雨の日の図書室
ちょうど甘酸っぱい一話読切の箸休め回です。
では桐島と朝倉の読み切り、書きます!
読み切り「雨の日の、図書室」
五月の雨だった。
朝から降り続けていて、昼になっても止まなかった。校庭に水溜まりができて、体育が中止になった。
手持ち無沙汰になったクラスメイトたちが教室で騒いでいる中、俺は図書室に向かった。
朝倉がいると思っていた。
いた!
いつもの窓際の席に、いつものノートを広げて、いつもの無表情で座っていた。
でも今日は少し違った。
窓の外の雨を、時々見ていた。ノートに何かを書いて、また雨を見て、また書く。
俺は向かいに座った。
「何書いてるんだ」
「日記」
「日記? 調査記録じゃなくて?」
「今日は怪異がないから」朝倉はペンを置いた。「普通の日記」
俺は少し驚いた。朝倉が日記を書くとは思っていなかった。
「見せてくれるのか」
「見せない」
「だろうな」
雨の音だけが続いた。
図書室には他に誰もいなかった。司書の先生も、今日は奥の部屋にいるらしく、姿が見えなかった。
朝倉がまた窓の外を見た。
「雨、好きか」と俺は聞いた。
「普通」朝倉は答えた。「でも五月の雨は少し好き」
「なんで」
「匂いが好き。土と草と、雨が混じった匂い」朝倉は窓ガラスを見た。「地下のものの記憶の中に、この匂いがあった。何百年も前から、この土地はこういう匂いがしていたんだと思うと——」
「安心する?」
「そう」朝倉は俺を見た。「よく分かったね」
「お前のことは、少し分かるようになった」
朝倉は視線を落とした。
「少し、か」
「まだ全部は分からない」
「全部分かる人間なんていないよ」朝倉はペンを手に取った。「私自身も、自分のことが全部分かるわけじゃないから」
しばらく、俺は本を読んだ。朝倉は日記を書いた。
雨が少し強くなった。窓ガラスを叩く音が大きくなった。
朝倉がペンを置いた。
「一つ、聞いていい?」
「何だ」
「桐島くんは——この先も、この学校にいるつもりでいる?」
俺は本から目を上げた。
「いるつもりだけど、なんで急に」
「来年、三年生が終わったら——みんな、それぞれの場所に行く」朝倉は窓の外を見た。「大学とか、就職とか。凛はまだ二年あるけど、私と桐島くんは来年の春には」
「卒業するな」
「そう」朝倉は雨を見たまま言った。「その後のことを、最近考える」
「卒業が怖いのか」
「怖いというより——」朝倉は少し考えた。「終わるのが、惜しい」
俺は朝倉を見た。
「何が惜しいんだ」
朝倉は答えなかった。
でも耳が、少し赤かった。
俺は本を閉じた。
「一つ聞いていいか」
「何?」朝倉はまだ窓を見ていた。
「お前は——怪異がなくなったら、俺と話さなくなるのか」
朝倉がゆっくりと俺を見た。
「なんでそう思うの」
「怪異を調べるから、一緒にいる。それが理由なら——怪異がなければ、一緒にいる理由もなくなる」
朝倉はしばらく俺を見ていた。
雨の音が続いた。
「桐島くんは」朝倉は静かに言った。「怪異がなければ、私と話さないの?」
「話す」
「なんで」
「お前と話したいから」
朝倉は目を伏せた。
ノートの表紙を、指でゆっくりなぞった。
「私も」朝倉は小さな声で言った。
「何?」
「私も——怪異がなくても、桐島くんと話したい」
図書室が、静かになった。
雨の音だけが聞こえた。
俺は少し考えてから、言った。
「卒業しても、会えばいい」
朝倉が顔を上げた。
「会う?」
「同じ大学じゃなくても、会いに行けばいい。怪異があってもなくても」
朝倉はしばらく俺を見ていた。
「……桐島くんって」朝倉は言った。「たまに、すごく真っ直ぐなことを言うね」
「そうか?」
「そう」朝倉はノートを閉じた。「嫌じゃない」
「よかった」
朝倉は窓の外を見た。
雨が、少し弱くなっていた。
「来年の春、怖くなくなった」朝倉は静かに言った。
「なんで」
「終わりじゃないと思えたから」
俺は何も言わなかった。
でも少し、笑った。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
朝倉がノートを鞄にしまった。俺も本を棚に戻した。
図書室を出る前に、朝倉が立ち止まった。
「桐島くん」
「何だ」
「名前で呼んでいい?」
俺は少し驚いた。
「好きにしろ」
「好きにする」朝倉はドアを開けた。「湊」
廊下に出た。
俺はしばらく動けなかった。
朝倉が振り返った。
「来ないの?」
「今行く」
廊下に出た。
雨は上がっていた。
窓から差し込んだ光が、廊下を明るくしていた。
朝倉が前を歩いていた。
俺はその隣に並んだ。
朝倉は何も言わなかった。
でも少しだけ、俺の方に近づいた。
それだけだった。
それだけで、十分だった。




