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陽祐が予備校から家に帰り着いたのは夜の九時過ぎだった。
ドアの鍵を開けて玄関に入る。
「……たでーまー」
「おかえりー」
奥から美沙の声がして、パタパタとスリッパで駆けて来た。
「ネギは?」
「……え?」
通学靴を脱ぎながら陽祐はきき返す。
何故だかエプロン姿の美沙は、腰に手を当てて口をとがらせ、
「メールしたじゃない、買って来てって」
「わりー、読んでねーよ。オフクロは?」
たずねながらスリッパを履く。
美沙がエプロンなど着けて主婦の真似をしているのは母親が風邪でもひいたのかと思ったのだが、
「まだ帰ってない」
「まだ? どこか出かけてんの?」
妹の横を抜けて陽祐は居間へ向かう。
美沙はあとを追って来て、
「大学のテニス部のOB会でしょ。きのうも今朝もママが言ってたじゃない」
「そうだったか?」
「だから晩ごはんは美沙が作るって。もうっ、お兄ちゃんってば、いつも人の話を聞いてない!」
ふくれ面をする美沙に、陽祐は気まずく口をつぐむ。
美沙は陽祐から見ても、よくできた妹だった。家の手伝いは当然のようにやるし、学校の成績も優秀だ。
おまけに見映えも悪くなかった。
生まれつき栗色のふわふわした髪に、くりくりと表情豊かな眼に、人形みたいに整った小作りな鼻と口。
中学時代はよくモテて、複数の男子から告白されたが全て断っていたとは夏花からの情報だった。
「なんだか美沙ってぇ、男嫌いじゃないかと思ってぇ……」
実際、美沙は県立を含めて女子校ばかり受験していたから、夏花の分析も当たっているのかもしれない。
とはいえ、妹の恋愛事情など兄が心配することでもないと陽祐は思っている。
つまらない男に遊ばれて泣かされるようでは困るが、しっかり者の美沙にはその心配もないだろう。
居間にはソファにテレビ、AVラックにパソコン一式などが揃えてある。
美沙はアニメのDVDを観ていたようだ。
一時停止された画面には虎縞のビキニを着た鬼娘のキャラクターが映っている。
アニメに興味がない陽祐はソファに通学鞄を放り投げ、続き部屋のダイニングキッチンへ向かう。
だが、テーブルに夕食が並べてあるのかと思ったら、箸しか用意されていなかった。
「冷蔵庫に冷しゃぶサラダが入ってるから出して。お皿二つに分けてあって、一つはパパの分だから」
美沙が種明かしのように言いながらキッチンに立った。
「いまお素麺、茹でるから。ネギがないから薬味は生姜だけで我慢してね」
「ああ……」
言われた通りに冷蔵庫を開けると、きちんと皿に盛りつけてラップをかけられた料理が作り置いてあった。
見た目は母親の料理と遜色ない。
美沙が水を張った鍋を火にかけて、振り向き、
「あと麦茶も冷やしてあるけど、それとも温かいお茶がいい?」
「とりあえず、ビールにするわ」
陽祐が缶ビールを冷蔵庫から引っぱり出すと、美沙は眉を吊り上げた。
「ばか、なに言ってんの。ちょっと、やめて!」
「いいじゃん。オフクロもオヤジもいねーんだから、飲ませろよ」
「だめ、絶対だめ! どうしても飲みたいなら美沙が見てないところで、一人で飲んで!」
本気で怒りだした美沙に、陽祐は苦笑いして、
「ほんと優等生だな、おまえ。クラス委員長向きだよ、来年こそ立候補しろ」
「ほんっと、頭にくる! お兄ちゃんには二度とごはん作ってあげない!」
「じゃあ、これが最後の晩餐か。じっくり味わって食うとするか」
陽祐はビールを冷蔵庫に戻し、自分の分の料理をテーブルに並べた。
美沙は、くすくす笑いだす。
「……まったく、お兄ちゃんってば悪い冗談ばっかり」
どうやら冗談だと思ってくれたらしい。
ビールを出したのは本気だったけど、機嫌が直ったのはありがたい。
素麺が茹で上がる前に、陽祐は冷しゃぶサラダから食べ始めた。
味は母親と遜色ない。妹の手料理を口にする機会は多くはないが、なかなかの腕前と認めていい。
やがて出てきた素麺の茹で具合も問題なしだった。
食後は皿洗いをしようと陽祐は申し出たが、それより風呂に入るよう勧められた。
「このあとも勉強するんでしょ、お兄ちゃん?」
にっこり笑顔で言われると、やらざるを得ない気分になる。
きょうは眠いから自宅学習はナシにしようと思ったのだけど。




