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世界の黄昏に愛する人と  作者: 白紙撤回
第九章  美沙(狼)
82/90

9 - 12

 

 

 

     *     *     *

 

 

 

「──元のホテルに戻せ!」

 

 陽祐は叫んだ。

 

 ──カシャンッ!

 

 陽祐は、非常階段からロビーへの入口に、元通りに立っていた。

 厨房へ向かって、ロビーを横切り、走り出した。

 ようやく答えが、わかったのだ。

 狼は咆え続けるばかりで、陽祐には反応を示さない。

 照明器具らしい金属部品の塊が眼の前に落下して、一瞬、足を止める。

 だが、すぐにそれをよけて、再び走り出した。

 ガラス窓が割れた厨房に飛び込んだ。

 現実の世界ではシェフたちが腕を振るっているであろう、その場所で、陽祐は包丁を探した。

 すぐに見つけた。

 

 ──誰にも渡したくない宝物は、肌身離さず持ち歩く。

 

 美沙自身が、そう答えたのである。

 望み通りの夢の世界を作ってくれる《アーティファクト》も宝物の一つだろう。

 だが、それをどうやって肌身離さずにいられたのか。

 そして、美沙の宝物は《アーティファクト》だけだろうか。

 そんなはずはないだろう。そう思うのは、決して自惚うぬぼれではないはずだ。

 陽祐は厨房から外に出た。

 狼に変貌した美沙を見やり、次いで、コレクターの女を見た。

 女は微笑んでいる。

 ムカつく笑顔だ。夏花の姿であることも割増しにして。

 陽祐はTシャツを脱ぎ捨て、上半身、裸になった。

 コレクターの女が、夏花の顔で眼をみはる。

 

 ──何のつもりかって? こうするんだよ。

 

 陽祐は包丁を逆手に持ち替え、両手で自分の腹に突き立てた。

 

「────────!」

 

 言葉どころか声にもならなかった。

 口から舌を突き出し、咳き込んで、血の塊を吐き出した。

 これは夢だ。この世界から脱出さえできれば、自分は死なない。傷一つ負わない。

 そう思ってみても、とんでもない激痛だった。

 どうして、ここまでリアルなんだ。

 がくっと、床に両膝をついた。包丁の突き立った腹に響いた。

 

「────────!」

 

 また、血を吐く。だが、まだ終わりには、できない。

 武士の切腹のように、包丁を横に引いていく。

 歴史小説を読んでいてよかったと思う。そうじゃなきゃ、自分の腹を切り裂くなんて思いつかなかった。

 真っ赤な血があふれ出した。内臓らしい、生々しい色艶の何かが、傷口からはみ出した。

 それと一緒に、野球ボールほどの大きさの血まみれの球体が、

 

 ──ゴンッ!

 

 鈍い音を立てて床に落ち、転がった。

 正解だ。

 美沙が肌身離さなかった「宝物」──つまり、兄の体内に《アーティファクト》が隠されていたのだ。

 腹の中に、こんなものが埋まっていて気づかなかったのが不思議である。

 だから「存在するはずないのに存在するモノ」なのだろう。

 そして、夏花の姿をした女は、陽祐が《アーティファクト》を手にしたら、すぐに自分にもわかると言った。

 ならば、最初からわかっていたのではないか、隠し場所が「ここ」だと?

 なのに、そう言わなかったのは、言ったところで陽祐が相手にしないと考えたのだろう。

 

「あなたのおなかを切り裂いて、中にある《アーティファクト》を渡してください」

 

 いきなりそう言われて、従っていたわけがない。

 無理やり腹を裂こうとしなかっただけ、良心的というべきか。

 最後まで自分で隠し場所に気づかなかった場合は、どうしていたか、わからないけど。

《アーティファクト》を拾い上げた。

 血に汚れたその表面を、手で拭ってみる。

 金色をした金属製で、地球儀のように陸地の輪郭と経緯線が彫り込まれていた。

 そして太平洋の真ん中には、人間の眼のかたちも彫られていた。

 漫画やゲームでオカルト的なネタにされる「プロビデンスの眼」に似た、いかがわしいデザインだ。

 こんな胡散うさん臭いものが自転車のカゴに入っていたら、自分なら、その場で捨ててしまう。

 だが、手を触れた途端に妖しい力の虜にされてしまうのでは、たまらない。

 しかし、いまは手にしていても、取扱説明らしいイメージは伝わってこない。

 この世界での陽祐は、夢の中に閉じ込められた、魂だけの存在だからか。

 自称コレクターの女に、にやりと笑いかけた。

 相手は、にっこりと笑い返す。

《アーティファクト》を渡してもらえるものと思っているのだ。

 そうはいくか。

 悪いが、夏花の姿をしたおまえに、渡してやるわけにいかねーんだ。

 陽祐は手にした《アーティファクト》を、黒い狼に向かって放り投げた。

 

「──美沙ッ!」

 

 腹の痛みで力が入らず、それは床の上でバウンドして、しかし辛うじて、狼の足元まで転がった。

 狼に変貌した美沙が、陽祐のほうを向いた。

 

「もう一度、おまえが望む世界を作れッ──!」

 

 愛する妹に、陽祐は呼びかけた。


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