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世界の黄昏に愛する人と  作者: 白紙撤回
第五章  美沙(四)
37/90

5 - 6

 

 

 

     *     *     *

 

 

 

 ──いつの間にか、「それ」はそこにいた。

 対岸の木立の間から、顔を覗かせていた。

 

 

 

     *     *     *

 

 

 

 陽祐は、眠ってしまったらしい美沙の肩を、軽く揺すった。

 

「おい」

「え……?」

 

 頭を上げた美沙に、声をひそめて言う。

 

「その場から動くな。怖かったら、俺にしがみついてろ」

「何のこと……?」

 

 辺りを見回した美沙もまた、「それ」に気づいて、

 

「……ひっ……!」

 

 息を呑んだ。

 世界中の人間も、動物も消えた世界に、いるはずのない存在だった。

 世界がいまのようになる前でも、日本に「それ」はいなかったはずだ。

 真っ黒な毛並み。爛々と輝く、黄金色の眼。

 狼だった。

 木々の間から、こちらを見据えていた。

 

「なんで……?」

「知るか。くそっ……!」

 

 陽祐は舌打ちする。

「それ」が本当に狼なのかどうかは、わからない。

 本物の狼など見たことがない。

 昔、図鑑で見たニホンオオカミの剥製の写真は、犬とどう違うのかわからなかった。

 だが、ファンタジー漫画やRPGに登場する狼のイメージには、ぴったりだ。

 向かいの家のラブラドールよりも、ひと回り以上、身体が大きく。

 悪意の塊のような眼を、陽祐と美沙に向けている。

 逃げるわけにはいかなかった。背中を見せれば途端に襲いかかって来る予感があった。

 もちろん、美沙を守らなければならない。

「それ」との間には川がある。

 川に入ることには、「それ」にもためらいがあるだろう。こちらに隙を見せることになるからだ。

 睨み返してやった。

 不思議と恐怖はなかった。これも現実感のなさのせいか。

 人間が消えた世界に現れた、日本から姿を消したはずの狼。

 

「……世界を、終わらせに来たんだ……」

 

 美沙がつぶやいた。

 ……何? 何て言った、おまえ?

 思わず陽祐は、美沙の蒼ざめた顔を見る。

 隙ができたと見てとったのか、狼は低く唸りながら、水辺まで下りて来た。

 だが、そこから川に入るのは、まだ、ためらっている。

 陽祐は足元のクーラーボックスに手を伸ばした。

 蓋を開け、まだ冷たいままの缶ビールを一本、手にとった。

 視線は狼に向けたまま、三五〇ミリリットル入りの缶を振る。

 美沙の手を振り払って素早く立ち上がり、プルタブを引いた。当然のようにビールが噴き出した。

 その缶を、狼に向かって投げつけた。

 白い泡を吹き散らしながら、ビール缶が宙を飛ぶ。

 狼は素早く方向転換し、木立の間に駆け込んだ。

 ビール缶は対岸の水辺に落ち、泡を吹き散らしながらバウンドして、砂利の上を転がった。

 狼は姿を消したきりだった。

 

「……はあっ」

 

 陽祐は、大きく息を吐いた。

 妹を振り返る。

 美沙はチェアに腰かけたまま凍りついたように、対岸の狼が消えた辺りを、じっと見つめていた。


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