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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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4/10

先生が隠しているもの

七月の後半、梅雨が明けた。

校舎に蝉の声が戻ってきて、教室の空気が重くなった。窓を開けても風が通らない。そういう季節だった。

俺と朝倉は、田村先生のことが気になっていた。


鶴のとき、鏡のとき、プールのとき。先生はいつも「知っていた」。でも自分では動かなかった。動けなかった。その理由を、先生はまだ話していない。


「聞きに行こう」と俺は言った。

「断られる」と朝倉は言った。

「それでも聞く」

 朝倉は少し考えてから、ノートを閉じた。

「……放課後にしよう」


職員室に行くと、田村先生は一人で残業していた。俺たちの顔を見た瞬間、先生は小さく息をついた。覚悟していたような顔だった。

「来ると思ってた」

「話してもらえますか」と朝倉が言った。「先生が動けない理由を」


先生は長い沈黙の後、立ち上がった。

「職員室じゃない方がいい。来い」

連れて行かれたのは、旧校舎の一角にある小さな和室だった。昔は来賓室として使われていたらしいけど、今は物置になっている。

先生は古い座布団を三枚出して、床に並べた。三人で向かい合って座った。

「どこから話せばいいか」先生は天井を見た。


「……私がこの学校に赴任したのは、二十年前だ」

「最初から怪異のことを知っていたんですか」と俺は聞いた。

「知らなかった。最初の一年は、何も起きなかった。でも二年目の秋に——」

先生は手のひらを見た。

「生徒が一人、消えた」


先生が語ったのは、二十年前の話だった。

当時三年生だった男子生徒が、ある日突然いなくなった。登校していたのに、昼休みを境に誰も見ていない。荷物は教室に残ったまま。


警察が動いたが、手がかりはなかった。

「名前は村瀬 陽。明るくて、友達が多い子だった」先生の声が低くなった。「私が担任だった」

「その生徒も、何かに触れたんですか」と朝倉が聞いた。


「そうだと思う。後から考えれば、징兆があった。消える三日前から、右手をよく見ていた。でも私は気づかなかった」

俺は自分の右手を見た。鶴の痣が消えた場所。


「先生はその後、怪異のことを調べたんですか」

「調べた。でも分からなかった。何が起きているのか、どうすれば止められるのか」先生は顔を上げた。「そしてまた生徒が消えた。十年後に」

「橘さんですか」と朝倉が言った。

「そうだ。橘芽衣。あの子も私のクラスだった」


沈黙が落ちた。

蝉の声が遠くから聞こえた。

「二人も、消えたのに」俺はゆっくり言った。「先生はなぜ自分で動かなかったんですか」


先生は答えなかった。

朝倉が静かに言った。

「動こうとしたとき、何かが起きたんじゃないですか」

先生がゆっくり朝倉を見た。

「……さすがだな、朝倉は」

先生は右手の袖をまくった。

手首の内側に、痣があった。


鶴じゃない。


もっと複雑な形。俺には何の形か分からなかった。でも朝倉が息を呑んだ。

「それは——」

「二十年前からある」先生は袖を戻した。「村瀬が消えた日から、ずっと。消えない。動かない。でも——私が怪異に近づこうとすると、疼く」

「封じられてるんだ」と朝倉が言った。

「先生が動けないように」

「そう思う。私に動かれると困る何かが、この学校にいる」


「つまり」と俺は言った。「鶴も鏡もプールも、全部バラバラの怪異じゃなくて——」

「一つの根っこから出ている」と朝倉が続けた。「瀬戸家に関係する、もっと大きな何かが、この学校の下にある」


先生は頷いた。

「私はずっとそう思っていた。でも動けなかった。だから——」先生は俺を見た。「お前たちが来たとき、正直ほっとした。特に桐島、お前が転校してきたとき」

「俺が?」

「お前の苗字、桐島だろ」

「はい」

「桐島という名前の家が、昔この辺りにあった。瀬戸家と深い関わりを持っていた家が」

俺は固まった。


「俺の家と、瀬戸家が?」

「確かめてはいない。でも——偶然じゃないかもしれない」

和室を出たのは、日が完全に落ちた後だった。

廊下を歩きながら、朝倉が小さな声で言った。


「桐島くん、知ってた? 自分の家のこと」

「全然知らない」俺は正直に答えた。「親に聞いたことも、聞かれたこともない」

「聞いてみる?」

「……ああ」

 でも、もう一つ気になることがあった。

「朝倉、先生の痣の形、分かったのか。息を呑んでたけど」

 朝倉は少し歩いてから、答えた。

「分かった」

「何の形だった」

「家紋」朝倉は静かに言った。「瀬戸家の家紋と、同じ形だった」


俺は立ち止まった。

「それって——先生も、瀬戸家と関係があるってことか」

「か、それとも」朝倉も立ち止まって、俺を見た。「瀬戸家の何かに、二十年間囚われているってことか」


その夜、俺は父親に電話した。

三コール目で繋がった。

「どうした、湊。珍しいな」

「一つ聞いていいか。桐島家って、昔この辺りに住んでたことあるのか」

電話の向こうで、父が黙った。

一秒。二秒。三秒。

「……なんでそれを聞く」

その声が、いつもと違った。低くて、慎重で。

「学校で、ちょっと気になることがあって」

「湊」父の声がさらに低くなった。「その話は——今はするな」

「なんで」

「いつかする。でも今じゃない。いいな」


電話が切れた。

俺はしばらくスマホを見つめていた。

父は知っている。

桐島家と瀬戸家の関係を、父は知っている。


翌朝、朝倉に報告した。

朝倉は話を聞いてから、ノートに何かを書いた。

「つまり」朝倉はペンを置いた。「桐島くんがこの学校に転校してきたのは、偶然じゃない可能性がある」

「親が意図的に、ここに転校させたってことか」

「もしくは——」朝倉は窓の外を見た。「呼ばれた」

教室の外で、蝉が鳴いていた。

空席の机が、朝の光を静かに受けていた。

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