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ラミアのシュシュトリは逃げて逃げて逃げて逃げ続ける第38話

 悪い夢はいつまでも覚めない。


 シュシュトリは逃げていた。あれから何時間そうしていたかわからない。


 テムジンの首がとんだ。


 テムジンと6mにもなる狂乱熊(カオスティックベア)は幾度となく拳を交えた。その緊張する時の中で、シュシュトリがたまたま飛ばしたアイスジャベリンが狂乱熊(カオスティックベア)の目の前で爆散し、かの熊の視界が塞がった――その瞬間をとらえて打ち込まれたテムジンの渾身の一撃は、熊の胴体を貫き、絶命させるに至った。


「どうだ!俺の一撃は!」


 テムジンは喜んで腕を引き抜いた。


 シュシュトリは「半分は私の手柄よ」と思ってもないことを言って息をついた。


「アッシドハルーンの仇が討てた――」


 テムジンはこぶしを握りしめた。


 正確にはアッシドハルーンを襲った狂乱熊(カオスティックベア)は、領軍に征伐されており仇ではないが、それをとがめるものも訂正するものもこの場にはいない。


 彼にとって狂乱熊(カオスティックベア)が先輩であったアッシドハルーンの仇であったし、それを討伐したという万感の思い。


 それが彼の油断を誘った。


 いや、油断をしていたことが何になろうか。


 あるいは急いでその場を離れれば、もしかしたら何とかなったかもしれない。だが10分、いや5分の休息をはさむ判断はさほど責められることだとは思えない。


「なに、あれ……」


 喜ぶテムジンの後ろを指さしたシュシュトリは驚愕する。10mを超える狂乱熊(カオスティックベア)が3頭。7m級が5頭。5m級が6頭が群れを成していた。


 そして、その後ろにいるのは――龍。山のように大きい、と言えばいいのだろうか。


 この世界に龍はいない――おとぎ話の世界の生き物だ。飛んでいるを見かけられるのは、飛竜(ワイバーン)だ。歴とした動物である。竜人族は龍を祖先とするが、おとぎ話の一つに過ぎない。


 おとぎ話にある。数万と数千の時を遡ったはるか昔。創造神サンスースがこの世界を作った時に、異世界から異物として何らかが紛れ込んだ。その瘴気だまりが樹海を作った。龍はその瘴気から生まれ、瘴気の中でしか生きていけないために、大樹海の奥底で眠りについている存在だと。


「なっ――」


 テムジンがふりかえり声を上げる。


「やぁ!」


 と、その龍は体の前についた手を挙げた。するすると体が小さくなり、人間の姿をとった。年のころならば10代後半、背は高くなく、160㎝前後。


 こちらに向かって歩いてくる。


 狂乱熊(カオスティックベア)は即座にひざまずき、その龍に頭を下げた状態で固まる。


「ラミアかぁ。楽しみだなあ」


 龍は笑っていた。とても無邪気に。


「なにがだ?」


 残り7mくらいはあっただろうか。テムジンが警戒しながら問うた。


 次の瞬間、ゴン、と音がして――テムジンの首がとんだ。龍がどう見ても足りないリーチの腕を軽く振った。当たるはずのない腕が確実にヒットし、テムジンの首がとんだ。


「オスには興味ないんだよねえ」

「テムジン!!」


 シュシュトリは駆けつけるが、駆け付けるまでもない。明らかに絶命していた。


「やぁ!ラミアのお嬢さん!遊ぼうよ」

「――なんてことを!あなたは何者!?」

「僕?うんうん、樹海龍ラトーガ。トーガとでも呼んでね」


 樹海龍ラトーガ。おとぎ話に出てきて、悪さをする龍。たいがいは伝説の勇者や魔王によって樹海の奥底に封じられる存在。


「好きなことは、女の子をさらって遊ぶこと。大丈夫。えーとねえ、龍はどの生き物とも生殖できるの!」


 シュシュトリはラミアの女だ。だからこそ人族や魔族が感じる女性としての恐怖をあまり感じずにここまで来た。


 なにせラミアは卵生。夫婦となる相手に自分の生んだ十前後の卵に精子をかけてもらい、受精した卵を育てる。受精率は高くなく、十前後生んでも受精するのは、運が良いときだけ。0もざらにある。たまに間違って数匹生まれることはあるが、実にまれ。


 そうなると強姦などもありえず、性的な目的で他種族に襲われることもない。


 だが、これは怖い。


「竜人族のアッシドハルーンは――あなたが?」

「竜人族?ああ、ちょっと前に遭遇した子ね。覚えている!ちょっとベアたちと遊んだら壊れちゃってねえ。大丈夫、今回はラミアだから、違う楽しみ方ができるよ!」


 言って天真爛漫に笑う。


「ちなみに楽しみ方を聞いていいかしら」

「うん、ラミアって卵生だから捕らえたときは壁に貼り付けてねえ。卵を絞り出しては、受精させていくの」

「――あの、従います、よ?」

「ダメだよ。僕は生殖したいわけじゃないんだ。子孫を残したいわけでもない。この樹海に入ってくる愚か者を罰するだけなんだよ」


 樹海龍ラトーガはもともと樹海の深いところに鎮座していたが、この十年くらい活発に活動するようになった。どういう心境の変化かわからない。広範囲にわたる樹海を見回るようになると自分のテリトリーが他者に侵されていることに気づいた。


「だからこうして見回っているんだよ。僕の巣に勝手に入ってくるなんて許せないんだ」

「ごめんなさい」

「いいよいいよ、ほんとは罰とか思ってないんだ。どうでもいいんだ。楽しみたいだけだもん。でも、今から1時間上げるから必死に逃げていいよ!ゆっくりと追いつめてあげるからさぁ」


 シュシュトリは言葉が通じるのに思いが通じていないことに気づく。


「じゃあ、よーい、どん!」


 シュシュトリは逃げた。ラミアは走れないが、元の移動速度が速い。さらに時々魔法でホバリングをして走行跡を消すように努めた。匂いも水魔法で拭い去る。


 だが、逃げる先に狂乱熊(カオスティックベア)がいた。気づかれないように向きを変えて進む。


 ――大丈夫、見つかってない――


 心を落ち着かせて、違う方向へ逃げる。事実狂乱熊(カオスティックベア)には見つかっておらず、追跡もされていない。


 ――冷静であれば、逃げ切れる――


 たまに狂乱熊(カオスティックベア)を見かければ静かに向きを変える。隠密行動は得意だ。


 ――逃げて、身を隠していれば、いずれ包囲も解けるはず――


 シュシュトリは逃げる。幸い背負ったバッグには数日分の水と食料がある。耐久にも自信がある。


 あんな化け物と戦うつもりはない。仲間がやられたことも、関係ない。そんな気概は持てない。そんな気概を持つことができるのは、ギリ狂乱熊(カオスティックベア)までだ。


 ――ごめんね、テムジン。生きて帰ったらあなたのことは語り継ぐわ――


 巨木が見つかった。うろがある。あの中なら目立つことなく休むことができるはず。


 素早く木のうろに飛び込むと、魔法で周りの木を削って内側からうろの入り口部分に蓋をする。


 息をひそめる。周囲に気配はない。


 ――まずは逃げ切れた――


 音を探知する水魔法。一番近くても7km先に数体の狂乱熊(カオスティックベア)がいるだけだ。


 ――私はここで何日粘れる?食料は数日分ある。水は木から魔法ででも吸い上げる。うん、切り詰めれば一週間はいける――


 淡い期待かもしれない。


 でも。


 生き残るにはここが最も適している。


 ――テムジン、友達だったし、頼れる先輩だった。恋人として見たことはないけれど、魔校内では彼が一番タイプだったかもしれない――


 まだ泣かない。首がもげる瞬間を見たけれど、泣かない。泣くわけにはいかない。暗いうろの中で唇をかみしめる。


 ――大丈夫。音は聞こえない――


 1日目。静かに暮れていく。なんども音探査をしたが、近くにはいない。


 2日目。3日目。4日目。静かに過ごす。音探査は数分に一回。今や狂乱熊(カオスティックベア)の足音もない。


 ――逃げ切れた。これは逃げ切れた――


 念のため、あと1日待つ。


 5日目の朝。


 シュシュトリは安心していた。もう大丈夫、あとは音探査をしながら脱出すればいい。


 うろの中でライティング――。


「ひぃぃぃッ」


 ついうっかり声を上げた。口をふさいで鼓動を抑えようと必死になる。


 うろの内側に文字が書かれている。一面に。上にも下にも。側面にも。


『外で待っているよ』


「ふふふ、逃げ切れてると思った?」


 外から聞こえる樹海龍ラトーガの声。シュシュトリは理解した。


 ――私はここに誘導されてきたのか――


 狂乱熊(カオスティックベア)を巧みに配置し、このうろまで誘導する。


 シュシュトリは覚悟を決めた。これは逃げ切れない。


「バカにしないで――」


 うろから出る決意を固め声を張り上げた。涙をぬぐう。こうなったら最後まで気高くあろう。


「それが、3回生の女王、シュシュトリ=ファーティマなのよ!」


 うろから出る。その目の前に、龍。


 音もしなかった。気配もしなかった。


 少なくともこんなに巨大な龍が近くにいるとは思わない。


「人間の、姿に、なってくれない、かしら?」

「いいよ。はい」


 小さくなる。


 その瞬間を狙って飛ばすアイスジャベリン。そして目の前で爆散霧消させる。


 さらに重ねる。当たらなくても目くらまし。ほんの少しでも――生存率を上げるために。


 そして全力で逃走――


「無駄だよ!」


 見えないリーチがシュシュトリの尾の先を掴んだ。クインっと持ち上げられ、そのまま先程まで隠れていた巨木に叩きつけられる。


 ぐはっ、と声が漏れる。


 受け身はとった。でも左腕が折れた。むしろ左腕だけでよかったと思う。


「ふふふ、いいよ、もっと抵抗してね」


 樹海龍ラトーガは楽しそうに笑う。


「この変態ッ」

「うん、そうだよ。この樹海龍ラトーガは変態なんだよ!女の子が泣き叫ぶ姿がたまらなく好きな変態さんなんだよ!」


 ラトーガが手を広げて顔を突き出す。


「魔法でも、うって見ろってこと!?」


 アイスジャベリンを撃ちこむ。


 だが、樹海龍ラトーガの顔の前で止まった。


「そう、いうこと!」


 ふっと息を吹きかけるとアイスジャベリンがくるりと向きを変え――シュシュトリの尾の先を木の幹に縫い付ける。


「イタァァァァァ!!!」

「ああ、そこにも痛覚あるんだ!」


 樹海龍ラトーガは腹を抱えてケタケタ笑う。


「痛覚あるのって、あ、あなたのしっぽの先には痛覚ないの!?」

「あるよ」


 でもさ、と樹海龍ラトーガは言う。


「この樹海龍ラトーガと他が同じ、なんてことはないんだ。それともやったことない?ありの足を捥いでみたりすること」


 これは本格的にまずい、と思う。


 ――いや、さっきから本格的にまずかった。思ってたよりも、かもしれないし、想像していた通りかもしれない。とにかく――


 まずい。


「なんだろうなあ」

「何がよっ」

「ねえ、なんで絶望してないの?」


 首をかしげて、樹海龍ラトーガは問う。


「5日間必死で隠れていたけど、実は目の前でずーっと監視されていたなんて、結構絶望だったと思うんだけど、キミの目にはまだ生きようという思いがあるよね、なんで?」

「今、絶賛絶望中だけど」

「絶望中の人は絶望中とは言わないんだよな」


 ふむ、と考えている。


「兵隊さんとかが探してくれるの待ってるの?」

「だといいな、とは思っているわ」

「無理だよ。いいかい。無学なキミに教えてあげるよ。この樹海龍ラトーガ、なにが来ても負けない。樹海から出られないけれど、この樹海に限っては無敵」


 で、絶望した?と再度問われる。


「だいぶ、絶望しているけど――」


 ――希望というほどには強くないけれど――


「ん、そうか。じゃあ、指を一本ずつ折ってみようかな――」


 ――いや!それはいや――


 シュシュトリは身をよじる。が下半身が木の幹に固定されていて動きが取れない。樹海龍ラトーガはじりじりと近づいてくる。


 折れた左手をグイ、とつかまれる。


「ぎひぃぃぃ!」


 さすがに痛い。アドレナリンの分泌もここまでは耐えられない。


「絶望した?」

「した!してますって言ってるでしょ!」

「じゃあ、その体からたまご引きずり出していい?」

「いーやー!!!!」


 ラミアの貞操とは卵にある。と、昔ラミアの偉い人が言っていた。そんなことは、今、ここで語るべきことでも思うべきことでもない。


 が、シュシュトリは思ったし、話した。


「やめて、卵はラミアの女にとって重要なの」


 別にさほど重要だとは思っていない。確かにいやだし、嫌悪もする。だが命や痛みに比べれば大した問題でもない。


「それがすべての貞操と言ってもいいわ」


 そんな貞操観念は昔の人に行ってくれ、と思っている。


「指を折ってもいい、でも、私の卵たちだけは引きずり出したりしてほしくないの」


 指は絶対に嫌だ。痛い。


「これは、私の命なの」


 違う。


「あなたも龍というのなら――」


 そこで言葉に詰まった。


「龍というのなら?」


 樹海龍ラトーガは面白そうに問い返した。


「そこの少年を倒してからやってよ!!!」


 そう叫ぶと同時に安堵する。


 ――助かったわ――


 シュシュトリの意識はそこで切れる。緊張感、意地、疲労、焦り、それらのすべてが解放された。


「こんにちは、龍?」

「ごきげんよう、龍?」


 樹海龍ラトーガが声のした方に目を向けた。一組の男女が立っていた。明らかにこのラミアよりも小さく弱そうだ――が。


 突然、樹海龍ラトーガの心に直接強い恐怖が襲い掛かる。レジストできない恐怖。


「お前は、何者だ」


 震える声を抑えて、樹海龍ラトーガは相手を見据えた。


 こいつは、敵だ。紛れもなく、敵。しかも、今まであったことのない敵。


「俺はライト=サリス。お前を殺すものだ」


 樹海龍ラトーガは咆えた。

続いてます。


ゴールデンウィークが終わりましたが、頑張りましょう。

ええ。

海の日までは祝日はありませんが、頑張りましょう。

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