第4話:魔法担当は、聖女の奇跡を分解する
王都中央広場には、朝から人が集められていた。
本来なら、金糸の垂れ幕が張られるはずだった場所には、白布だけが吊られている。祈祷台の周りに並べられた花も、昨日の夜会で使われたものを整え直しただけだった。
それでも、広場の中央には人だかりができていた。
聖女リリアーナが、民の前で奇跡を見せる。
王太子派は、そう告げていた。
「金や夜会など、王家の本質ではない」
王太子アルフォンスは、仮設の祈祷台の前に立ち、広場へ向かって声を張った。
「王国が誰を信じるべきか。それは、聖女の奇跡が示してくれる」
その隣で、リリアーナが白い衣装に身を包んで立っていた。
昨日まで彼女を飾っていた真珠の髪飾りは、今日はない。銀糸の礼装もない。白い布を重ねただけの衣装だった。
それでも、彼女は聖女らしく見える角度で、両手を胸の前に重ねている。
広場には、軽傷の兵士や、足を痛めた老人、熱を出した子どもが並ばされていた。教会の者たちは、祈祷台の周りで静かに祈りの言葉を唱えている。
「見よ。これが、王国に必要な力だ」
アルフォンスは、勝ち誇るように群衆を見渡した。
リリアーナが一歩前へ出る。
「どうか……光を」
彼女が祈ると、祈祷台の下が淡く光った。広場から、どよめきが上がる。
白い光が、リリアーナの手元に集まっていく。その光が軽傷の兵士の腕に触れると、浅い傷がゆっくりと塞がっていった。
「奇跡だ……」
誰かが呟いた。
次に、足を痛めていた老人が、支えられながら立ち上がる。子どもの熱も、少しだけ引いたように見えた。
リリアーナの顔に、安堵が浮かぶ。
アルフォンスは大きく手を広げた。
「見たか。これが聖女の力だ!」
民衆の間から、今度ははっきりと歓声が起きた。
夜会の席は空いた。王宮の金庫は閉じた。
それでも、奇跡だけは残っている。アルフォンスは、そう言いたげだった。
その歓声の端で、涼しい声がした。
「確認します」
広場の人々が振り返る。エリザベート・ローゼンベルクが、黒革の名簿を手に立っていた。
その隣に、見慣れない令嬢が一人。銀灰のドレス。黒い手袋。片手には薄い水晶板。長い髪をきっちりと結い上げたその令嬢は、祈祷台を見て、まるで帳簿を読むように目を細めていた。
「三人目」
エリザベートは名簿を開く。
「ルクレツィア・グランヴェル。役割は、魔法」
「また悪役令嬢か!」
アルフォンスの顔が歪む。教会の神官が声を荒げた。
「グランヴェル令嬢は、危険魔法で生徒を傷つけた女ですぞ! そのような者を聖女様の御前に立たせるなど――」
「その儀式が暴走しかけたので止めました」
ルクレツィアは、静かに言った。
「止めた者を危険と呼び、失敗した者を奇跡と呼ぶ。教会の分類は、少々大雑把ですね」
神官が顔を赤くする。
「冒涜だ!」
「いいえ」
ルクレツィアは水晶板を掲げた。
「解析です」
彼女の指先が、水晶板の上をなぞる。その瞬間、祈祷台の下に薄い光の線が浮かび上がった。
民衆の歓声が止まる。白い光の下に、複雑な円が見えた。祈りの場の床板に隠されていた、細い魔法陣だった。
「第一層。光量増幅」
ルクレツィアが言う。祈祷台の横に置かれていた水晶が、強く輝いた。
「第二層。痛覚緩和」
兵士が、自分の腕を見下ろす。
「第三層。自然治癒促進」
リリアーナの手元に集まっていた光が、淡く分解されるように揺れた。
「第四層。祈祷者への魔力供給」
その言葉に、神官たちが一斉にざわめいた。アルフォンスが叫ぶ。
「黙れ! 奇跡が起きたことに変わりはない!」
「変わります」
ルクレツィアは即答した。
「誰の力で起きたかが、変わります」
広場の空気が冷えた。リリアーナは、両手を胸の前で握ったまま、震えている。
「私は……祈っただけです……」
「はい」
ルクレツィアは、リリアーナを見た。
「祈りはありました」
その言い方は、責めるものではなかった。
「ですが、奇跡として見せたのは、周囲の装置です」
彼女は祈祷台の水晶を指す。
「聖女様の力がゼロとは申しません。小さな治癒は確認できます」
リリアーナの顔に、ほんの少しだけ安堵が浮かぶ。
だが、ルクレツィアは続けた。
「ただし、この光の大半は水晶の仕事です。治癒効果は浅い。光量と反応だけが大きく見えるよう、祈祷台に補助魔法陣が組まれています」
民衆の目が、リリアーナから祈祷台へ移った。さきほどまで奇跡に見えていた光が、今は仕掛けに見えている。
「奇跡ではありません」
ルクレツィアは、はっきりと言った。
「手順です」
* * *
広場に沈黙が落ちた。アルフォンスは、歯を食いしばっている。
神官たちは慌てて祈祷台の前に立ち、光の線を隠そうとした。だが、隠そうとすればするほど、そこに何かがあることを認めているように見えた。
「祈りに見せるなら」
ルクレツィアは、淡々と水晶板を下ろした。
「魔法陣はもう少し隠すべきでしたね」
「貴様……!」
アルフォンスが一歩前へ出る。リリアーナは、彼の袖をつかもうとして、途中で手を止めた。
「私は……嘘をついたつもりは……」
「ええ」
ルクレツィアはうなずく。
「あなたは祈りました。小さな力もあります。ですが、王太子派と教会は、その小さな力を『大奇跡』として飾りました」
その言葉は、リリアーナだけではなく、アルフォンスと神官たちへ向けられていた。
エリザベートは、広場の反応を見ていた。民衆はまだ完全には離れていない。けれど、先ほどまでの熱はもうない。
奇跡を見ていた目が、仕掛けを見る目に変わっている。それで十分だった。
「聖女認定官」
エリザベートが呼ぶ。
教会の隅に立っていた認定官が、びくりと肩を揺らした。
「この状態で、今の現象を純粋な聖女の奇跡として記録できますか?」
認定官は口を開きかけ、祈祷台の魔法陣を見た。
水晶。補助陣。魔力供給線。民衆の視線。どれも、もう見えてしまっている。
「……確認が必要です」
その一言で、広場がざわついた。
「確認?」
「奇跡ではないのか?」
「でも、傷は塞がったぞ」
「水晶が光っていたって……」
信仰は消えない。だが、疑いは入った。
アルフォンスが認定官を睨む。
「何を言っている。聖女の奇跡だと記録しろ」
「ですが、殿下。補助魔法陣が露見した以上、教会としても――」
「記録しろ!」
怒鳴り声が広場に響いた。その瞬間、民衆の視線がさらに冷えた。
奇跡を信じろと命じる王太子。見えてしまった魔法陣をなかったことにしようとする教会。どちらも、祈りの場には似合わなかった。
ルクレツィアは、水晶板に指を置く。
「聖女の奇跡演出。補助魔法陣を確認」
淡々と報告する。
「治癒効果、一部あり」
リリアーナが唇を噛む。
「光量増幅、外部補助」
神官たちが目をそらす。
「奇跡認定、保留」
エリザベートは黒革の名簿を開いた。
「魔法担当。第三手、成功ですわね」
ルクレツィアは小さく礼をした。
「奇跡は、手順に戻しました」
「よろしい」
エリザベートは、名簿の魔法欄に印をつける。
「魔法解析、取得」
それは、聖女の信仰をすべて奪ったわけではない。けれど、聖女の奇跡から、純粋さという看板を奪った。
王太子派が金で飾れなくなったあとに掲げた最後の光は、魔法陣と水晶の光に分解された。
* * *
「近衛!」
アルフォンスの声が、広場に響いた。彼の顔には、もう余裕がなかった。
「この女たちを広場から排除しろ。聖女の儀式を妨害した罪だ!」
祈祷台の周囲に控えていた近衛兵たちが、槍を構えて前へ出る。
民衆が悲鳴を上げて下がった。
セレスティアが扇を閉じる。マルグリットが帳簿を抱え直す。ルクレツィアは水晶板を下ろし、エリザベートの横へ退いた。
エリザベートは、名簿の次のページをめくる。社交。経理。魔法。次は、騎士。
「奇跡を分解されると、今度は剣で片づけようとなさる」
彼女は、近衛兵たちを見た。
「本当に、分かりやすい順番ですわね」
近衛の隊長が一歩前へ出る。
「王太子殿下の命令である。武器を捨て、退去せよ」
エリザベートは微笑んだ。
「残念ですが、こちらにも担当がおります」
広場の奥で、重い靴音が鳴った。近衛兵たちの目が、そちらへ向く。
奇跡の光は、分解された。
次に黙らせるのは、王太子の剣だった。




