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朝倉詩音の怪異録  作者: ゆるっとおやじ


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11/14

父が来た

父が来たのは、土曜日の朝だった。

祖母の家の玄関に、スーツじゃなく地味な和装で現れた。俺は少し驚いた。父が和装をしているのを、生まれて一度も見たことがなかった。


「似合わないか」父は照れくさそうに言った。

「似合ってる」俺は正直に答えた。

父は小さな風呂敷包みを持っていた。中に何が入っているか、聞かなかった。聞かなくても分かる気がした。

「案内してくれ」

「ああ」

学校に着くと、朝倉と田村先生が校門の前で待っていた。


父は朝倉を見て、少し目を細めた。

「朝倉家の子か」

「はい」朝倉は静かに頭を下げた。「初めまして」

「こちらこそ」父も頭を下げた。「湊がお世話になっている」

「お世話というか——」朝倉は少し考えた。「一緒にやってます」


父は小さく笑った。俺は父が笑うのを久しぶりに見た気がした。

田村先生が一歩前に出た。


「田村です。桐島くんの担任を——」

「田村家の方ですね」父は先生を見た。穏やかな目だったけど、何かを確かめるような目でもあった。

「はい。田村家が白哉さんに——申し訳なかった」

「白哉さんは恨んでいないとおっしゃっていた」父は言った。「でも、私からも一つお願いがある」

「何でしょう」

「今日の儀式、一緒に立ち会っていただきたい。田村家として、最後まで」

先生は深く頷いた。

「もちろんです」


四人で山を登った。

父は無言だった。でも歩き方が違った。いつもの父じゃなかった。背筋が伸びて、足取りが静かだった。


山道の途中で、父が口を開いた。

「湊、一つ謝らないといけない」

「何を」

「お前をここに転校させたこと。黙っていたこと」父は歩きながら言った。「怖かったんだ。お前が怪異に関わることが」

「でも転校させた」

「桐島家の責任が、ずっと頭にあった。でも自分には力がなかった。だからお前に——」父は足を止めた。「お前を使ったのは、事実だ。それは謝る」


俺は父の横顔を見た。

「謝らなくていい」

「湊——」

「俺は、ここに来てよかったと思ってる」俺は正直に言った。「橘さんを帰せた。広斗くんを帰せた。白哉さんに会えた。全部、ここに来なければ起きなかった」


父はしばらく黙っていた。

「……そうか」

「ただ一つだけ言わせてくれ」

「何だ」

「次からは、最初から話してくれ」

 父は小さく頷いた。

「約束する」


瀬戸神社に着いた。

白哉は台座の前にいた。

父を見た瞬間、白哉の目が変わった。懐かしむような、安堵するような目だった。


「桐島家の者が来てくれたか」

父は白哉の前に立って、深く頭を下げた。

「遅くなりました」

「いや」白哉は静かに言った。「来てくれた。それで十分だ」


父は顔を上げた。白哉をまっすぐ見た。

「儀式の前に、一つ確認させてください。白哉さんは——本当に帰りたいと思っていますか」

境内が静かになった。

白哉は少し間を置いた。


「帰りたい、という気持ちが正直なところだ」白哉は台座を見た。「でも、この土地が心配でもある。私がいなくなった後、誰が守るのか」

「それは——」父は俺たちを見た。「この子たちが、いる」


白哉が俺たちを見た。

俺は頷いた。朝倉も頷いた。先生も頷いた。

「私たちが続けます」と朝倉が言った。「白哉さんがやってきたことを」


白哉はしばらく俺たちを見ていた。

それから、静かに微笑んだ。

「……頼む」

父が風呂敷包みを開いた。

中に入っていたのは、古い木箱だった。桐島家の記録が入っていた箱とは別の、もっと小さな箱。

「これは?」と俺は聞いた。


「桐島家に代々伝わる、儀式道具だ」父は箱を開けた。「祖父から父へ、父から私へ。使われることなく、ただ受け継がれてきた」

中に入っていたのは、白い紙と、細い筆と、小さな砂が入った器だった。


「儀式は単純だ」父は言った。「神社を閉じる宣言を書いて、御神体の前で読み上げ、砂を撒く。それだけだ」

「それだけで、いいんですか」と朝倉が聞いた。

「形より、心だ」父は白い紙を広げた。「この土地への感謝と、送り出す気持ちがあれば——届く」

父が筆を取った。

宣言文を書き始めた。


境内が静かになった。風が止まって、木々が動かなくなった。まるで山全体が、息を止めて見ているみたいだった。

父の筆が動く音だけが聞こえた。

俺は白哉を見た。白哉は目を閉じて、台座の前に立っていた。百年待った人間の顔だった。穏やかで、静かで、もう怖いものが何もないような顔だった。


朝倉が俺の隣に立った。

小声で言った。

「緊張する」

「俺も」

「終わったら——」朝倉は少し考えた。「何か食べに行こう」


俺は少し笑った。

「急に現実的だな」

「お腹が空いてる」

「儀式が終わったらな」

「うん」

父が書き終えた。


白い紙に、細かい文字が並んでいた。

父は台座の前に立った。

俺たちは後ろに並んだ。父の背中、白哉の横顔、御神体の三つ。全部が一列に並んだ。


父が読み上げを始めた。

声が違った。普段の父の声じゃなかった。もっと低くて、もっと静かで、山に染み込んでいくような声だった。


桐島家の血が、そうさせているんだと思った。

読み上げが続いた。

風が戻ってきた。でも今度は穏やかな風だった。落ち葉が舞い上がって、境内をゆっくりと回った。


白哉の輪郭が、少しずつ薄くなり始めた。

白哉は目を開けた。

台座を見た。御神体を見た。それから俺たちを見た。


田村先生が一歩前に出た。

「白哉さん」

白哉は先生を見た。

「田村家のことを——本当に恨んでいないんですか」先生の声が震えていた。「あなたは三十三歳で死んだ。百年、一人でここにいた。それは——」

「恨んでいない」白哉は静かに言った。「あの男も、この土地を守ろうとしていた。ただ方法が違った。それだけのことだ」

「でも——」


「田村さん」白哉は先生の目を見た。「あなたは二十年間、痣を抱えて生きてきた。それがすでに、償いだ」

先生は唇を噛んだ。

「それに」白哉は続けた。「あなたが担任でなければ、この子たちはここに来なかった。すべては繋がっている」


父が最後の一節を読み上げた。

砂の器を手に取った。

台座に向かって、砂を撒いた。

白い砂が、秋の光の中に散った。

その瞬間、光が来た。

台座から。御神体から。三つの御神体が一斉に光を放った。鶴形の飾りが、鏡が、剣が、白く輝いた。


光が境内に広がった。

白哉の体が、光に包まれた。

白哉は最後に、もう一度俺たちを見た。

一人ずつ見た。

田村先生を見た。父を見た。朝倉を見た。

俺を見た。

口が動いた。

ありがとう


声は聞こえなかった。でも確かにそう言っていた。

それから白哉は、光の中に溶けていった。

百年分の重さが、境内から消えていくのが分かった


空気が軽くなった。

山が、深く息をした。

光が収まった後、境内は静かだった。

台座の上に、三つの御神体がある。でもそこにあった気配が、変わっていた。重さがない。怖さがない。ただ、温かかった。


父が深く頭を下げた。

田村先生も頭を下げた。

朝倉も。俺も。

誰も喋らなかった。でも同じものを感じていると分かった。


百年越しの、終わり。

山を下りた。

四人で並んで歩いた。落ち葉の道が続いていた。

父が口を開いた。

「白哉さんは、いい顔をしていたな」

「そうでしたね」と先生が言った。

「百年待って、あんな顔ができるのか」父は空を見た。「私には無理だな」

「父さんには、待つ理由がないから」と俺は言った。

「そうか」父は笑った。「そうだな」


朝倉が俺の隣を歩きながら、小声で言った。

「終わったね」

「ああ」

「本当に終わった?」

「白哉さんが帰れた。神社も閉じた。たぶん——」

「たぶん?」

「また何か出るかもしれない」

朝倉は少し考えた。

「出たら、また調べる」

「ああ」

「三人で」

「四人で」俺は先生と父を見た。「今度は最初から」

朝倉は頷いた。


校舎に戻ると、父は帰る支度をした。

玄関で、父は俺に言った。

「湊、よくやった」

「父さんこそ」

「私はただ、読み上げただけだ。難しいことをやったのはお前たちだ」父は風呂敷包みを抱えた。「また来る。今度は——黙って来るんじゃなく、連絡してから来る」

「そうしてくれ」

父が歩き出した。少し行って、振り返った。

「朝倉さん」

朝倉が顔を上げた。

「湊のこと、よろしく頼む」

朝倉は一瞬固まった。

「……頼まれなくても」朝倉は静かに言った。「します」


父は満足そうに頷いて、歩いていった。

俺は父の背中を見送った。

朝倉が隣に来た。

「お父さん、いい人だね」

「そうか?」

「そう思う」朝倉は父が消えた方向を見た。「桐島くんに似てる」

「俺が父さんに似てるんだろ」

「そっちか」朝倉は少し笑った。

夕方、俺と朝倉は二人で帰った。

駅に向かう道を並んで歩いた。


「さっき、何か食べに行くって言ってたな」と俺は言った。

「言った」

「今からでもいいか」

「いい」

俺たちは駅前の小さな食堂に入った。

向かい合って座って、メニューを見た。

朝倉が言った。

「第二シーズン、終わったね」

「ああ」

「第三シーズンはあると思う?」

 俺はメニューから目を上げた。

「あると思う。この学校にいる限り」

「じゃあまだまだ続くね」朝倉はメニューを置いた。「一つ聞いていい?」

「何だ」

「桐島くんは——来年も、この学校にいる?」


俺は少し考えた。

「いる予定だけど、なんで」

「確認したかっただけ」朝倉は窓の外を見た。「いなくなったら、困るから」

俺は朝倉を見た。

朝倉は窓の外を見たまま、耳だけが赤かった。

「いなくならない」と俺は言った。


「そう」

「お前がいるから」

朝倉が俺を見た。

何か言いかけて、やめた。

代わりにメニューを手に取って、顔を隠した。

「……注文する」

「ああ」


俺も笑いながらメニューを持った。

窓の外に、秋の夕暮れが広がっていた。

この学校には、まだ何かが眠っているかもしれない。


でも今夜は、それでいい。

第二シーズン完了です。

第三シーズンをお待ち下さい。

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