父が隠していたのも
父から電話が来たのは、翌週の木曜日だった。
授業中だったから出られなくて、昼休みに折り返した。父はすぐに出た。
「湊、今週末帰ってこられるか」
父は単身赴任で、俺は母方の祖母の家から通っている。父に会うのは正月以来だった。
「帰れるけど——話してくれるのか」
「ああ」短い沈黙があった。
「そろそろ、話さないといけないと思ってた」
土曜日の朝、俺は新幹線に乗った。
朝倉には話してあった。朝倉は「一人で行くの?」と聞いた。俺は「家族の話だから」と答えた。朝倉はそれ以上何も言わなかった。でも駅まで来た。
「何か分かったら連絡して」
「ああ」
「危ないと思ったら、すぐ戻って」
俺は少し笑った。
「神社でもないのに危ないことはないだろ」
「この件に関しては、どこが神社になるか分からない」
それは確かにそうだった。
父が住むマンションは、隣県の地方都市にあった。
六畳一間の質素な部屋。テーブルの上に、古い木箱が置いてあった。
父は俺が来るなり、その木箱を指した。
「これを見せたかった」
箱を開けると、中に古い書類の束と、一冊の和綴じの本が入っていた。
「これは?」
「桐島家の記録だ。明治から昭和にかけての」
父が語り始めた。
桐島家はもともと、瀬戸神社の神官を補佐する家柄だった。神主ではなく、神社の土地や財産を管理する役割を担っていた。瀬戸家が神社を守り、桐島家がその基盤を支える。そういう関係が、何代にもわたって続いていた。
「じゃあ瀬戸家が没落したとき、桐島家も?」
「そうだ」父はテーブルに肘をついた。「瀬戸家の最後の当主が昭和の初めに亡くなって、神社は廃れた。桐島家はその後、この土地を離れた。俺の祖父の代に」
「なんで離れたんだ」
「怖かったんだと思う」父は和綴じの本を手に取った。「瀬戸神社には、強い祟り神が祀られていた。神社が正しく機能している間は、その力は守護になる。
でも管理する者がいなくなると——」
「祟りになる」
「そういうことだ」
和綴じの本を開いた。
古い文語体で書かれていて、読みにくい。でも父が要点を説明してくれた。
瀬戸神社に祀られているのは、水と境界を司る神だ。生と死の境目、此岸と彼岸の境目を管理する存在。本来は死者を正しく送り届ける役割を持っている。
「だから帰れない者が出る」と俺は言った。「神社が機能していれば、死者は正しく送られる。でも今は誰も管理していないから——」
「迷子になる」と父が続けた。「死んだのに、行けない。帰れない。学校に残ってしまう」
鶴の少女。鏡の中の女性。プールの光くん。全員、帰れなかった者たちだ。
「俺たちがやってきたことは、正しかったんだな」
「ああ。本来なら神社が果たすべき役割を、お前たちが代わりにやってる」
「でも」と俺は言った。「田村先生の話が引っかかる。
先生には瀬戸家の家紋の痣があって、二十年間封じられてる。
神社の祟り神が先生を封じてるとしたら——なぜ先生だけを?」
父が少し表情を変えた。
「田村先生というのは——田村 誠か」
「知ってるのか」
「名前だけは」父は和綴じの本をめくった。「田村家も、瀬戸神社に関わりのある家だ。桐島家とは逆の立場で」
「逆の立場?」
父はあるページで手を止めた。
「桐島家が神社を支えた家なら、田村家は——かつて神社から何かを奪った家だ」
俺は息を呑んだ。
「奪った? 何を」
「神社の御神体の一つだ。明治の終わり頃、田村家の先祖が持ち出した。理由は記録にない。でもそれ以来、瀬戸神社の力が弱まり始めた」
「持ち出した御神体が——」
「今もどこかにある。田村家が持っている可能性が高い」俺は立ち上がりそうになった。父が手で制した。「焦るな。それを取り戻すのは簡単じゃない。田村家の先祖は、御神体を封じてから持ち出した。その封印を解かないと、神社に返しても意味がない」
「封印の解き方は」
「この本に書いてある」父は本を俺に差し出した。「持っていけ。お前が必要としている」
俺は本を受け取った。思ったより重かった。
「なんで今まで黙ってたんだ」
父は少し間を置いた。
「怖かった」静かな声だった。「お前をこれに関わらせたくなかった。でも——転校先の学校で怪異が起き始めたと分かって、もう止められないと思った」
「最初から、あの学校に転校させたのは」
「偶然じゃない」父は俺を見た。「桐島家には、瀬戸神社の問題を解決する責任がある。でも俺には力がなかった。だからお前を——」
「俺を使ったのか」
父は答えなかった。
俺はしばらく黙っていた。怒りがないわけじゃなかった。でもそれより先に、腑に落ちる感覚があった。
俺がこの学校に来た日から、怪異に関わり続けてきた。それは偶然じゃなかった。全部、最初から決まっていた。
「一つだけ聞く」俺は父を見た。「俺は、これを最後まで続けるべきか」
父はまっすぐ俺を見返した。
「それはお前が決めることだ」
帰りの新幹線の中で、俺は朝倉にメッセージを送った。
全部話す。月曜日に
すぐに返信が来た。
待ってる
それだけだった。でも俺には十分だった。
窓の外を、夏の田園風景が流れていった。
和綴じの本を膝の上に置いて、俺は目を閉じた。
瀬戸神社の祟り神。田村家が奪った御神体。二十年間封じられた先生。
全部の糸が、一本に繋がり始めていた。
月曜日の朝、俺は早めに登校した。
朝倉はすでに来ていた。図書室の窓際の席で、いつものノートを広げていた。
俺が向かいに座ると、朝倉は顔を上げた。
「話して」
俺は鞄から和綴じの本を出した。
朝倉の目が、少し大きくなった。
「それは?」
「桐島家の記録だ。全部書いてある」
朝倉は本に手を伸ばしかけて、止まった。
「……私が読んでいいの?」
「お前にしか頼めない」俺は本を朝倉の前に置いた。「朝倉、瀬戸家の傍系だろ。この本を読んで、意味が分かるのはお前だけだと思う」
朝倉はしばらく本を見つめていた。
それから、そっと表紙に手を置いた。
「一緒に読もう」
二人で本を読み始めた。
古い言葉が多くて難しかったけど、朝倉は所々で意味を補足してくれた。やっぱり朝倉の祖母の知識が生きていた。
一時間ほど読んだところで、朝倉が手を止めた。
「桐島くん」
「何が書いてあった」
「御神体のこと。田村家が奪ったもの」朝倉はゆっくり俺を見た。「何か分かった」
「何だ」
「鏡じゃない。鶴でも亀でもない」朝倉は本の一節を指で示した。「剣だ」
俺は息を呑んだ。
「剣?」
「水と境界を司る神の御神体は、三つあった。鏡と、鶴形の飾りと——境界を断ち切る剣。鏡は学校に寄贈されて、俺たちが神社に返した。鶴形の飾りは折り紙として学校に残って、これも返した。でも剣だけは、田村家が持ち出して封じた」
「それを取り戻せば——」
「神社の力が完全に戻る」朝倉は静かに言った。「帰れない者が、いなくなる。先生の痣も、消えるはずだ」
放課後、俺たちは田村先生を訪ねた。
今回は単刀直入に聞いた。
「先生の家に、剣があるはずです」
先生は固まった。
それが答えだった。
「あるんですね」と朝倉が言った。
先生はゆっくりと頷いた。
「……ある。蔵の中に、ずっと」
「封印されてるんですよね」
「そうだ。触れると——」先生は右手首を押さえた。「痣が疼く。近づくことすら、できない」
「封印の解き方は分かりました」と俺は言った。
「俺たちが解きます」
先生は俺たちを見た。長い沈黙の後、先生は目を閉じた。
「……頼む」
その声は、二十年分の重さがあった。




