向けた。
「ですが、近衛隊長の初期報告には、こうあります」
別の紙を取り出す。
「近衛隊、前列停止。排除命令、実行不能。民衆への威圧、失敗」
近衛隊長が、目を伏せた。アルフォンスが怒鳴る。
「隊長!」
「殿下」
近衛隊長は、低く答えた。
「初期報告として、事実を記しました」
アルフォンスの頬が引きつる。ロザリンドは、次の紙をめくった。
「二枚目。教会側証言予定。補助魔法陣は正式な聖女儀式の一部であり、民衆に伏せるべき秘儀である」
神官が、汗をにじませる。
「そ、それは」
「ですが、教会内部通達では、こう記されています」
ロザリンドは、細い紙片を掲げた。
「補助魔法陣の存在は、民衆には伏せること。祈祷台の水晶は、儀式後ただちに回収すること。発光補助を奇跡の一部として扱うこと」
書記官の筆が止まった。
「伏せること」
エリザベートが静かに言う。
「つまり、見られては困るものだったのですわね」
神官は答えられなかった。
ロザリンドは、さらに紙をめくる。
「三枚目。民衆代表証言」
民衆代表として呼ばれていた男が、肩を震わせた。
「悪役令嬢一派が民衆を扇動し、広場を混乱させた。そう証言する予定でしたね」
「お、俺は、見たんだ。確かに、あの場で――」
「あなたが広場に入ったのは、近衛隊が止まった後です」
ロザリンドは、別の小さな帳面を開いた。
「東門の通行記録。入場時刻。さらに、王太子派商会からの日当受領記録。証言料ではなく、臨時人足代という名目になっています」
王太子派の商人が、椅子から腰を浮かせた。
「そ、それは偶然で」
「偶然にしては、署名がきれいですわ」
ロザリンドは微笑む。
「同じ筆跡で、三人分」
商人は黙った。
アルフォンスは、唇を噛む。
「貴様、どこでそれを」
「聞こえておりました」
ロザリンドは、同じ言葉を繰り返した。
「廊下で。使用人控えで。記録室の裏で。商会の荷馬車の前で。皆さま、悪役令嬢は扉の前で泣いているだけだと思いすぎです」
エリザベートは、ロザリンドを見た。
「断罪台本は?」
「公開前に読み終えました」
「証言導線は?」
「反転済みです」
「記録導線は?」
「奪取済みです」
短い会話だった。確認であり、配置だった。アルフォンスが机を叩く。
「ふざけるな! 証言など、いくらでも集められる!」
「はい」
ロザリンドは、あっさりとうなずいた。
「ですから、誰がどの証言を集めようとしたかも記録してあります」
聴聞室が、完全に静まった。
* * *
リリアーナが、小さく息を吸った。アルフォンスが彼女を見る。
「リリアーナ。君も証言しろ。祈りを妨害されたと。あの女たちが、君の奇跡を傷つけたと」
リリアーナは、両手を胸の前で重ねる。
「私は……」
ロザリンドが、紙を一枚だけ持ち上げた。
「聖女様。台本には、『祈りを妨害された』とあります」
リリアーナの肩が揺れる。
「ですが、広場であなたは、こうおっしゃいました」
ロザリンドは、視線を落とした。
「『私は……祈っただけです……』」
リリアーナは、唇を震わせた。嘘をつけない。完全な偽者ではないからこそ、彼女は自分の祈りだけは手放せない。周囲の装置を知らなかったとは言える。だが、妨害されたとは言えない。
エリザベートは、そこを見ていた。リリアーナを潰す必要はない。台本と違う沈黙があれば、それで十分だった。
「私は……祈りました」
リリアーナは、かすれた声で言った。
「でも……妨害されたかどうかは、分かりません」
神官が顔を歪める。アルフォンスが立ち上がった。
「リリアーナ!」
「殿下」
エリザベートの声が、静かに入る。
「証言は、命令で飾るものではありませんわ」
アルフォンスの拳が震えた。ロザリンドは、最後の紙を開く。
「再断罪会、進行予定」
書記官たちが顔を上げる。
「第一段階。聖女儀式妨害の認定。第二段階。近衛隊への暴力認定。第三段階。民衆扇動。第四段階。王家反逆。第五段階。悪役令嬢一派の拘束」
ロザリンドは、紙を閉じた。
「たいへん分かりやすい台本でした」
アルフォンスが低く言う。
「それを盗んだのか」
「いいえ」
ロザリンドは微笑んだ。
「断罪は、始まる前に読めばただの台本です」
その一言で、聴聞室の空気が変わった。王太子派が作ろうとしていた記録は、もう記録ではなくなっていた。それは、事実を整えるための文書ではなく、事実を曲げるための筋書きとして見られている。
書記官の一人が、そっと筆を置いた。それが、王太子派にとっての敗北だった。
「書け!」
アルフォンスが怒鳴る。
「王太子である私が命じている!」
書記官は青ざめたまま、筆を取れない。なぜなら、台本が先に読まれてしまったからだ。今ここでその通りに書けば、書記官自身が筋書きに加担した証拠になる。
ロザリンドは、静かに告げる。
「嘘は、書かれる前が一番柔らかいのです」
彼女は紙束を、書記官の机に置いた。
「今なら、まだ事実に戻せますわ」
書記官の喉が鳴った。
アルフォンスの顔から、血の気が引いていく。
王太子派は、断罪式を奪われた。夜会の席を奪われた。金庫を閉められた。奇跡を分解された。剣を止められた。そして今、罪を作るための紙まで、先に読まれた。
エリザベートは黒革の名簿を開く。
「情報担当。第五手、成功ですわね」
ロザリンドは、優雅に礼をした。
「断罪台本、読了」
「証言導線は?」
「反転済み」
「記録導線は?」
「凍結しました」
「よろしい」
エリザベートは、名簿の情報欄に印をつける。
「情報線、取得」
それは、紙の上の勝利だった。だが、王国では紙に残るものが、人の罪を決める。その紙を奪われた王太子派は、もはや悪役令嬢たちを好きな形に切り捨てられない。
* * *
臨時聴聞室を出ると、廊下にはすでに噂が流れ始めていた。
聖女の奇跡は、補助魔法陣つきだったらしい。近衛隊は、王太子の怒りで動かされたらしい。再断罪の台本は、事前に用意されていたらしい。
噂は、まだ確定ではない。だが、確定していないからこそ、広がる。
セレスティアが扇の陰で笑った。
「社交界は、疑問形の噂が一番長持ちしますもの」
マルグリットが帳簿を閉じる。
「記録が止まれば、支出も止まります」
ルクレツィアが水晶板を見下ろした。
「魔法陣より、紙の方がよほど複雑ですね」
エレオノーラは、廊下の奥を見たまま言う。
「剣で斬れる相手ではありませんから」
ロザリンドは、静かに微笑んだ。
「だから、読むのです」
エリザベートは、名簿の次のページをめくった。社交。経理。魔法。騎士。情報。次は、聖女候補。
廊下の向こうから、誰かの声が聞こえた。
「では、本物の聖女とは何なのですか」
誰かが答える。
「本物の治癒など、どこにあるのだ」
エリザベートは、薄く微笑んだ。
「ちょうどよい問いですわね」
断罪台本は、読まれた。
次に民衆の前へ出るのは、偽者と呼ばれた本物だった。




