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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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10/13

百年待っていた

十月に入った。

校庭の木が少しずつ色づいて、朝の空気が冷たくなった。怪異は静かだった。広斗くんが帰ってから、学校の空気が少し軽くなった気がした。


でも俺は知っていた。

終わっていない。

朝倉は白哉のことを調べ続けていた。

昼休みも、放課後も、図書室で資料を広げていた。俺も手伝った。二人で古い記録を読み漁った。


分かってきたことがあった。

瀬戸白哉は明治三十二年生まれ。瀬戸家の最後の当主として、神社を守り続けた。昭和七年、三十三歳で亡くなっている。死因の記録はなかった。

「三十三歳か」と俺は言った。「若いな」

「若い」朝倉はノートにペンを走らせた。「しかも死因が不明。当時の記録には、ある日突然倒れたとだけ書いてある」

「病気じゃないのか」

「病気なら死因が残る。残っていないということは——」朝倉は手を止めた。「誰かが意図的に消したか、普通の死に方じゃなかったか」


俺は白哉という名前を見た。

「白哉さんが死んだ後、瀬戸神社は急速に廃れている」朝倉は別のページを開いた。「氏子が離れて、建物が朽ちて、十年もしないうちに誰も近づかなくなった」

「白哉さんがいなくなったから」

「そう。白哉さんが一人で支えていた。でも——」朝倉はペンを置いた。「なぜ白哉さんは死んだ後も、神社に残ったんだろう」

俺は考えた。


「帰れなかったのか、帰らなかったのか」

朝倉は静かに言った。

「その違いが、重要だと思う」

翌週の水曜日、放課後に朝倉から呼び出された。


図書室じゃなかった。校庭の端、裏山の入り口の前だった。

「何かあったのか」

「白哉さんに、会えるかもしれない」朝倉は山の方を見ていた。「昨日の夜、夢を見た」

「夢?」

「白い着物の男が出てきた。顔は見えなかった。でも声が聞こえた」朝倉は俺を見た。「『山に来い』って」

 俺は山を見た。秋の午後、木々が赤と黄色に染まっていた。


「夢の中の声を信じるのか」

「信じる」朝倉は迷いなく言った。「あの声は、白哉さんだった。確信がある」

「根拠は」

「ない。でも——」朝倉は少し考えた。「朝起きたとき、ノートに字が書いてあった。自分で書いた覚えがない字が」

朝倉がノートを開いた。

最後のページに、細い筆跡で書いてあった。


秋の山、夕暮れどきに

田村先生に話すと、先生は一緒に来ると言った。


四人で山道を登った。

秋の裏山は静かだった。落ち葉が積もって、足音が柔らかかった。木漏れ日が斜めに差し込んで、金色に光っていた。

瀬戸神社に近づくにつれて、空気が変わった。


重くなるんじゃなかった。反対に——澄んでいく感じがした。

「浄化されてる」と朝倉が言った。「剣を返してから、神社の力が本当に戻ってきてる」

境内に入った。

苔むした鳥居も、朽ちかけた社も同じだった。でも何かが違った。


台座の上に、剣が収まっている。鏡もある。鶴形の飾りもある。三つの御神体が揃っていた。


その前に、人が立っていた。

白い着物だった。

背が高くて、長い袖が風に揺れていた。

今日は顔が見えた。


三十代くらいの男性。細面で、目が静かだった。笑ってもなく、怒ってもなく、ただ穏やかに俺たちを見ていた。

田村先生が息を呑んだ。

「白哉さん——」

男は静かに頷いた。


「先生、知ってたんですか」と朝倉が聞いた。

「顔は——初めて見る。でも」先生は白哉を見た。「この感じは、ずっと近くにいた。気づいていなかっただけで」

白哉は口を開いた。

声は低くて、静かだった。でも空気に溶け込むように、はっきり聞こえた。


「来てくれた」

「来ました」朝倉が一歩前に出た。「白哉さんですね」

「そうだ」

「なぜ、ここに残ったんですか」

 白哉は少し間を置いた。

「残らなければならなかった」

「なぜ」

「終わっていないから」白哉は台座を見た。「神社の仕事が、まだ終わっていない。私が死んだとき、この土地にはまだ帰れない者たちがいた。送り届けないまま、逝くわけにはいかなかった」

「だからずっと——」俺は言った。

「一人で、守り続けてたのか」

「守れていたかどうかは分からない。田村家が剣を持ち出してから、私の力は半分になっていた。できることに限界があった」白哉は俺を見た。「それでも、やれることをやるしかなかった」


「どうして死んだんですか」と朝倉が聞いた。

白哉は静かに答えた。


「田村家の先祖が剣を持ち出した夜、神社の力が大きく乱れた。その乱れを抑えようとして——私の体が、もたなかった」

「白哉さんが死んだのは、田村家のせいだったんですか」

白哉は首を横に振った。

「恨んでいない。あの男も、理由があってやったことだ。間違った方法だったが、神社を守ろうとしていた」


田村先生が一歩前に出た。

「田村家の末裔として——申し訳なかった」

白哉は先生を見た。

「あなたは剣を返してくれた。それで十分だ」

先生の目が、潤んだ。

「白哉さんを、帰してあげたい」と朝倉が言った。「でも何が必要か分からない。教えてほしい」


白哉はゆっくりと朝倉を見た。

「朝倉の家の者か」

「傍系ですが」

「そうか」白哉は少し目を細めた。「朝倉家には、昔から霊を見る力があった。あなたが調べ続けてくれたのは——血がそうさせたのかもしれない」

朝倉は何も言わなかった。でも視線を落とした。


「帰るために、必要なことは一つだ」白哉は台座を見た。「この神社を、正式に閉じること」

「閉じる?」俺は聞いた。

「廃社になっても、神社としての形が残っている限り、私はここを離れられない。正式な手順で神社を閉じれば——私の役目も、終わる」

「正式な手順って、どうやるんですか」と朝倉が聞いた。


「神主が必要だ。儀式を執り行える者が」

四人で顔を見合わせた。

神主なんて、どこにいる。

白哉が続けた。

「一人、心当たりがある」

「誰ですか」

「桐島家の者だ」白哉は俺を見た。「桐島、あなたの父親は——神道の作法を学んだことがあるはずだ」


俺は固まった。

「父が?」

「桐島家は代々、神社の儀式を補佐してきた。作法は伝わっているはずだ」白哉は静かに言った。「あなたの父親に、頼んでもらえないか」

山を下りながら、俺はスマホを握っていた。

 

父に電話する。また。

でも今回は違う。今回は全部話す。白哉さんのことも、神社を閉じる儀式のことも。

朝倉が隣を歩きながら言った。

「お父さん、来てくれると思う?」

「分からない」俺は正直に言った。「でも——頼むしかない」

「そうだね」


しばらく黙って歩いた。落ち葉が足の下で鳴った。

朝倉がぽつりと言った。

「白哉さん、かっこよかったね」

俺は朝倉を見た。

「お前、そういうこと言うんだな」

「たまには言う」朝倉は前を向いたまま言った。「百年、一人で守り続けたんだよ。かっこよくない?」

「かっこいいな」

「桐島くんも——」朝倉は少し間を置いた。「似てると思う」

「俺が?」

「関係ないのに、関わり続けてる。それって似てると思う」


俺は何も言えなかった。

朝倉の耳が、また赤かった。

校舎に戻った夕方、俺は父に電話した。

三コール目で出た。

「湊か」

「話がある。全部話す。聞いてほしい」

 電話の向こうで、父が少し沈黙した。


「……聞く」

俺は話し始めた。第一シーズンから全部。鶴のことも、鏡のことも、広斗くんのことも、白哉さんのことも。

父は一度も遮らなかった。

全部話し終えると、父は長い沈黙の後に言った。


「白哉さんが、まだいるのか」

「います。俺、会いました」

「そうか」

また沈黙。

「父さん、儀式ができるのか」

「……祖父に教わった。でも、もう何十年もやっていない」

「やれるか」

父は深く息を吸った。


「いつ来ればいい」

電話を切った。

校舎の外はすっかり暗くなっていた。

朝倉にメッセージを送った。

父が来る

返信はすぐだった。


よかった

それから少し間があって、もう一行来た。

白哉さんに、伝えておく。もう少しだけ待っててって


俺は空を見上げた。

星が出ていた。

百年待った人に、もう少しだけ、と言う朝倉が——俺には少しおかしくて、でもそれが朝倉らしかった。

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