終わらない夏休み
第二シーズン開幕
瀬戸神社に剣を返した翌週、夏休みが始まった。
静かな夏だった。
怪異もなく、痣もなく、鏡が笑うこともなく。朝倉からのメッセージも、調査報告じゃなくて「祖母に会いに行ってきた」とか「本を読んでいる」とか、そういう内容だった。
俺は祖母の家で、だらだらと過ごした。
それで良かった。そのはずだった。
おかしいと気づいたのは、夏休みの終わり頃だった。
八月の最終週、俺は近所のコンビニに向かっていた。夕方の住宅街、蝉の声が少し弱くなっていた。もう夏が終わる、と思った。
角を曲がったとき、男の子とすれ違った。
小学生くらい。
ランドセルを背負って、うつむいて歩いていた。
すれ違った瞬間、違和感があった。
振り返った。
男の子は、角を曲がっていた。でも足音がしなかった。あの距離であの速さなら、まだ足音が聞こえるはずなのに。
俺は角まで走って、曲がった先を見た。
誰もいなかった。まっすぐ続く道に、人影一つなかった。
朝倉にメッセージを送った。
変なものを見た気がする
返信は早かった。
私も
電話した。朝倉はすぐに出た。
「何を見た」と俺は聞いた。
「子ども」と朝倉は言った。「小学生くらいの男の子。ランドセルを背負って、うつむいて歩いてた」
俺は固まった。
「同じだ」
電話の向こうで、朝倉が息を呑む音がした。
「桐島くん、今どこ」
「家の近く」
「私は図書館の近く。距離が離れてる」朝倉の声が低くなった。「同じ男の子が、同じ時間に、別々の場所に出た」
始業式の朝、俺は早めに登校した。
校門をくぐった瞬間、感じた。
一シーズン目の最初、あの放課後の教室と同じ感覚。空気が、少し死んでいる。音が、どこか遠い。
校舎の中に、何かがいる。
朝倉は昇降口で待っていた。夏休み前と変わらない無表情。でも目が、少し鋭かった。
「感じる?」と俺は聞いた。
「感じる」と朝倉は言った。「先週から、ずっと」
「何が出たと思う」
「まだ分からない」朝倉は校舎を見上げた。「でも一つだけ確かなことがある」
「何だ」
「あの男の子、ランドセルを背負ってた」朝倉は俺を見た。「この学校の制服じゃなかった。小学生の、ランドセル」
俺は理解した。
「小学生が、この高校に出てる」
「そう」朝倉はノートを取り出した。新しい、まだ白いページが開いていた。「第二シーズン、始まりだね」
一時間目が始まる前に、田村先生が教室に来た。
先生は黒板に今日の予定を書きながら、さりげなく言った。
「今日から新学期だ。体調に気をつけろ」
それだけだった。でも俺の席の前を通り過ぎるとき、先生は小さな声で言った。
「放課後、来い」
放課後の職員室は静かだった。
田村先生は俺たちが来るなり、引き出しから一枚の紙を出した。
「夏休み中に、これが届いた」
古い封筒に入った手紙だった。消印は七月。差出人の名前はなかった。
中の便箋を開くと、一行だけ書いてあった。
夏が終わっても、帰れない子どもがいます
「誰から来たんですか」と朝倉が聞いた。
「分からない。でも筆跡に見覚えがある」先生は手紙を指した。
「坂本さんだ」
「用務員の坂本さんが?」
「そう思う。でも坂本さんに聞いたら、送った覚えがないと言った」先生は椅子に深く座った。「夢遊病みたいな状態で書いたのか、それとも——何かに書かされたのか」
俺は手紙をもう一度見た。
帰れない子ども
「小学生の男の子が、夏休み前から出てます」と俺は言った。「俺と朝倉、両方が見た」
先生は頷いた。驚いていなかった。
「知ってた?」と朝倉が聞いた。
「夏休み中に、職員が二人見ている。私も一度、校庭で見た」先生は窓の外を見た。「ランドセルを背負った男の子。でも近づこうとすると、消える」
「追いかけたんですか」
「追いかけた。消えた後、男の子が立っていた場所に——これが落ちていた」
先生が机の上に置いたのは、小さなものだった。
黄色いプラスチックの、名札だった。
表面に、マジックで名前が書いてあった。
みなみ ひろと
「南 広斗」と朝倉がノートに書いた。「小学生の男の子」
「この学校の生徒じゃない」と俺は言った。「でもこの学校に出てくる」
「この土地に縁がある子かもしれない」朝倉はペンを止めた。「桐島くん、瀬戸神社の力は戻ったはずだよね。帰れない者は送られたはずだよね」
「そのはずだ」
「じゃあ、この子は——」朝倉はゆっくり言った。「剣を返した後に、新しく帰れなくなった子」
俺は息を呑んだ。
「夏休みの間に、何かがあった」
「そう。瀬戸神社の力が戻っても——新しい怪異は止められない」朝倉はノートを閉じた。「この子に、何があったのか。それを調べないといけない」
その夜、俺は南広斗という名前を検索した。
すぐに見つかった。
地元のニュースサイトに、七月の記事があった。
【行方不明】小学三年生の男児、登校途中に失踪 南広斗くん(9)
写真があった。
丸い顔に、短い髪。笑っている写真だった。
ランドセルを背負っていた。
記事を読んだ。
七月の第二週、登校途中に行方不明になった。通学路の途中で、同級生と別れてから消息が途絶えた。通学路は学校の近くを通っていた。
俺は地図を開いた。
広斗くんの通学路を確認した。
心臓が、止まりそうになった。
通学路は、瀬戸神社の裏山を迂回するルートだった。
剣を返した、あの夜から四日後に——広斗くんは消えていた。
朝倉に転送した。
返信が来るまで、五分かかった。
見た。桐島くん、一つ聞いていい?
何だ
瀬戸神社の力が戻ったとき、私たち、何かを解放したんじゃないかと思う
俺は画面を見つめた。
解放?
境界を司る神の力が戻った。でもその力が戻る過程で——封じられていた何かも、一緒に出てきた可能性がある
俺は窓の外を見た。夜の住宅街。どこにでもある、普通の夜。
俺たちが、広斗くんを巻き込んだのか
しばらく間があった。
分からない。でも——無関係じゃないと思う
翌朝、俺は早めに登校した。
校門の前に、朝倉がいた。
朝倉は俺の顔を見て、静かに言った。
「自分たちのせいだとしても、やることは変わらない」
「ああ」
「広斗くんを、帰してあげないといけない」
「ああ」
朝倉はノートを抱えて、校舎を見上げた。
「どこにいるんだろう」
その瞬間、校舎の三階の窓に——人影が見えた。
小さな人影。ランドセルを背負った。
俺たちを見下ろしていた。
朝倉が小さく息を吸った。
「いた」




