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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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3/13

地下に眠る声

朝倉家と瀬戸家の関係とは

朝倉詩音の動機は贖罪?

朝倉詩音シリーズ3部目になります。

七月の第二週、学校のプールが使えなくなった。


 理由は「設備点検」と張り紙に書いてあったけど、朝倉は違う見方をしていた。

「プールの底に、ひびが入ったらしい」放課後の図書室で、朝倉はノートを広げながら言った。


「でもひびの形が変なんだって」

「変って?」

「文字の形をしてる」

 俺は顔を上げた。

「誰かが彫ったんじゃないのか」

「深さが均一じゃない。内側から割れたみたいな形らしい」朝倉はノートにメモを書き足した。


「それと、プールの監視員をやってた用務員の坂本さんが、今週から休んでる」

「関係あるのか」

「坂本さん、先週から独り言が増えたって他の先生が言ってた。内容は——」

朝倉がノートを俺に向けた。

水の下に、まだいる


翌朝、俺は早めに登校した。

誰もいない時間のプールサイドに立って、水面を見た。夏の朝日を受けて、水は静かに光っていた。どこにも異常はない。

でも水の底が、妙に暗く見えた。


プールの深さは一番深いところで一・五メートル。底は白いタイルのはずだ。なのに底の中央部分だけ、影が溜まっているように暗い。


俺はしゃがんで、水面に顔を近づけた。

暗い部分が、動いた。

水の底から、こちらを見上げている目と目が合った。

 「やっぱりプールか」

 朝倉に報告すると、朝倉は静かにそう言った。驚いていなかった。


「知ってたのか」

「予想してた。このプール、昭和五十年代に改築されてる。その前にあった旧プールで、一度水難事故があった」

「死者が出たのか」

「一人。当時三年生の男子生徒」朝倉はファイルから古い新聞のコピーを出した。「名前は瀬戸 光」


また瀬戸だ。


「瀬戸家の関係者か」

「傍系の子孫だと思う。瀬戸家は昭和の初めに本家が絶えたけど、分家は残ってた」朝倉はコピーを指でなぞった。「事故の状況が変で、監視員がいたのに誰も気づかなかった。気づいたときにはもう——」

「なんで気づかなかったんだ」

「監視員が居眠りをしていた。でも本人は眠った覚えがないって言ってた。あと——」

朝倉が顔を上げた。


「引き上げたとき、光くんの手に何かを握っていた。水に濡れてぼろぼろだったけど、紙片だったって記録がある」

俺は嫌な予感がした。


「赤い紙か」

「色は分からない。でも」

 朝倉は一拍置いた。

「折り紙だったって書いてある」

 昼休み、俺たちはプールサイドに戻った。

 水面は穏やかだった。でも近づくと、かすかに音がした。水の中から、何かが響いてくるような、低い音。


「聞こえるか」と俺は言った。

「聞こえる」と朝倉は言った。「声、だと思う」

 俺たちは耳を澄ませた。

 水の音に混じって、言葉が聞こえた。

* ……ここに、いる……*

* ……誰か、……気づいて……*

子どもの声だった。男の子の。


朝倉がプールサイドにしゃがんで、水面に手を近づけた。

「触るな」と俺は言った。

「分かってる。でも——」

 朝倉の指先が水面に届く前に、水がさざ波を立てた。波紋が広がって、底の暗い部分が揺れた。

そこに文字が浮かんだ。

水面に、波で書かれたように。


たすけて


「ただ成仏させればいいわけじゃない気がする」

 図書室に戻って、朝倉がそう言った。

「どういう意味だ」

「鶴も鏡も、返すべき場所に返したら解決した。今回も同じはずだよ。光くんが持っていた折り紙——それが鍵だと思う」

「でも折り紙は水に濡れてぼろぼろになってたんだろ。もう残ってない」

「折り紙そのものじゃなくていい」朝倉はペンを持った。「折り紙に込められていた願いが、まだ果たされていないんだと思う。光くんはプールで死ぬ直前、何を願っていたんだろう」


俺は考えた。

「助けを求めてた、とか」

「それだけじゃない気がする」朝倉はノートに何かを書いた。「溺れながら折り紙を持っていたって、変じゃない? 飛び込んだとき持っていたのか、それとも水の中で誰かに渡されたのか」

「渡された? 誰に」

 朝倉は答えなかった。代わりに立ち上がって、棚の奥から一冊の古いアルバムを取り出した。図書室の郷土資料コーナーに置いてある、学校の記念誌だ。


昭和五十年代のページを開くと、プール竣工の写真があった。当時の生徒たちが並んでいる。

朝倉が一点を指した。

「この子」

写真の端に、一人だけ離れて立っている男の子がいた。他の子たちが笑っているのに、その子だけが水面を見つめていた。

キャプションに名前があった。


瀬戸 光


俺は写真をよく見た。光くんの手に、何かが握られていた。小さくて見えにくいけど——

「折り紙だ」

「そう。竣工式の日の写真。つまり事故の前から持っていた」朝倉は静かに言った。「この折り紙、自分で折ったものじゃないと思う。形が複雑すぎる」

「誰かに貰ったのか」

「瀬戸神社に関係する誰かに。そしてその折り紙には、神社への奉納という意味があった。光くんはそれを知らずに受け取って——プールに落ちたとき、水の神様みたいなものに引き込まれた」


俺は水難事故の記事を読み返した。

「監視員が居眠りした、っていうのも」

「引き込むために、周りの人間の意識を奪ったんだと思う」


放課後、田村先生を訪ねた。

先生は職員室の自分の席で、何かを読んでいた。俺たちの顔を見ると、すぐに立ち上がった。

「また何か出たか」

「プールです」

 先生は表情を変えなかった。でも手の中の書類を、そっと裏返した。

「先生、光くんのことを知ってますよね」

 沈黙が続いた。


「……私が赴任する前のことだ」先生はゆっくり言った。「でも、記録は読んだ。この学校に来たとき、一番最初に」

「折り紙のことも?」

「折り紙が引き金だったとは、記録には書いていない。でも——」先生は窓の外を見た。「光くんの遺品の中に、折り紙の本があった。付箋がたくさん貼ってあって、難しい折り方のページにだけ印がついていた」

「折り紙が好きだったのか」

「そうじゃない」先生は俺を見た。「印がついていたのは全部、奉納用の折り方だった。神社に供えるための、特別な折り方だ」


瀬戸神社への道を、三度目に登った。

今回は俺と朝倉だけだ。田村先生は来なかった。来られない理由があるようだったけど、俺は聞かなかった。


朝倉は道すがら、折り紙を折っていた。

「何を折ってるんだ」

「亀」朝倉は手元を見ずに折り続けた。「水に関係する奉納品として、亀は鶴と並ぶ。光くんが持っていたのも、たぶん亀だったと思う」

「根拠は?」

「竣工式の写真、もう一度見た。折り紙の形、亀に見えた」

俺は何も言わなかった。朝倉の指が迷いなく動いて、白い和紙が形を作っていく。


「折り紙、習ったのか」

「子どもの頃、祖母に」朝倉は少し間を置いた。「祖母が神社の家の出だった。奉納の折り方も教わった」

「だからこの学校のことを調べてたのか」

「……関係あるかもしれない、とは思ってた」

朝倉はそれ以上言わなかった。俺も聞かなかった。


神社に着くと、境内の空気が変わっていた。

前の二回より、空気が重い。


台座の前に立つと、水音がした。近くに川も池もないのに、確かに水の音がする。

朝倉が折り上げた亀を、両手で持った。

「私が置く」

「いいのか」

「私がやらないといけない気がする」


朝倉は台座に近づいた。

その瞬間、境内の木々が一斉に揺れた。風じゃない。下から突き上げるような揺れだ。

朝倉の足元に、水が滲み出てきた。土の中から湧き出るように。


俺は朝倉の腕を掴もうとした。

「大丈夫」朝倉は振り返らずに言った。「下がってて」

俺は止まった。

朝倉が亀を台座に置いた。

その瞬間水が、止まった。

木々の揺れが収まった。


静寂の中で、水音だけが続いていた。

でも今度は違う音だった。怖い音じゃなく、川の音みたいな、穏やかな音。


ふと気付くと台座の前に、男の子が立っていた。

小学生くらいの年齢だろうか。半袖シャツに短パン。昭和の子どもみたいな格好だ。

光くんだ、と俺は思った。

男の子は朝倉を見て、少し首を傾げた。

それから、ゆっくりと微笑んだ。

朝倉が小さな声で言った。

「ごめんね、遅くなって」

男の子は首を横に振った。

ありがとう、と口が動いた。

それから——夕暮れの光の中に、溶けていった。

水音も、消えた。


帰り道、朝倉は黙っていた。

山を下りて校舎が見えてきた頃、朝倉が口を開いた。

「祖母が言ってた。瀬戸家の人間は、水と縁が深いって」

「朝倉の祖母が、瀬戸家の出なのか」

「傍系の。だから私、ずっと気になってた。この学校で起きてることが、うちの家と無関係じゃない気がして」


俺は少し考えた。

「朝倉が一年間調べ続けてたのは」

「贖罪、かもしれない」朝倉は静かに言った。「瀬戸家が管理できなくなったせいで、ずっと帰れない人たちがいる。それを知っていながら、誰も動かなかった」


「動いてる人間がここにいる」

 朝倉が俺を見た。

「桐島くんは、瀬戸家と関係ない」

「関係なくても、動ける」

 朝倉はしばらく俺を見つめてから、前を向いた。

「……ありがとう」

朝倉が素直に礼を言ったのは、初めてだった。


職員室の前を通ると、田村先生が窓から外を見ていた。

俺たちに気づいて、先生は静かに頷いた。

それだけだった。でも俺には分かった。

先生はずっと、誰かが動いてくれるのを待っていたんだ。一人では動けないまま、ずっと。


翌朝、プールの使用禁止の張り紙が外されていた。

底のひびは、一晩で消えていた。

誰も理由を説明できなかったけど、誰も不思議がらなかった。


ただ用務員の坂本さんが、久しぶりに出勤してきた。顔色がよくて、独り言もなかった。

プールサイドを掃除しながら、坂本さんは空を見上げた。

「いい天気だな」

 水面が、朝の光を反射して輝いていた。

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