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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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25/27

卒業前の怪異

一月が来た。

センター試験が終わって、三年生の教室から少しずつ人が減っていった。推薦で決まった者、試験を終えた者。みんなそれぞれの春に向かって動き始めていた。


俺と朝倉は同じ大学を受けることにした。

示し合わせたわけじゃなかった。志望校を話したら、同じだった。

「偶然か」と俺は言った。

「偶然じゃないと思う」と朝倉は言った。

それだけだった。それだけで十分だった。

試験が終わった翌週、久しぶりに図書室で向かい合って座った。


朝倉はノートを広げていた。

でも何も書いていなかった。

「どうした」と俺は聞いた。

「一つ、気になることがある」朝倉はペンを持ったまま言った。

「何が」

「この学校で、怪異に関わってから一年半が経った。鶴の日から数えて」朝倉はノートを見た。「でも——一つだけ、解決していないことがある気がして」

「何だ」

「橘芽衣さん」朝倉は静かに言った。


俺は少し考えた。

「橘さんは、第一シーズンで送られた。瀬戸神社に鶴を返して——」

「送られた。でも——」朝倉はペンを置いた。「私、ずっと気になってる。橘さんが、なぜあの席にいたのか。なぜ人形を触ってしまったのか。その前の話を、私たちは知らない」

「今更、どうするんだ」

「どうもしない。ただ——知りたい」朝倉は窓の外を見た。「卒業する前に、橘さんのことをちゃんと知りたい」


翌日、田村先生に話した。

先生は橘芽衣の話になると、少し目を伏せた。

「あの子の前の話か」

「橘さんがなぜ、あの席の人形に触れたのか」と朝倉が聞いた。

「知ってる」先生は静かに言った。「ずっと、話せなかった」

「話してもらえますか」


先生は長い沈黙の後、口を開いた。

橘芽衣は、転校生だった。

一年前の四月、別の学校からこの学校に来た。理由は家庭の事情で、友達と別れて来た子だった。

「あの子は——明るかった。でも、孤独だった」先生は言った。「新しい学校に馴染もうとしていたけど、なかなかうまくいかなかった」

「その状態で、怪異に触れてしまったんですね」と朝倉が言った。

「触れたのは、偶然じゃないかもしれない」先生は目を伏せた。「孤独な人間ほど、引き寄せられやすい。あの人形が、あの席の引き出しに入っていた理由も——孤独な誰かを求めていたから」

「帰れない者が、同じ孤独を感じる者を引き寄せた」朝倉は静かに言った。

「そう思う」

「橘さんは今、幸せだと思いますか」俺は聞いた。


先生は少し間を置いた。

「神社に帰れた。だから——幸せだと思いたい」先生は顔を上げた。「でも確かめる方法がない。それが、ずっと気になっていた」

図書室に戻って、朝倉は黙って座っていた。

しばらくして、口を開いた。

「確かめられるかもしれない」

「どうやって」と俺は聞いた。

「地下のものの記憶に——橘さんが帰った後のことが、残っているかもしれない」朝倉は目を閉じた。「白哉さんが送り届けた記憶が」

「探せるか」

「やってみる」


朝倉は静かに呼吸した。

俺は黙って待った。

一分が経った。

朝倉の顔が、ゆっくりと緩んだ。

目が潤んだ。

でも悲しい顔じゃなかった。

朝倉が目を開けた。


「見えた」

「橘さんが?」

「白哉さんの記憶の中に、あった」朝倉は目元を拭った。「橘さんを送り届けたとき——橘さんは、笑っていた」

「笑っていた」

「うん。白哉さんの手を握って、ありがとうと言って——光の中に行った」朝倉は窓の外を見た。「一人じゃなかった。白哉さんが、ちゃんと一緒にいてくれたから」


俺は何も言えなかった。

「よかった」朝倉は静かに言った。「孤独じゃなかった。最後は、一人じゃなかった」

その話を先生に伝えた。

先生は聞きながら、目を閉じた。

しばらく動かなかった。

それから、深く息をついた。


「……よかった」先生は言った。「それが聞けて、よかった」

「先生」と朝倉が言った。

「何だ」

「先生も、一人じゃなかったですよ。ずっと」

先生は朝倉を見た。

「橘さんを覚え続けていた先生が、私たちを引き寄せた。先生がいたから、全部が繋がった」

先生は何も言えなかった。

目が、潤んでいた。


その夜。

俺は一人で校舎に残っていた。

試験の自己採点をするつもりだったが、気づいたら窓の外を見ていた。


冬の校庭。

誰もいない。

あの放課後に似ていた、と思った。


一年半前、掃除当番をさぼった罰で、一人で教室を拭いていた。あの夕方と似た、静かさだった。

廊下を歩いた。


三年生の教室を抜けて、二年生のフロアへ。

二年三組の前で、足が止まった。

今は別のクラスが使っている教室だ。でも引き戸の前に立つと、あの日のことが蘇った。

引き戸を開けた。


誰もいない、暗い教室。

一番後ろの窓際の席に、歩いていった。

引き出しを開けた。

空だった。

当然だ。

でも——引き出しの底に、何かがあった。

小さな、折り紙だった。

赤い折り紙で折られた、小さな鶴。

俺は息を呑んだ。

触れなかった。


一年半前の俺なら、何も考えずに触れていた。でも今の俺は、手を止めた。

鶴を見つめた。

怖くはなかった。怪異の気配がなかった。呪いの重さがなかった。

ただ、小さくて、きれいな鶴だった。

誰かが折った鶴。

俺には分かった。

橘芽衣が折った鶴だ。

消える前に、この席に残していった。


朝倉に連絡した。

今、二年三組にいる。来られるか

返信は早かった。

行く


五分もしないうちに、朝倉が来た。

俺は引き出しを指した。

朝倉は鶴を見た。

しゃがんで、顔を近づけた。

「橘さんが折ったのか」と朝倉は聞いた。

「そう思う」

「いつ折ったんだろう」

「消える前の日か——当日か」俺は言った。「でも残していった。誰かに見つけてほしかったのかもしれない」

朝倉はしばらく鶴を見ていた。


「取り出していいと思う」朝倉は静かに言った。「もう怪異じゃない。ただの折り紙だ」

「どうする、取り出して」

「神社に持っていく」朝倉は立ち上がった。「橘さんが折ったものを、橘さんがいる場所に」


翌朝、二人で山に登った。

冬の山は空気が澄んでいた。足元に霜が降りていた。

瀬戸神社の境内に入った。

台座の前に立った。

朝倉が鶴を両手で持った。

「橘さん」朝倉は静かに言った。「あなたが折った鶴を、持ってきました。あなたがいる場所に、置いていきます」


台座に、鶴を置いた。

風が吹いた。

境内の木が揺れた。

落ち葉が舞い上がった。

その中に——一瞬だけ、光が見えた。

小さな光。温かい光。

瞬いて、消えた。

「見えたか」と俺は聞いた。

「見えた」朝倉は静かに笑った。「ありがとう、って言ってた」

「また言ってたのか」

「今度は——もっと、軽い声だった。本当に、幸せそうだった」


山を下りながら、朝倉が言った。

「これで、全部終わった気がする」

「そうだな」

「鶴の日から始まって、鶴で終わった」朝倉は空を見た。「なんか、きれいだな」

「お前らしい感想だ」

「褒めてるの?」

「褒めてる」

 朝倉は少し笑った。

「卒業まで、あと二ヶ月だ」俺は言った。

「そうだね」

「怪異はもう出ないと思うか」

「出ないと思う」朝倉は静かに言った。「この土地の古いものは、全部送れた。残っているのは——この土地そのものだけ」

「この土地そのものは、怪異じゃないのか」

「怪異じゃない」朝倉は俺を見た。「ただの、古くて、きれいな土地だ」

校舎が見えてきた。


冬の朝日が、窓に反射していた。

「湊」朝倉が言った。

「何だ」

「卒業したら——また、ここに来よう」

「約束した」

「うん。でも、もう一つ」朝倉は俺を見た。「来るたびに、この山に登ろう。橘さんの鶴が、神社にある限り」

「毎年か」

「毎年」朝倉は静かに言った。「忘れないために」

 俺は朝倉を見た。

「分かった。毎年来よう」

「約束」

「約束だ」


昇降口の前で、凛が待っていた。

「どこ行ってたんですか、朝から」

「山」と俺は言った。

「また山ですか」凛は呆れた顔をした。「今日、補講あるの知ってます?」

「知ってる」

「急いでください」凛は先に中に入った。「あ、朝倉先輩」

「何?」と朝倉が言った。

「もうすぐ卒業ですね。寂しいです」

 朝倉は少し考えた。

「でも——終わりじゃない」

「そうですか?」

「そうだ。また来るから」朝倉は凛を見た。「この学校に、また来る」

凛は少し目を潤ませた。

「約束ですよ」

「約束だ」


その夜、スマホが鳴った。

朝倉からだった。

今日、橘さんの鶴を持っていけてよかった

ああ

一年半前の、あの放課後から——ずっと引っかかってた

そうだったのか

うん。橘さんが孤独だったと知って——私も、一年間一人で調べてたから。重なる部分があって


俺は少し考えてから打った。

でも今は違う

違う

一人じゃない

一人じゃない。湊がいるから

俺は天井を見た。


詩音

何?

卒業しても、一人にしない

返信が来るまで、少し時間がかかった。

知ってる

でも言いたかった

うん

ありがとう、湊


卒業まで、あと二ヶ月。

怪異は静かだった。

この土地は、穏やかだった。

それで十分だった。

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