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「──元のホテルに戻せ!」
陽祐は叫んだ。
──カシャンッ!
陽祐は、非常階段からロビーへの入口に、元通りに立っていた。
厨房へ向かって、ロビーを横切り、走り出した。
ようやく答えが、わかったのだ。
狼は咆え続けるばかりで、陽祐には反応を示さない。
照明器具らしい金属部品の塊が眼の前に落下して、一瞬、足を止める。
だが、すぐにそれをよけて、再び走り出した。
ガラス窓が割れた厨房に飛び込んだ。
現実の世界ではシェフたちが腕を振るっているであろう、その場所で、陽祐は包丁を探した。
すぐに見つけた。
──誰にも渡したくない宝物は、肌身離さず持ち歩く。
美沙自身が、そう答えたのである。
望み通りの夢の世界を作ってくれる《アーティファクト》も宝物の一つだろう。
だが、それをどうやって肌身離さずにいられたのか。
そして、美沙の宝物は《アーティファクト》だけだろうか。
そんなはずはないだろう。そう思うのは、決して自惚れではないはずだ。
陽祐は厨房から外に出た。
狼に変貌した美沙を見やり、次いで、コレクターの女を見た。
女は微笑んでいる。
ムカつく笑顔だ。夏花の姿であることも割増しにして。
陽祐はTシャツを脱ぎ捨て、上半身、裸になった。
コレクターの女が、夏花の顔で眼をみはる。
──何のつもりかって? こうするんだよ。
陽祐は包丁を逆手に持ち替え、両手で自分の腹に突き立てた。
「────────!」
言葉どころか声にもならなかった。
口から舌を突き出し、咳き込んで、血の塊を吐き出した。
これは夢だ。この世界から脱出さえできれば、自分は死なない。傷一つ負わない。
そう思ってみても、とんでもない激痛だった。
どうして、ここまでリアルなんだ。
がくっと、床に両膝をついた。包丁の突き立った腹に響いた。
「────────!」
また、血を吐く。だが、まだ終わりには、できない。
武士の切腹のように、包丁を横に引いていく。
歴史小説を読んでいてよかったと思う。そうじゃなきゃ、自分の腹を切り裂くなんて思いつかなかった。
真っ赤な血が溢れ出した。内臓らしい、生々しい色艶の何かが、傷口からはみ出した。
それと一緒に、野球ボールほどの大きさの血まみれの球体が、
──ゴンッ!
鈍い音を立てて床に落ち、転がった。
正解だ。
美沙が肌身離さなかった「宝物」──つまり、兄の体内に《アーティファクト》が隠されていたのだ。
腹の中に、こんなものが埋まっていて気づかなかったのが不思議である。
だから「存在するはずないのに存在するモノ」なのだろう。
そして、夏花の姿をした女は、陽祐が《アーティファクト》を手にしたら、すぐに自分にもわかると言った。
ならば、最初からわかっていたのではないか、隠し場所が「ここ」だと?
なのに、そう言わなかったのは、言ったところで陽祐が相手にしないと考えたのだろう。
「あなたのおなかを切り裂いて、中にある《アーティファクト》を渡してください」
いきなりそう言われて、従っていたわけがない。
無理やり腹を裂こうとしなかっただけ、良心的というべきか。
最後まで自分で隠し場所に気づかなかった場合は、どうしていたか、わからないけど。
《アーティファクト》を拾い上げた。
血に汚れたその表面を、手で拭ってみる。
金色をした金属製で、地球儀のように陸地の輪郭と経緯線が彫り込まれていた。
そして太平洋の真ん中には、人間の眼のかたちも彫られていた。
漫画やゲームでオカルト的なネタにされる「プロビデンスの眼」に似た、いかがわしいデザインだ。
こんな胡散臭いものが自転車のカゴに入っていたら、自分なら、その場で捨ててしまう。
だが、手を触れた途端に妖しい力の虜にされてしまうのでは、たまらない。
しかし、いまは手にしていても、取扱説明らしいイメージは伝わってこない。
この世界での陽祐は、夢の中に閉じ込められた、魂だけの存在だからか。
自称コレクターの女に、にやりと笑いかけた。
相手は、にっこりと笑い返す。
《アーティファクト》を渡してもらえるものと思っているのだ。
そうはいくか。
悪いが、夏花の姿をしたおまえに、渡してやるわけにいかねーんだ。
陽祐は手にした《アーティファクト》を、黒い狼に向かって放り投げた。
「──美沙ッ!」
腹の痛みで力が入らず、それは床の上でバウンドして、しかし辛うじて、狼の足元まで転がった。
狼に変貌した美沙が、陽祐のほうを向いた。
「もう一度、おまえが望む世界を作れッ──!」
愛する妹に、陽祐は呼びかけた。




