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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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20/24

消えた記憶の在り処

文化祭まで四日になった。

学校中がざわついていた。でも俺たちには、文化祭より気になることがあった。

北川さくら。

二十五年前に記憶を消された女性。今もどこかにいるはずの人。


「探せるか」と俺は朝倉に聞いた。

「やってみる」朝倉はノートを広げた。「名前と、大学時代の情報がある。二十五年前だから、ネットに記録は少ない。でも——地下のものの記憶に、何か残っているかもしれない」

「記憶に北川さんが出てくるのか」

「木下さんと関わりがあったなら、この土地の記憶に痕跡がある可能性がある」朝倉は目を閉じた。「少し、探してみる」


俺は黙って待った。

朝倉が目を閉じたまま、静かに呼吸した。

一分ほど経って、朝倉が目を開けた。

「見えた」

「北川さんが?」


「二十五年前の、この土地の記憶の端に——女性がいた。泣いていた。木下さんと口論して、その後——」朝倉は眉を寄せた。「消えた。記憶が途切れた。でも、消える直前に向かった方角が分かった」

「どこだ」


「駅の方。電車に乗った。でもどこに行ったかまでは——」朝倉はペンを走らせた。「一つだけ、見えたものがある。北川さんが持っていた鞄に、名前が書いてあった。就職先の名前だと思う」

「なんていう会社だ」

朝倉はノートに書いた。

北川書房


凛がスマホで検索した。

「あった」凛は画面を見た。「北川書房、この県にある小さな出版社です。今も営業してる」

「北川さんが作った会社か」と俺は言った。

「名前が同じだから、可能性は高い」朝倉は立ち上がった。「会いに行こう」

「文化祭の準備は」と凛が聞いた。

「土曜日に行けばいい。文化祭は日曜日だから、一日ある」

「田村先生には話すんですか」

朝倉は少し考えた。


「話す。でも先生を連れて行くかどうかは——北川さんに会ってから決める」

木曜日の放課後、田村先生に伝えた。

先生は北川書房という名前を聞いて、固まった。

「北川、書房」先生は繰り返した。

「北川さくらさんが作った会社だと思います」と朝倉が言った。


「生きていたのか」先生の声が、かすかに震えた。「二十五年間——生きていたのか」

「記憶を消されても、人間そのものは消えない。先生もそう言っていた」

先生は椅子に深く座った。目を閉じた。


「会いに行くつもりか」

「はい」

「私も——」先生は目を開けた。「行っていいか」

「もちろんです」朝倉は静かに言った。「先生が行くべきだと思います」


土曜日の朝、四人で電車に乗った。

俺と朝倉と凛と、田村先生。

先生は私服だった。いつもより少し若く見えた。でも緊張しているのが分かった。電車の中、ずっと窓の外を見ていた。


「先生」と凛が小声で言った。「大丈夫ですか」

「大丈夫だ」先生は言った。「ただ——何を話せばいいか、二十五年間考えてきて、まだ分からない」

「正直に話せばいいと思います」と凛は言った。「凛はそう思う」

先生は凛を見た。

「そうだな」


北川書房は、駅から歩いて十分ほどの場所にあった。

小さなビルの二階。看板は地味だったけど、きれいに手入れされていた。

インターホンを押した。

少ししてドアが開いた。

五十代の女性が立っていた。

短い髪に、細い眼鏡。静かな目をしていた。

田村先生を見た瞬間、その目が止まった。

「……田村、くん?」


先生が一歩前に出た。

「北川さん」

女性は——北川さくらは、しばらく先生を見ていた。

それから、目を細めた。

「覚えていてくれたの」

「ずっと」先生は言った。「二十五年間、ずっと」


中に通された。

小さな応接室で、六人向かい合って座った。

北川さんはお茶を出してくれた。手が少し震えていた。


「誰も来ないと思っていた」北川さんは静かに言った。「みんな、私のことを忘れてしまったから」

「私だけは忘れなかった」先生は言った。「田村家の血のせいか、薄れなかった」

「田村家」北川さんは少し首を傾げた。「そういえば、田村くんは——変わってたね。怪異に気づく人だった」

「北川さんは——覚えていますか。消される前のことを」

北川さんはお茶のカップを両手で持った。


「全部覚えている」北川さんは静かに言った。「私は記憶を消されていない」

全員が北川さんを見た。

「消されていない?」と朝倉が聞いた。

「みんなの記憶から私が消えただけ。私自身の記憶は残っている」北川さんは窓の外を見た。「木下くんが使った怪異は、周りの人間の記憶を消すもの。対象の本人には影響しない」

「じゃあ——」俺は言った。「二十五年間、北川さんは覚えていたんですか。みんなに忘れられたことを」

「そう」北川さんは微かに笑った。「辛かったよ。でも——慣れた」


「なぜ木下さんはそんなことをしたんですか」と朝倉が聞いた。

北川さんは少し間を置いた。

「木下くんは——怪異を使うことに、罪悪感を持っていた。でも止められなかった」

「なぜ止められなかったんですか」

「一度使うと、怪異が人間に根付いてしまう。使えば使うほど、深く根付く。木下くんが最初に使ったのは、自分が傷つけた人の記憶を消すためだった。謝りたくなくて、逃げたくて」北川さんは言った。「でも私は怪異について知っていた。水無瀬家の傍系として、記録を読んでいたから。だから木下くんに、やめろと言った」

「それで口論になった」と先生が言った。


「そう。私の記憶を消せば、告発されないと思ったんだと思う。でも——後悔したんじゃないかな」北川さんは先生を見た。「田村くんが、ずっと覚えていてくれたのも——木下くんを許してほしかったからじゃないかと、私は思ってる」

「木下が——私に罪悪感を持たせることで、記憶を保存させた、ということか」先生は静かに言った。

「そうかもしれない。消したくなかったんだと思う。全部。ただ逃げたかっただけで」


「木下さんが今、この学校に来ています」と朝倉が言った。

北川さんの手が止まった。

「知ってる」

「知っていたんですか」

「来ると思っていた」北川さんはカップを置いた。「最近、木下くんから手紙が来た」

「手紙?」俺は言った。

北川さんは立ち上がって、引き出しから封筒を出した。テーブルに置いた。


「読んでいい」

朝倉が手紙を開いた。俺も隣から覗き込んだ。

細い文字で、びっしり書いてあった。

朝倉が読み上げた。

北川さん。二十五年間、ずっと謝りたかった。怪異を返したい。あなたの記憶を周りの人間に戻したい。でも方法が分からなかった。この土地に戻れば、分かるかもしれないと思った。この土地には、全ての記憶が残っているから。

朝倉は手紙を置いた。


「返したい、と書いてある」朝倉は静かに言った。「消した記憶を、元に戻したいと思っている」

「そういうことか」と俺は言った。

「謝りに来た」と凛が言った。

「二十五年越しで」と先生は静かに言った。


北川さんが言った。

「でも、怪異は木下くんに根付いてしまっている。使おうとしなくても、滲み出てしまう。あの子が授業をすると、生徒が引き込まれるのも——そのせいだと思う」

「意図的じゃなかったんですね」と朝倉が言った。

「たぶん。でも根付いた怪異は、本人の意志だけでは制御できない」北川さんは俺たちを見た。「あなたたちは——怪異を封じる力があるのね」

「あります」と朝倉が言った。

「木下くんの中に根付いた怪異を、封じることはできる?」


朝倉は少し考えた。

「やってみないと分からない。でも——方法は、考えられる」

「お願いできる?」北川さんは静かに言った。「木下くんを、楽にしてあげてほしい。あの子はずっと、自分を責め続けてきたと思うから」


帰りの電車、四人は静かだった。

田村先生が窓の外を見ながら言った。

「木下が謝りに来た。それが分かっただけで——少し、楽になった」

「先生は木下さんを、恨んでいたんですか」と凛が聞いた。

「恨んでいた。でも——自分も何もできなかったことを、もっと責めていた」先生は目を閉じた。「木下が悪いのは確かだ。でも私も、見ていただけだった」


「先生」と朝倉が言った。「木下さんの怪異を封じるとき、先生に一つお願いがある」

「何だ」

「木下さんと、話してほしい。怪異の前に、人間として」


先生はしばらく黙っていた。


「……できるか分からない」

「できなくていい」朝倉は静かに言った。「でも、試してほしい」

先生は窓の外を見た。

「分かった」

俺は朝倉の隣に座っていた。


小声で聞いた。

「木下さんの怪異を封じる方法、本当に分かるか」

「分かる」朝倉は小声で答えた。「地下のものの記憶の中に、根付いた怪異の解き方があった。でも——」

「でも?」

「木下さん本人が、手放す気持ちにならないといけない」朝倉は俺を見た。「怪異は長い間、木下さんの一部になってしまっている。無理矢理封じようとしたら、木下さん自身が壊れるかもしれない」

「だから先生に話してもらう必要があるんだ」

「そう。木下さんが自分から手放したいと思ったとき——私たちが助ける」

俺は頷いた。


「文化祭まで、三日だな」

「三日あれば、十分だと思う」朝倉は窓の外を見た。「木下さんは、もう準備できてると思うから」

その夜、俺はスマホを持ったまま考えていた。

記憶を消した人間が、二十五年後に謝りに来る。

それは——どれだけの時間をかけた後悔なんだろう。


スマホが鳴った。

朝倉からだった。

一つ気になることがある

何だ

北川さんへの手紙に、こう書いてあった。この土地には全ての記憶が残っているから、と

それが気になるのか

木下さんは知ってた。この土地が記憶を持っていることを。水無瀬家の血があるから

だからこの学校に来たのか

そう思う。でも——もう一つ

何だ

この土地の記憶を使えば、消した記憶を取り戻せると思ってるんじゃないかな


俺は少し考えた。

それって、できるのか

返信が来るまで、少し時間がかかった。

地下のものの記憶の中に——全部ある。二十五年前、北川さんをみんなが覚えていた記憶も。それを取り戻す方法が、あるかもしれない

お前にできるのか

やってみないと分からない。でも——

でも?

木下さんが手放して、私が取り出して、田村先生が受け取る。三人でやれば、できる気がする

俺はスマホを置いた。


窓の外に、秋の夜空が広がっていた。

文化祭まで、三日。

二十五年分の後悔が、動き始めていた。

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